クロエとメイドと、姫君と
もう、大分明るくなっていたのだが、なにしろ、デジレの運転があんまりめちゃくちゃなので、どこに行き着いたものやら、さっぱりわからない。
ほうきの、めちゃくちゃな飛行もそうだが、むしろ、サンジュは、デジレの腰にしがみついている手を動かさないようにすることに、神経を集中していた。
変な意味ではない。
柔らかく優しい曲線の、デジレの体。
どこを触っても許されない気がする。
でも、しがみついていないと振り落されてしまうのだから、仕方がない。
さっき触れたやわらかなふくらみ……。
わざとではない、だから、あれは、なかったこと。
デジレに対して、自分は、何もやましいことはていない。
断じて。
デジレ本人も、運転に集中していて、何も気づいていなかったのが、せめてもの救いだった。
それにしても、この子は、誰だろう。
おとなしいと思うと、妙に行動力があって、内気のようでいて、サンジュの悪口を言った牢の囚人を叱りつける勇気をもつ。
不思議な子だと、サンジュは思った。
その間も、ほうきは、急降下、急上昇、それにスピンカーブを繰り返し、猛スピードで蛇行している。
慌ててデジレにしがみつこうとし、自分を諌める。
その、繰り返しで、サンジュは、ぐったりと疲れてしまった。
次第に薄くなっていく月や、明け行く東の空に気を留める余裕などなかった。
気がつくと、ほうきは、クロエの塔の下に着地していた。
「おかえり」
エントランスで、クロエが待ち構えていた。
「姫様。みつけましたことよ。おひとりでお出かけになってはなりませぬと、あれほど申しましたのに……」
クロエの後ろには、デジレより少し年上の女の子が、影のように立っていた。
黒いブラウスとスカート、その上に、白いエプロンが輝いている。
「ごめんなさい、マリアンヌ」
「まあ、なんです、その恰好は。お召しになっているドレスの裾は、もっと長かったはず。むりやり千切ったみたいに、切れ目がほつれているし……。もしや!」
鋭い目で、サンジュを見た。
「違うの、マリアンヌ。自分でやったの。ほうきで遠出するのに、邪魔だったから」
「ほ、ほうきですか? 危険すぎる! あんなにほうきはいけないと申し上げていたと言うのに。姫様。姫様の身に、もしものことがあったら……」
「だいじょうぶよ。安全運転を心掛けているから。それにこの方はね、私の命の恩人なのよ」
ほうきから落ちて、サンジュに助けられたことを話し、デジレは、こう締めくくった。
「サンジュさんは、ラウルス皇国の守護なのよ」
「それは、存じておりますが……」
マリアンヌは、ちらりとクロエを見た。
クロエは力強く頷いた。
「私が保証する。こう見えても、コングラの跡を襲っての守護だ」
こう見えても、は余計だが、この時ほどクロエが頼もしく思えたことはない。
ふと、マリアンヌが鼻をうごめかした。
「それにしてもこの匂い……」
「あ……」
短く叫び声をあげ、デジレが、さっとリネン室へ駆け込んだ。
マリアンヌは首を振って愚痴をこぼした。
「姫様にも困ったものですよ。隙を見て、外へ出かけようとなさるから……」
「最終的にはいつもここで見つかるから、いいじゃないか」
クロエが応じる。
「よくはありませんよ。今日なんか、虫がついたじゃありませんか」
「虫?」
クロエはサンジュを見た。
吹き出した。
「大丈夫だよ。サンジュは大丈夫。なにしろ、気の優しい男だから。何もしやしないさ。相手が望まなければ」
「そんなことおっしゃって、このことが帝に知れたらなんと仰せられるか」
「あの、姫さまって? 帝とどういう関係が……」
年上の二人の女性のあまりの貫録に、つい、おずおずとなって、サンジュが尋ねた時……。
短く切られたスカートの裾をはためかせ、デジレが駆け戻ってきた。
「サンジュさん。これ……」
息を切らせながら、跪く。
真っ白いタオルを、目の高さに掲げ持っている。
「まあ、姫様!」
憤慨の極みとばかり、マリアンヌが叫んだ。
「そのような、下女のするような真似を、なさってはいけません」
クロエが爆笑した。
「サンジュ、君は、くそまみれじゃないか。早くそのタオルを使ってシャワーを浴びるがいい。この可愛い娘さんは、サンジュのくそまみれの姿を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」
デジレは、真っ赤になった。
マリアンヌが、じろりとクロエをにらんだ。サンジュなら、瞬殺されそうなすごい目つきであった。
クロエは、デジレとサンジュを見比べて、にやにやしている。
サンジュには意味がわからない。
「へ?」
「ちょっと言ってみただけ。あふれるほどのプレ・ワールドの教養が……。そんなことより、ブツは?」
顔を赤らめたまま、デジレがビニール袋を差し出した。
クロエは、それを受け取ると、頷き、そのまま奥へと引っ込んでしまった。
マリアンヌが鼻をうごめかす。
「確かに、匂うわ。サンジュとやら、あなた、シャワーを浴びた方がいい」




