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華麗なる『ざまぁ』を魅せて差し上げますわ

作者: 友坂凪
掲載日:2026/05/05

「エレオノーラ・ヴァレンタイン公爵令嬢!」

 王太子ルシアンの声が、春告げの舞踏会の大広間に響いた。

 楽団の奏でるワルツが止まる。

 白大理石の床を滑っていたドレスの裾も、貴公子たちが掲げていた杯も、すべてがその一声に縫い止められたようだった。


 広間の中央で名を呼ばれたエレオノーラは、ゆっくりと扇を閉じる。

 薄青のドレス。

 真珠の耳飾り。

 白く細い首筋。

 誰もが息を呑むほど、彼女は美しく、静かだった。


 王太子の隣には、薔薇色のドレスをまとった少女が寄り添っている。

 ミレーユ・ヴァレンタイン。

 エレオノーラの異母妹である。

 潤んだ瞳でルシアンの袖を掴み、小さく震える姿は、まるで嵐に怯える可憐な花のようだった。

 エレオノーラはその妹を一瞥し、王太子に向き直る。


「何でございましょう、ルシアン殿下」


 そう答えると、ルシアンは勝ち誇った顔をして、高らかに声を張り上げた。


「私、ルシアン・カロラインの名において、公爵令嬢エレオノーラ・ヴァレンタインとの婚約を、ここに破棄することを宣言する!」


 広間がどよめいた。

 何人かの令嬢が口元を押さえ、若い貴公子たちは互いに視線を交わす。

 だが、エレオノーラだけは驚かなかった。

 彼女はただ、長い睫毛を伏せ、ほんのわずかに微笑んだ。


 ああ。

 ようやく、幕が上がるのですね。

 ならば、最後までお付き合いいたしましょう。

 ――華麗なるざまぁを、魅せて差し上げますわ。


「婚約破棄、でございますか」


「ああ、そうだ! おまえは実の妹であるミレーユを妬み、暗殺を企てた。証拠は上がっている。犯人も、おまえに雇われたと証言した」


 彼は一歩、エレオノーラへ近づいた。


 その碧い瞳には、正義に酔った者特有の熱が宿っている。

「それだけではない。おまえは聖女の名を騙り、人々を欺いてきた偽聖女だ。いや、聖女どころか魔女と呼ぶべき女だ!」


 偽聖女。

 魔女。

 その言葉に、広間の空気が一段冷えた。


 エレオノーラの指先が、ほんのわずかに白くなる。

 かつては、その言葉で呼吸が止まった。

 自分が積み上げてきた祈りも、癒やしも、救ってきた人々の命さえ、すべて踏みにじられた気がした。

 けれど今夜の彼女は、怯えない。


 ミレーユが、ルシアンの後ろから小さく顔を出す。


「お姉さま……どうして、こんなことをなさったの? わたくし、お姉さまのことを信じておりましたのに」


 震える声。

 潤む瞳。

 いかにも憐れな被害者の姿。

 その演技に、周囲のいくつかの視線がエレオノーラへ突き刺さる。


 エレオノーラは静かに尋ねた。


「殿下。その犯人は、わたくしに雇われたと申したのですね」

「そうだ」

「では、その者をここへ」


 ルシアンの眉が動いた。


「何だと?」


「わたくしは、その者の顔を存じません。わたくしに雇われたと申すのであれば、当然わたくしの顔も、わたくしに命じられた時の状況も、詳しく語れるはずですわ」


「無駄だ。すでに処刑されている頃だ」


「いいえ」

 エレオノーラは扇で口元を隠した。

「処刑は、まだ執行されておりません」


 その瞬間、大広間の扉が開いた。

 王宮警備隊の騎士たちが、一人の男を引き立てて入ってくる。

 粗末な上着。

 泥のついた靴。

 青ざめ、震えきった顔。

 その男は広間の中央に突き出されると、床に膝をつき、叫んだ。


「助けてくれ! 俺はそこの薔薇色のドレスの娘に頼まれただけなんだ!」


 ミレーユの顔から、血の気が引く。

 男は震える指で彼女を指した。


「金を渡されたんだ! 自分によく似た娘が礼拝堂の裏道を通るから、刃物を見せて脅せって! 殺すつもりなんかなかった。悲鳴を上げたらすぐ逃げればいいって言われたんだ!」


