エマージェンシー・メール
「サンジュ、サンジュ!」
誰かが、乱暴に、サンジュを揺り起した。
「いつまで寝てるんだに~。朝昼を通り越して、もう夜にゃ」
「しかも、ここ、クロエの部屋だぜ。まずいよ。勝手に入ったら、怒られるよ」
「起きない。仕方ないにゃ~」
顔に、冷たい水が、ばしゃりと浴びせられた。
「わっ! 何するんだ!」
乱暴なやり方だったが、効果はあった。
サンジュは、自分が、ガラス張りのクロエの部屋の、魔法陣の中央に倒れていることに気がついた。
ガラス張りの天井から見える空は、星ひとつない、夜のものだったが、室内は、間接照明で、柔らかく明るかった。
本当に、あれから、一昼夜経ったのだろうか。
「やっと気がついたにゃ。いないと思ったら、こんなところで寝ているとは。おみゃーさんも、隅には、置けにゃいな」
「クロエに夜這いをかけたんだね」
「なんて悪趣味にゃ」
「好みは人それぞれだろ?」
「だって、あのクロエにゃ? 腐女子の」
「……ボクだって物好きだと思うけどね。いずれにせよ、クロエはサバトで留守だったのは、おあいにくさまだったね」
……クロエが留守なのは、かまわない。
そんなことより、心配なのは……
……心配なのは、
デジレ!
サンジュは、がばっと飛び起きた。
脇腹が、ずきんと痛んだ。
思わず叫んだ。
「魔女がいた! しかも、たくさん。空を飛んで……」
「落ち着くにゃ。あれらはみな、クロエが受信した、プレ・ワールドの科学や技術を使っているだけ。なんでも、たけこぷた、とかいうものを応用したそうだにゃ」
「でも、黒いマントに、とんがり帽を被ってた。あんなかっこうをしているのは、間違いなく、魔女だろ?」
「あれは、制服のようなもんにゃ。中身は、腐女子だにゃ」
「ええっ! じゃ、サバトって……」
「腐女子の集会にゃ。参加したかったら、BLに関する小論文を提出するにゃ。メンバーによる厳正なる審査の結果……」
「すると……デジレも腐女子?」
いや、彼女は、「おねえさま」においてけぼりを食ったと言っていた。
ということは、腐女子ではない妹が、腐女子である姉達に、ついてきただけかもしれない。
サンジュは重ねて尋ねた。
「参加者は全員、姉妹なの?」
「姉妹? あの子たち全員が? だとしたら、親は、傾国ものの子だくさんだにゃ」
カイトがあくびをした。
「それにしても、ゆうべは、騒がしかったね。参加者も年々増えているし。今年も、新入りの子がいたよ」
「にゃあ? カイト、おみゃーさん、腐女子に興味があるだか?」
「ないよっ! ないっ。方向性が真逆だしぃ。なまじ顔がかわいかったから、もったいないなーって、思っただけだっ!」
「ひょっとして、ゆうべ、誰か、塔から落ちたりした?」
サンジュは、これだけは、聞かずにはいられなかった。
ドジなデジレが、心配だった。
カイトとジュスティビエーヌは、顔を見合わせた。
「庭には、何も、落ちてなかったなあ」
カイトが、ゴミか落ち葉みたいなことを言う。
「サバトに参加するには、ほうき乗りの厳しい訓練があるんだ。落ちるやつなんて、いないよ」
「そ、そう……?」
……一人、いたぞ。
だが、あまりしつこくするのは、危険と思われた。この二人がデジレのことを知ったら、どんな捻じ曲げた解釈をするか、わかったものではない。
「そうそう、あちきは、サンジュに用があって探してたにゃ」
ジュスティビエーヌが、ごそごそと、スカートのゴムの辺りを探っている。
「脱ぐのか? また、脱ぐのか?」
「いんや、ちょっと探し物。……そんなにあちきのヌードが見たい?」
「見たくない。それは、絶対!」
サンジュとカイトが、声を合わせた。
スカートの下の、ペチコートの下の、ももひきの内側辺りから、ジュスティビエーヌは、ついに、なにかを探り当てた。
スマホだった。
「クロエのスマホ。おみゃーさんから連絡が来るかもしれないからって、あちきが預かってたにゃ。ほれ、メールが一通来てる」
「午前9時受信。ジュスティビエーヌ、だめじゃない、もっと早く、サンジュに、教えてあげなきゃ」
「あちきだって、ついさっき、気がついたにゃ。スマホが震えたの、わからなかったにゃあ」
「ジュスティビエーヌ、厚着のしすぎ。……あれ? ゆうべには、サンジュ、帰ってたよね。いったい、だれが、エマージェンシー・メールをしたんだろう」
困ったときに連絡を入れてくる人間を、サンジュは一人だけ、知っていた。
「ちょっと貸して」
急いでスマホを受け取る。
昨日の朝、クロエに渡されたのと、同じタイプだった。
薄いカード型のそれは、ジュスティビエーヌの体温で、なまぬるく温まっていた。
◇◇
件名 昨日はありがとうございました
本文
昨日は、甥・姪たちを助けていただいて、ありがとうございました。私は、叔父のゲオルグです。
お礼もろくに申し上げないまま、お帰ししてしまい、後悔の気持ちでいっぱいです。
