秘密
その日からおれは週に三回、彼が待つ館へと向かった。平日は学校が終わってからしか来れなかったけれど、休日は早起きして彼の館を訪れた。そのまま泊まっていったことも少なくない。
おれは、キールさんとたくさん話した。歳は25歳であること、出身はスコットランドであること、美術品以外にも古書なども集めていること、普段はコンタクトをしているということなど、沢山彼の事を知った。
内気な性格は相変わらずだったけど、それでも精一杯おれにいろんなことを話してくれた。目を合わせるのは苦手と言っていたけど、出来るだけおれの顔を見て話してくれるようになった。
キールさんと過ごす時間はとても楽しかった。宣言通り、料理もしたし掃除もした。おれはキールさんと一緒に過ごしているうちに、次第に彼に惹かれていった。いつのまにか彼のことが大好きになっていた。彼のことを本格的に意識するようになったのはいつだっただろうか。
それは多分、俺が持病のせいで発作を起こした時だろう。
「じゃあ、今から作るから待ってて」
「わかりました」
おれがキールさんと初めて会ってから二ヶ月が経った。最初はぎこちなく敬語で喋っていたけれど、キールさんが堅く喋らないでください、などと言うので次第に溜口を使うようになった。もうすっかり打ち解けている。
「凛さんの手料理はいつも美味しいですね」
「そんなことないって」
「いえいえ、ご謙遜なさらないでください。凛さんの料理、本当に美味しいですから」
おれはそんな風に言ったけど、料理の腕はそれなりに自信がある。おれは高校に入ってから一人暮らしをしていた。自炊も出来なきゃ一人でなんか暮らしていけない。
「…っ!!」
発作が起きたのはその時だった。おれには持病があった。最近は滅多に発作も起こさなかったので油断していた。苦しくて息ができない。あまりの辛さに立っていられなくなったおれは膝から崩れ落ちる。
「凛さんっ!」
キールさんが明らかに混乱した声で叫び、おれに近づく。
「どうしたんですか、大丈夫ですか!?」
返事ができない。おれは必死に呼吸を押さえつけようと、胸を掻き毟る。こんな時に発作が起こるなんて。しかもキールさんの目の前で。
「凛さんっ、凛さん!」
次第に意識が遠のいていく。薄れゆく意識の中で、おれはしきりにおれの名前を呼ぶキールさんの声をぼんやりと聞いていることしかできなかった。
瞼に眩しい光を感じ、目を覚ました。目に映るのは見慣れぬ天井。ここが病院であるということを理解するまでにそれほど時間は掛からなかった。
節々が痛む体を庇いながら身を起こした。おれの他には誰もいなく、キールさんがいつも使っている古い車椅子があるだけだった。しばらくぼーっとしていると、不意に扉が開いた。
「あっ、気がついたんですね、よかった…」
「キールさん…」
そこから現れたのは杖を支えに立っているキールさんだった。キールさんは安堵の表情を浮かべ、おれのベッドのそばにあった車椅子に座った。
「おれ…なにが…?」
あまり記憶がはっきりしない。困ったようにおれが尋ねると、キールさんは微笑みながらおれに言った。
「発作で倒れたんですよ。本当に一時はどうなることかと思いましたよ。でもお医者様がすぐ来てくださったおかげで助かりました。もう少し遅かったら命はなかったと仰っていました」
「医者…?キールさん、医者呼んでくれたの?」
「えぇ、そうですけど…」
「でもキールさん、他の人と話せないんじゃ…」
そうだ。キールさんはおれ以外の人と話ができないはず。緊張のあまり何も喋れなくなるはずだったのに。
「えぇ、まあ、そうなんですけどね…。今回ばかりはお医者様を呼ばないわけにはいかないじゃないですか。あまり上手く喋れませんでしたけど…」
「わざわざ、おれのために…?」
「いえ、人として当たり前ですから」
そう言って微笑むキールさんに心を打たれた。おれのために、慣れないことをしてまで医者を呼んでくれるとは…。
「ありがとう、キールさん」
嬉しさのあまり涙が滲む。おれは慌ててそれを拭うとキールさんに向き直った。
「本当にありがとう。それと…心配かけてごめんね」
「あの…、凛さん…」
キールさんが遠慮がちに問いかける。
「心臓病を患っている、というのは本当ですか」
「…うん、本当。黙っててごめんね」
「いえ…」
キールさんはそう言ったきり口をつぐんでしまった。おれも言葉が出てこない。暫く気まずい空気が流れる。
先に沈黙を破ったのは彼だった。
「あのですね、凛さん。えっと、その…」
「いいよ、遠慮しないでなんでも聞いて」
「はい…。あの、心臓病…治らないんですか?」
この質問がされるのは覚悟していた。おれははっきりと答えた。
「…もう、治らないよ」
「っ!」
キールさんは明らかにショックを受けた様だった。おれは横目でそれを確認して、言葉を紡ぐ。
「おれは生まれつき、体が弱かったんだ。心臓病も生まれつきだった。…昔から、大人にはなれないと言われていた」
「………」
「おれは、長く生きられない。そう思ったのは高校に入る前。長く生きられないのならば、限り有る命を有効に使おうと思って、おれはあの街にひとりで引っ越してきたんだよ。あの街は前から憧れていた。海が近い、あの街に」
「そう、なんですか…」
「そんな顔しないで、キールさん。大丈夫だよ、おれは」
「で、でも…」
彼は美しい瞳に涙をいっぱい浮かべていた。
「おれ、キールさんに会えて本当に良かったって思ってる。だからさ、そんな顔しないでよ。今すぐ死ぬわけじゃないんだから」
「わたしも、あなたに会えて、本当に良かったと思っています…」
「おれは大丈夫だから。心配しないでね、キールさん」
「…わ、わかりました…」
彼は渋々頷いた。わかったと言っていたけれど、本当は全く納得していなかったんだろうと思う。
おれは、内心とても嬉しかった。キールさんがおれと会えて良かったと言ってくれたことが、とても嬉しかった。
でも、キールさんはきっと知らないんだろうな。
おれの余命があと一週間だってこと。