「嘘よ!」

 ミレーユが叫んだ。

「あなたにそう頼んだのはお姉さまでしょう!」


「違う! あんたらの顔は似てるが、全然違う! その聖女様は、近づけねえくらい眩しい金の氣を纏ってる。見間違えるわけがない!」


 ざわめきが広がる。

 エレオノーラの周囲には、確かに淡い金の光があった。

 聖女が祈りや癒やしの力を使う時に纏う、聖なるマナ。

 けれど今の彼女は、何の魔法も使っていない。

 ただ、そこに立っているだけだ。

 それなのに、その光は薄衣のように彼女を包んでいた。

 誰かが小さく呟いた。


「偽聖女などではない……」

「本物の聖女の証だ」


 ミレーユが唇を噛む。

 ルシアンは苛立たしげに声を荒げた。


「この男がエレオノーラに買収されている可能性もある!」


「では、殿下」

 エレオノーラは穏やかに返した。

「こちらもご確認くださいませ」


 彼女が軽く視線を向けると、控えていた侍女が銀盆を手に進み出た。

 その上には、小さな水晶瓶が置かれている。

 中には、薄く紅色を帯びた液体。


「先ほど、殿下よりいただいた果実酒でございます」


 ルシアンの顔がわずかに強ばった。


「それが何だ」


「喉を焼く毒が混ぜられておりました」


 広間から悲鳴が上がった。


 エレオノーラは続ける。


「命には届かぬ毒です。ただし、声を失わせるには十分。もし飲んでいれば、わたくしは今、この場で申し開きもできなかったでしょう」


「ばかな! そんなもの、私は知らない!」


「ええ。そうおっしゃると思っておりました」


 彼女の声は少しも揺れなかった。


「毒見役が確かめた後、殿下の従者が杯を入れ替えたことは、すでに確認済みでございます」


 王宮警備隊の騎士が、一人の男を連れてくる。

 ルシアン付きの従者だった。

 男は床に膝をつくなり、顔を青くして震えた。


「申し訳ございません……! 殿下に命じられて……!」


「黙れ!」

 ルシアンが怒鳴る。


 その一言が、何よりも雄弁だった。


 広間の空気が、完全に変わる。

 先ほどまでエレオノーラを疑っていた者たちの視線が、少しずつ王太子へ向き始めた。

 エレオノーラは、そこで止めなかった。

 止めるはずがない。

 まだ幕は途中である。


「そして、もうひとつ」


 別の侍女が進み出た。

 銀盆の上には、黒革と金属でできた禍々しい首輪が置かれている。

 その瞬間、年嵩の貴族たちが息を呑んだ。


「炎獄の首輪……?」

「禁制の魔道具ではないか」

「聖女の魔力を封じるものだ」


 ルシアンの顔が青ざめる。


 エレオノーラは穏やかに告げた。

「わたくしの背後に控えていた従者が、婚約破棄の宣言後、これをわたくしの首へ嵌める予定でございました」


「証拠はあるのか!」


「ございます」


 彼女は即座に答えた。


「その従者も、すでに警備隊が拘束しております。殿下とミレーユ様のご指示であったと証言済みですわ」


 ミレーユが悲鳴を上げた。

「わたくしは知らない! 首輪のことなんて、ルシアン殿下が勝手に……!」


「ミレーユ!」


 ルシアンが振り返る。


「君こそ、暗殺騒ぎを仕組んだではないか! 私は君に頼まれて――」

「ひどいわ! 殿下がおっしゃったのよ。お姉さまは声と魔力を奪えば何もできないって! そうしたら偽聖女として教会に突き出せるって!」

「黙れと言っている!」


 愛を誓い合ったはずの王太子と公爵令嬢は、広間の中央で醜く責任を押し付け合っている。

 エレオノーラは、その姿を静かに見ていた。


 ただ、美しく立っている。

 それだけで十分だった。


 その時、大広間の奥から重い扉が開いた。

 国王陛下と王妃殿下。

 そして白銀の法衣をまとった大司教が姿を現す。

 ルシアンの顔が、完全に青ざめた。


「父上……」


 国王は、しばらく何も言わなかった。

 その沈黙の重さに、広間中が息を潜める。

 やがて、低い声が落ちた。


「ルシアン。これは何の騒ぎだ」

「父上、これは違うのです。エレオノーラが、私とミレーユを陥れようと――」

「私の目の前で、まだ偽りを重ねるか」


 ルシアンの声が止まった。

 国王は、王宮警備隊の隊長へ視線を向ける。


「報告せよ」

「は。暗殺未遂の実行犯、毒を混入した従者、禁制魔道具を持ち込んだ従者、いずれも拘束済み。証言および物証は保全しております」

 次に、大司教が進み出た。

「教会からも申し上げます。エレオノーラ嬢はこの一年、聖女として病の村を救い、干ばつの地に雨を呼び、北方結界の修復にも尽力されました。その功績は聖女宮に記録されております」