つきましては、本日、夕食なぞ、御一緒に、いかがでしょうか。粗末なものではございますが、精いっぱいのおもてなしをさせていただきたく、ぜひ、おいでくださいませ。
わが家は、城郭内ではありますが、都の中心部から、若干離れたところにあります。閉門の直前に、いらしてください。門の所で、お待ち申し上げております。
追伸
勝手にスマホを使ってしまい、申し訳ありません。甥が、お預かりしたということなので、これも一種の緊急連絡か、と……。なお、料理の都合もありますので、ご都合の悪い場合は、お昼時までに、ご連絡をいただけますと幸いです
◇◇
「いいにゃ、デートのお誘いかにゃ」
「そんなんじゃない」
サンジュはためらった。
「食事の誘い……めんどくさいな」
なんだか体が、ひどく疲れていた。
よく覚えていないが、ゆうべ、よっぽどひどい目にあわされたような気がする。
「明らかに、デートだ。でも、甥や姪がいるってことは……相手は、ジジイだな」
カイトが断言した。
「ふにゃあ! サンジュは、ジジイ好みか。あれか。師匠コンプレックス……」
「違うっ!」
サンジュは、イワン兄妹を、乱暴者の父親・フョードルから助けた話を、簡単にした。
「でも、今日は休んでいたいよ。そう、返事を出してよ」
サンジュは、スマホの扱いがわからないので、カイトに頼んだ。
「それは無理。だって、都合が悪かったら、昼までに連絡くれってあるけど、今はもう、夕方だもん」
「えっ……?」
「料理を無駄にするのは、感心しないなあ」
「ええーっ! いつの間に、そんな時間!」
「時間を忘れて眠りこけるとは。魔女のコスプレにもやけに詳しいし……さては、おみゃーさん、サバトに行ってたにゃ」
ジュスティビエーヌが、悔しそうな目を向けた。
「招待きゃ? なんで、あちきも誘ってくれなかった?」
あれが招待なら、なんと乱暴な。まだ、脇腹の掻き傷が痛む。
しかし、口を挟む隙もなかった。
ジュスティビエーヌは、不満をぶちまけた。
「BLの感想文を書くのは、難しいにゃ。あちきは、何度もトライしているのに、一度も、合格したことがない。だいたい、選考が厳しすぎるにゃ。でも、サンジュは、一字も書いてなかろう? ずるいにゃ。……ん? ひょっとして、ジークも一緒に?」
サンジュが答えるより早く、カイトが首を横に振った。
「ジークは、サバトには、行ってないよ。ゆうべは、作業所に、お客さんが来てたみたいだから」
「お客さん?」
「ボク、見ちゃった。とってもかわいい女の子が、ジークの作業所に入っていくの。金色巻き毛で、お人形さんみたいな子。新入りの魔女ちゃんだよ。空を、他の魔女たちが、びゅんびゅん飛んでいるのに、一人だけ、群れを離れて、ジークの作業所に入っていったんだ」
サンジュの胸が、とくん、と鳴った。
ジュスティビエーヌが感想を述べる。
「確かに、この頃の魔女の制服は、とってもかわいいにゃ。けど、あの膝上スカートは、感心せんにゃあ。あれじゃ、年取ってから、体が冷えて、大変。……ん? 変にゃ。ゆうべ、ジークとユージンは、塔に戻ってきたにぃ。なんでも、魔女の渡りの影響で、庭が明るくなり過ぎて、眠れなかったんだと。だからあちきは、その後、サンジュといっしょに、サバトへ行ったと疑ったんだにゃ」
「あれれ、へんだね。ということは、せっかく尋ねたジークはお留守だったということか」
そういうわりに、カイトもジュスティビエーヌも、何とも思っていないようだった。
あの新入りの魔女……デジレだと確信していた……が、ジークにもユージンにも会えなかったとわかって、サンジュは、なぜだか、ほっとした。
塔のエントランスでユージンに会った時、デジレは、妙に彼を避けるようなそぶりを見せていた。
デジレにとってユージンは、会いたくない相手なのかもしれない。
それなら、ユージンといつも一緒にいるジークにだって、会いたくはなかろう。
単純にそう考えた。
それならば、デジレがジークの作業場に行った理由は何か、なんてことは、サンジュは頭には浮かばなかった。
そんなことは、どうでもよかった。
カイトの見間違いかもしれないし。
大切なことは、デジレがジーク……超イケメン……に会わなかったということだ。
「さ、行くよ!」
カイトが、窓に向かって口笛を吹いた。
「もう、9時を回ってる。6時には、門が閉ざされてしまっているから、今から行くとなると、城郭を飛び越えるしかない」
「飛び越える? いや、そうまでして、」
「遠慮することはないよ。どうやら、あの方は、サンジュが気にいったようだから」
「あの方……?」
「行くなら、さっさと行こうよ。雨の予報がでてるもの。ジュスティビエーヌはどうする? 一緒に来るかい?」
「誰が。時間がないなら、仕方がない、プリイガとの戦いは、後日に譲ろう。サンジュのためだからにゃ」
くるりと背を向け、ジュスティビエーヌは、部屋の外へ出ていった。
ドアが閉められた途端、窓から生臭い風が吹き込んた。
恐ろしい、黄色く輝く目がふたつ、部屋の中を覗き込んでいた。




