聞き間違い書き間違い見間違い
聞き間違いを書き留めておくとこが多い。寝ぼけていたりぼんやりしている時によく聞き間違える。意味が似ているというより音が似ているものとして捉えやすいことがある。
例えば「強いられる」と「虐げる」を聞き間違えたことがある。どちらも言葉の持つ力が似ている。優しい言葉ではない気がする。
聞き間違いは言葉としてより音として聞こえる。意味のなさない音に聞こえたり存在しない単語として聞こえることもある。なかなか面白いので都度書き留めている。
歌を聴いていると聞き間違えることが多い。歌は音の気持ちよさもある分変な方向に聞き間違えてしまう。似ている音は似ている言葉になることがあって面白いものである。
聞き間違いだけを書き留めているわけではない。書き損じも書き留めている。間違いは面白い言葉の宝庫である。
大体がパソコンで打っている時の打ち間違いだ。しかしロマンチックな言葉になる時もある。漢字変換の味はなかなか奥深い。
元ある美しい言葉を書き留めることもいいことだ。だが偶然の産物の言葉を書き留めるのも良いものである。偶然だから間違っているから美しくなるものもあるのだ。
「淡く」が変換ミスで「泡苦」になったことがある。苦しそうだがすぐに消えそうである。言葉の響きもあってふわりとしたもののように感じられる。
IMEによって変換が異なるため、面白い変換になったりトンチンカンになったり言葉の変換で遊ぶと楽しい。ころころ変わる漢字を観察するのもまた楽しみの一つである。正しく書くことだけが書く楽しみではない気もする。
これも「鼻息もする」と変換ミスにつながる。鼻息荒く訴えているようである。だが口呼吸よりは健康的なのでいいだろう。こう考えてクスリと笑うことも人生には必要である。
書き留めるのも好きだから、いっぱい書いているところはある。パソコンで書くとそういった偶然の産物と出会いやすい。パソコンは物知りである。
打ち間違いのミスも楽しい。「おねえさん」を「おねいさん」と打ち間違え「尾根遺産」と変換される。なんだか天然記念物のようだ。
「優しい光」が「優しい怒り」になる。妙に文学的である。しかし怒られるのはごめんである。
聞き間違いや打ち間違いや書き間違いは面白い言葉を生むのに適している。せっかくなのでもっと失敗して色々な言葉を生み出したいものである。それを活かすのは後で考えるとしてもだ。
道端で綺麗な石ころを拾ったようなラッキーさを感じる。聞き間違いとは偶然を楽しむものだ。捻り出すよりつまづいた方が楽しい。