 大司教は、ルシアンとミレーユへ冷たい視線を向ける。

「その方を偽聖女、魔女などと呼ぶことは、教会への侮辱でもある」


 ルシアンが膝を震わせた。

「私は……国のために……」

「国のために、聖女に毒を盛ったのか」

 国王の声が、氷のように冷えた。

「国のために、禁制の首輪を用意したのか」

「それは……」

「国のために、公爵家の令嬢へ罪を着せ、王家とヴァレンタイン公爵家の盟約を、私の許しなく破棄すると宣言したのか!」


 エレオノーラは、王太子を見つめる。

 かつては、その人に愛されたいと思ったこともある。

 認められたいと願ったこともある。

 支え続ければ、いつか家族になれるのではないかと思ったこともある。

 そのすべてが、遠い昔のことのようだった。


「エレオノーラ」

 国王が彼女を呼んだ。

「はい、陛下」

「そなたには、王家として詫びねばならぬ」

 エレオノーラは静かに膝を折った。

「恐れ入ります」

「望むことはあるか」

 広間中の視線が彼女へ集まる。

 金。

 名誉。

 地位。

 望めば、多くのものを得られるだろう。

 けれどエレオノーラが欲しいものは、決まっていた。


「では、恐れながら」

「申せ」

「ルシアン殿下からの婚約破棄を、正式にお受けいたします。そのうえで、今後わたくしの婚姻について、王家からの命を受けぬ自由をいただきとうございます」


 王妃が、痛ましげに目を伏せる。

 国王は深く頷いた。

「認める。そなたの潔白と聖女としての功績は、王家と教会の名において正式に公布する」

「感謝いたします」


 エレオノーラは立ち上がった。

 その姿は、今夜の誰よりも美しかった。


 その時。

 ミレーユが動いた。

 衛兵に囲まれながらも、彼女は近くの卓上にあった果物ナイフへ手を伸ばす。

 誰かが悲鳴を上げるより早く。

 黒い侍女服の影が、音もなく滑り込んだ。

 エレオノーラ付きの侍女、クロエだった。


 クロエはミレーユの手首を押さえ、にっこり笑う。

「だめよ、お嬢さん」

 ナイフが床に落ちる。

 からん、と乾いた音が響いた。

「その幕は、もう閉じているわ」


 ミレーユが震えた。

 ルシアンも、衛兵も、周囲の貴族も、クロエの異様な速さに息を呑む。

 だがエレオノーラだけは、目を伏せた。

 ほんの一瞬だけ。

 指先が、かすかに震えた。


「……クロエ」

「大丈夫?」

「ええ」

 エレオノーラは、すぐに微笑んだ。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 クロエは艶やかに笑う。


