受信するもの
「それが、BLかい」
不意に、耳元で、ジュスティビエーヌの声がして、サンジュは、飛び上がった。
クロエの話は、聞いたことのないことばかりだった。
なにより、自分と同じ民族のせいで、プレ・ワールドが滅んだと聞かされたことは、ショックだった。
そして、自分以外に、同じ肌の人は、いないのだという事実も。
だから、食堂との間のドアがいささか乱暴に開いたことも、意気揚々と侵入してきたジュスティビエーヌとカイトと、執事ジーヴスとの間に、ちょっとした小競り合いがあったことも、気がつかなかった。
「うるさいわね。あ、あなたのせいじゃないわ、ジーヴス」
ジーヴスは、すまなそうに一礼して、退出した。
クロエは立ち上がり、腰に手を当てて、ジュスティビエーヌをにらみつけた。
「あたしには、アンタクティカ大陸の隅々にまでBLを布教するという、壮大な夢があるのよ。そして、この国から、BL作家を輩出するという……」
「はいはいはい。で、あっちの注文したお話は、受信できたのかい?」
「ボクのも! かわいい少年が、大冒険の果て、お母さんにだっこされて、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」
カイトは、興奮して飛び跳ねている。
「この間、マルコの話をあげたでしょ。あれじゃ、不満なの?」
「なんてゆーのかなー、あれは、お母さんを尋ねて歩く部分が多すぎる。もっと、お母さんとのスキンシップに重点をおいたお話がいい」
「うーん、出版という領域には見当たらないのよねえ。でも、ネット小説といわれる領域を探せば、あるいは、あるかもしれない。あの世界には、特殊な趣味の人も多かったみたいだから」
「わあ、頼んだね、クロエ」
「こりゃ。あっちのお話が先じゃ! 出版でもネットでもよいぞよ。あのな。おばあちゃん勇者が、若くてハンサムな貴公子たちに、次々に求婚される。全部の貴公子を受け入れるために、優しいおばあちゃんは、ハーレムを作る……」
「ありえない。なんていう悪趣味。やっぱり、BL最高!」
かしましく騒ぐ女子供をしり目に、サンジュは、目の前でいい匂いをふりまいているコーヒーのカップを手にとった。
実は、さきほどから飲んでみたいと思っていたのだが、クロエの話の途中だったので、遠慮したのだ。
自分の一族が、プレ・ワールドを滅ぼしたという話は、あまりにもショックだったし。
小説談議(?)に夢中な三人のそばにいると、そのショックも、やや薄らぐ気がした。
サンジュは、カップをつかみ、こげ茶色の液体に、やや危惧を覚えつつも、そっと、口に含んでみた。
途端に、ぶっ、と吹き出した。
あまりに苦かったのだ。
森では、苦い物は、すべからく、毒だった。
しかし、話しながら、クロエはこれを、飲み干している。
毒ではないのだろう。
それにしても、苦い。
軽くノックの音がして、ジーブスが戻ってきた。
コーヒーを吹き出したサンジュを、ちらりと見たが、あえて、気がつかないふりをしてくれた。
「お客様が、ご到着です」
礼儀正しい執事を押しのけるようにして、一陣の風が、吹き抜けた。
「クロエ! やあ、サンジュも一緒じゃないか」
「ジーク!」
金髪碧眼の青年は、クロエに近寄り、軽く抱擁した。
「ねえ、誰か忘れてない?」
「ああ、カイト、ごめん。プリンセス・イガミがいなかったんで、わからなかったよ」
クロエと握手し、カイトの頭を撫でるジークの後ろには、影のようにひっそりと、もう少し年嵩の青年が立ち尽くしていた。
「この男がジークか?」
値踏みするような微妙な目で見つつ、ジュスティビエーヌが、サンジュに尋ねた。
「で、後ろのが、ユージン?」
サンジュは、あいまいに頷いた。
サンジュには、ジュスティビエーヌの興味を、自分から、強引に、ジーク、ユージンコンビへ向けてしまった、罪悪感がある。
「金髪碧眼。ハンサム。ジーク合格。ブルネット。雰囲気、やや暗し。痩せ形、でも筋肉質。ユージン合格」
ジュスティビエーヌが、ぶつぶつとつぶやいている。
ジークがこちらを見た。
甘い笑みを浮かべて、近づいてくる。
「やあ、おばあさん、はじめまして」
跪き、軽く、手にキスをする。
そしてすぐに、クロエの元に戻り、何やら話し込み始めた。
「水圧の分散のことだけどさ、ユージンが言うには……」
「うにゃあ、いい男だにゃあ……」
ジュスティビエーヌは、うっとりしている。
「でも、名前を聞いてくれないにゃ」
「俺が、紹介してやろうか?」
と、すかさずサンジュ。
「それじゃ、名乗りの掟に背くにゃ。是が非でも、あの子に、あちきの名を、尋ねさせなきゃ」
そのジークは、クロエを質問攻めにしている。
「……やっぱり、耐圧殻の問題だね。でも、長持ちすりゃいいってもんじゃないよ。優雅さも大切だ……」
そんなジークに近寄り、ジュスティビエーヌは、腰の辺りを、つんつん、とする。
「ジーク、ジーク」
「なんですか、おばあさん」
「あちきの名前を、知りたくないかい?」
「いえいえ、けっこうです」
「豪華特典がついてくるよ」
「婿になれという、迷惑な特典でしょ。あなたの名前は、とっくに、ジークに教えてあるわよ」
鼻を上向かせながら、クロエが割り込んだ。
「変だと思ったら……。クロエ、邪魔したにゃ!」
「未来ある青少年を守る為の、当然の義務を果たしたまで」
「愛の守護、ジュスティビエーヌ。僕の大先輩です。僕は、海洋の守護を名乗ることにしました。どうぞよろしく」
あくまでもさわやかに、ジークは膝を曲げ、深々とお辞儀をした。
そうまでされると、ジュスティビエーヌとしても、まんざらでもないようだ。
「ふん。まあ、仕方がないにゃ。じゃ、そっちの浅黒いのは、どうだにゃ? あちきの婿になる気はあるか?」
ぐるりと振り向かれ、ユージンは、後ずさった。
「いいえ、わたくしの主は、ジーク様。ジーク様をお守りすることが、私の使命です」
「どいつもこいつも、女を見る目がなさすぎる。しまいにゃ、売れ残るぞ」
ジュスティビエーヌは、すっかりふてくされてしまった。




