アンタクティカ縁起
「約束通り、アンタクティカ大陸の始まりについて、お話しましょう」
生まれてから、ケーキなどという代物を食べたことがないので、完全に出遅れ、さらに、ジュスティビエーヌとカイトのあまりのめちゃ食いぶりに唖然として動けないサンジュに、クロエが、そっとささやいた。
傍若無人な客の中にあって、クロエはただ一人、完璧なテーブルマナーで食事をしていた。そのナイフやフォークの扱いは、たいそう美しかったが、なにせ、絶食明けの食べ放題会場のような食卓では、完璧に浮いていた。
執事が気を遣って、女主人の分だけ別に給仕しなかったら、おそらく、何も食べられなかったろう。
クロエは、目でサンジュを誘い、食堂の脇の、小部屋へと入っていった。
ジュスティビエーヌとカイトは、まるで、何かに憑かれたように、顔中をクリームでべたべたにして、ケーキをむさぼっている。
頑丈な木のドアを閉めると、急に、静けさが戻ってきた。
暖められた、気持ちのいい部屋だった。
ふかふかの絨毯を踏んで歩くと、クロエは、柔らかいビロード張りの、一人掛けソファを勧めた。
ソファに座ると、あまりにふかふかなので、立ち上がれないのでは、と、不安になった。それに、もし、自分の尻が汚れていたら、座面の上等な布に、致命的なダメージを与えることなる。
右斜め横の、質素な木の椅子に、クロエは、腰を下ろした。
音もなく、廊下側のドアが開き、湯気の立つ盆を持ったジーブスが現れた。
「コーヒーは、飲めるかしら」
なんだか、とてもいい匂いがする。
おいしそうな匂い、というのとも、ちょっと違うが、とりあえず、頷いた。
なめられたくはない。
二人の間の低いテーブルにカップをふたつ置いたジーブスは、静かに後ろへ下がった。
退出はせず、ドア脇の壁際に、目立たぬように、ひっそりと立つ。
暖炉では、ぱちぱちと薪が燃え、その炎は、しゃれた食事でいくらか緊張気味だったサンジュの気持ちを、柔らかくほぐしてくれた。
クロエは、静かに、語り始めた。
アンタクティカ大陸は、地球という星の、一番南にあります。
余談ですが、大陸の中でも、一番南、いわゆる、極が、ルート・ゼロ・ポールです。
ここが、真南。よって、ルート・ゼロ・ポールに立つと、まわりが、ぐるっと、北になります。
これはよく、パンミアがなぞなぞに使って、喜んでいるネタです。
地球には、他にも、五つの大陸と、数えきれないほどの、小さな島々があります。
昔々、まだ、パンミアが、厚い氷におおわれていた頃、それらの大陸や島々には、何十億もの人々が、大小さまざまな国に分かれて、暮らしていました。
彼らは、高度に発達した科学技術を持っていました。科学は、人の生活を豊かにしました。
これを、前世界といいます。
そんな世界でも、戦乱は、なくならなかった。まずいことに、彼らは、最新の科学技術を武器に応用した。それどころか、多くの技術は、戦争やその支援の為に、開発されたのです。
彼らは、行き過ぎたのです。
今から千年以上前、東洋の、とある国で、致命的な爆発がありました。
それが、戦闘によるものか、テロなのか、事故なのか、今となっては、わかりません。
その爆発によって、東洋の国の人々の、多くが死に、そうでない人々も、甚大な損傷を負いました。
東洋だけではありません。
きわめて毒性の強い物質が、地球を覆ったのです。
やっかいなことに、この物質はまた、伝染力の、非常に強いものでもありました。
風や海によって拡散した毒は、今度は、生体への感染を通して、広がっていきました。
毒は、世界へと広がりました。
当時、このアンタクティカ大陸も、何万年もの間続いた、氷の時代にありました。
氷が、強烈なバリアになって、毒は、アンタクティカ大陸にまで至ることはありませんでした。
人間の数が、極端に少なかったことも、幸いしました。
全地球の中において、このアンタクティカ大陸だけが、奇跡的に、清浄なままでいられたのです。
プレ・ワールドは、崩壊しつつありました。
人類の中で、選ばれた人々のみが、船に乗って、この大陸へ移住してきました。
氷に覆われた、過酷な環境ではありましたが、そうする以外、生き残る道は、なかったのです。
当然のことながら、大元の爆発の起こった、東洋の人々の上陸は、許されませんでした。
上陸を許されたのは、ジークやカイト、そしてジュスティビエーヌのような、白い肌の人。そして、私のような、黒い肌の人。
東洋の人種を示す、黄色みを帯びた肌の人は、近海へ立ち入ることすら、許されませんでした。
仕方のないことです。彼らは、すでに、毒に毒に犯されていたのですから。そしてその毒は、うつるものであったのですから。
人類が生き残る為にも、黄色い肌の人の上陸を許すわけには、いかなかったのです。
プレ・ワールドが崩壊したとき、偶然ここにいた、ほんの一握りの東洋人は、いつの間にか、姿を消しました。
彼らがどうなったのかは、伝わっていません。
幸いなことに、その頃、地球は、温暖な時期に入りつつありました。
続く数百年のうちに、氷の大部分は溶け、今の、温暖な、アンタクティカとなったのです。
「それじゃ、俺は、何?」
ここずっと抱えていた疑問が、サンジュの口から、あふれ出た。
「黄色い肌の俺は、いったい、何なんだ?」
「コングラからあなたの話を聞いた時、私たちは、あなたが、前世界から来たことを、疑いませんでした。しかし、コングラは、あなたを引き渡すことを、拒みました。そこで、精密な検査が行われました。結果、幸いなことに、あなたは、毒に感染していないことが判明したのです。私たちは、人里離れた森の中で養育することを条件に、コングラに、あなたを託したのです」
「……」
初めて会った時の、ジークの言葉の意味が、ようやく、サンジュにもわかった。
だが、わかったからといって、心の中の憤りが消えたわけではない。
自分は、魔物、ではない。
「今、めでたくあなたは成長し、養父コングラと同じ、守護の道へ入りました。私たちは、同じ守護の仲間として、どんな差別の目をも、あなたに対して、持ってはおりません。ただ、民の前へ出るときは、注意した方がいいかもしれませんね。その肌の色は、畏怖の情を誘います。白か、黒かに塗った方がよいでしょう。あなたは、とても優しい顔をしているから、ファンデーションを塗ったら……」
クロエは、なぜか、とても楽しそうな顔をした。
だが、続きを言う代わりに、こうつぶやいた。
「でも、不思議。東洋人は、全滅したか、遺伝子に、重大な奇形を負っているはずなのに。いったい、あなたは、どこから来たのでしょうね」