 その赤い唇には、侍女らしからぬ妖しさがあった。


 ミレーユは衛兵に取り押さえられ、今度こそ引きずられていく。

「いや! 離して! お姉さまなんか死ねばよかったのに! あんたさえいなければ、わたくしが全部手に入れられたのに!」

 その叫びが、扉の向こうへ消えていく。


 ルシアンもまた、近衛に腕を取られた。

「待ってくれ、エレオノーラ!」

 彼は初めて、縋るように彼女の名を呼んだ。

「私は間違えただけだ。君なら許してくれるだろう? 君はいつも私を支えてくれた。今回だって――」

「ルシアン殿下」

 エレオノーラは、美しく礼をした。

「わたくしの役目は、ただ今をもって終わりました」

 それだけだった。

 ルシアンは言葉を失い、連れていかれる。


 大広間に、重い静寂が残った。

 誰も踊らず、誰も笑わない。

 ただ、すべての者が見届けた。

 偽聖女、魔女、悪女と呼ばれた公爵令嬢が、涙一つ見せず、怒鳴りもせず、ただ一つ一つ真実を並べ、愚かな者たちに自ら罪を語らせた夜を。


 エレオノーラは、扇を閉じる。

 ぱちん、と小さな音が響いた。

 それが、幕の下りる音だった。


 ◇


 夜会の後。


 王宮の庭園には、月明かりが降っていた。

 白い花々は静かに揺れ、遠くの大広間からは人々のざわめきだけが微かに漏れている。

 エレオノーラは、ひとりではなかった。

 隣には、黒い侍女服のクロエがいる。

「見事だったわ」

 クロエが言った。

 その声は、先ほどまでの女のものとは違っていた。

 低く、甘く、どこか人をからかうような響き。

「さすが、三度目ともなると手際がいい」

 エレオノーラの足が止まった。

 彼女はしばらく黙っていた。

 やがて、静かに息を吐く。

「……意地悪ね、クロム」

 クロエが笑った。


 その姿が、ふわりと黒い霧に包まれる。

 次の瞬間、そこに立っていたのは侍女ではなかった。

 漆黒の髪。

 浅黒い肌。

 赤い唇。

 背に揺れる黒い翼。

 美しい悪魔のような男が、月明かりの中で愉快そうに目を細めている。

 魔王クロムウェル。

 雪の牢獄で、エレオノーラが血の魔法陣によって呼び出した存在だった。

 牢の床に途中まで描かれていた魔法陣におのれの血を書き加え、願ったのだ。


「だって本当だろう?」

 彼は笑う。

「一度目は、声を奪われた」

 エレオノーラの喉が、無意識に震えた。

 毒で焼かれた痛み。

 魔力封じの首輪。

 弁解もできぬまま、偽聖女として教会に引き渡され、聖女の称号を剥奪された夜。

 そして、雪の牢獄で命が消えかけたあの寒さを、彼女はまだ覚えている。

「二度目は、勝ったと思った瞬間に刺された」

 背中が、かすかに痛んだ気がした。

 ミレーユの叫び。

 ナイフの冷たさ。

 遠のく意識。

 そして、クロムウェルの舌打ち。

『詰めが甘いな、お前』

 あの時の言葉まで、鮮明に覚えている。

「だから三度目の今夜は、最後の刃まで舞台に組み込んだ」

 クロムウェルは、心底楽しそうに言った。

「いい芝居だったよ。実に退屈しなかった」

 エレオノーラは、扇で口元を隠す。

「芝居ではありませんわ」

「そう?」

「ええ」

 彼女は月明かりの中で、まっすぐ前を向いた。

「あれは、わたくしの人生です」

 クロムウェルは、少しだけ目を細める。

 からかうような笑みが、ふっと和らいだ。

「なら、今度こそ取り戻せた?」

「まだですわ」

 エレオノーラは答えた。

「名誉は取り戻しました。声も、魔力も、命も。けれど、わたくしの人生はこれからですもの」

「欲張りだな」

「淑女は、欲しいものを簡単には諦めませんの」

「なるほど」

 クロムウェルは喉の奥で笑った。

「それでこそ、俺が選んだ女だ」

 エレオノーラは彼を見上げる。

「退屈はしませんでした?」

「ああ」

「では、これからも退屈させないよう努力いたしますわ」

「それは楽しみだ」


 遠くで、鐘が鳴った。

 春告げの舞踏会の終わりを知らせる鐘だった。

 けれどエレオノーラにとっては、始まりの音だった。

 翌朝、王都には勅書が掲げられるだろう。

 ルシアン元王太子の失脚。

 ミレーユの罪。

 エレオノーラの潔白と、聖女としての功績。

 人々は語るだろう。

 偽聖女と呼ばれた公爵令嬢が、いかに美しく自らの汚名を雪いだのかを。

 けれど、誰も知らない。

 あの華麗な断罪劇が、一度目の絶望と、二度目の失敗を越えて完成された、三度目の舞台だったことを。


 エレオノーラは、静かに微笑んだ。

 声には出さない。

 けれど、その心は確かに告げている。


 ――華麗なるざまぁを、魅せて差し上げましたわ。


         Fin


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― 新着の感想 ―
最初の1回だけだけでもこんな茶番劇が成功したんだ。ループは聖女を貶めた神様の怒りが原因かもしれませんね。
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