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バカ・ダイアリー・エッセイ  作者: ことのはじめ


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義憤で殴ってはいけない

 正義というのは気持ちのいいものである。快楽的な意味でである。正しいという感覚は結構危ういものなのである。



 義憤で叩くとかよくSNSであるだろう、アレである。なんともよくない。正しさで非難するのはよいように見えて実際のところ正しいという免罪符でもって人をぶん殴っているのと大差ない。



 正しさと言うよりは正義と言った方が近いかもしれない。正義と義憤はよろしくないのである。嫌いですらある。



 大体よく考えずに快不快で捉えて非難するものである。思考の介在はあるのかわからない。大抵の人は不快になることは悪としてぶん殴ってくるのである。



 まあ調子のいいものである。殴って血まみれになった手は暴力を言い逃れできない。それでも正義の上でならそれは許されるのだからやっていられない。



 悪なら何でも叩いていいのはさすがに短絡的な気もする。思考の介在はあるべきである。そしてはそれは暴力を振るうことへの自己正当化を促さないものの方がいい。



 まあよく殴るよく殴る。言葉の暴力も殴ることと大差ない。正義は気持ちいいからそれに酔っているのだ。



 正義は一番人の箍を外すものである。一番化け物じみた本性を出させたり助長させるのが正義である。無害な人も正義の前では殺戮者になるのである。



 恐ろしいものである。そういうものに叩かれたことがあるとなおさら正義を振りかざす人間が嫌いになる。振りかざせば人を殺しても無罪と思うのだろうか。



 そう見ると人間って醜いものだと思うのであるが、それで閉じたくないのも事実である。正義を振りかざす前にそれに関わるべき人間かどうかは考えた方がいい。でないと外野から石を投げるのと大差ない行為をすることになる。



 当事者だけの問題かどうかというところをわきまえずにずかずか土足で踏み込むから面倒になるのである。当事者でもないのに首を突っ込むとろくでもない。野次馬である。



 仮に外から意見を言うにしても暴力にならないように考えるべきである。相手が悪だからとか自分が正義側に立っているからということは暴力をふるって言い理由にならない。大体はき違えて快楽のために拳を振るう人間がいるもの事実である。



 どういう言葉であれ暴力になり得ることをするべきではない。正義はそこを麻痺させるのだ。とても危ない。



 大体その麻痺した感覚も感じ取れずに暴言や暴力を振りかざす人間が多いのだ。立ち止まって考えればわかる気がする。それでも暴力を振るいたいならフィットボクシングでもして運動した方がずっと平和的で建設的だ。

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