初詣と神社
先日初詣に行った。除雪された参道をえっちらおっちら歩いて行った先の神社は誰もいなかった。神社に行ったとき誰もいないというのは縁起がいいときいたことがある。
手水は凍っていたので手も清められなければ口もゆすげなかった。雪国の神社とはそんなもんである。早速お賽銭を入れてお祈りをしてきた。
手を叩くときは左手が上になるようにちょっと右手を下にずらして指の節を合わせないようにする、と母から聞いていた。母方の実家が神道だから、そういった細かいところも詳しいのだとか。節を合わせないのは節合わせ(不幸せ)に鳴らないようにするためだとか。
ちなみに左手が神様を現し右手が人間を現すそうだ。だから右手を下にずらすというわけである。こういったことを母からもう少し聞いてみたいものである。参拝のマナーとかには乗っていないことをたくさん教えてくれるのだ。
マナーというよりはこういう意味があるからそうするといった口伝のようなものである。こうしないと失礼ではなくこうやって伝わってきたという歴史を感じられる。ちょっと得した気分である。
お祈りの内容は自分の夢の成就と友人の幸せである。自分のことだけでなくせっかくなのだから友人のことだって祈ってもいいだろう。初詣なのだしお祈りとか願いを奮発してきたのである。
おみくじを引きにいっても全然人がいないのだから驚きである。おみくじは百円で引けたので遠慮なく一つ引いてきた。吉だった。
中々よいことが書いてあってその内よくなるといった旨のことが書かれていた。全体的に励みなさいというメッセージで、商売だけ人気が出ないぞと釘を刺された。悲しいものである。
そもそも初詣は好きなのだがここ数年はいろいろとあって行かないことが多かった。近所に神社があるのでたまに行くことはあったが、さすがに真冬の寒い時期に初詣には中々いけなかった。今回は意を決して行っていたわけである。
神社はなにかと好きなスポットである。散歩がてら寄るのもいいし、たまにお祈りしていくのもいい。小さい頃はよく神社で遊んでいたから馴染みが深いのかもしれない。好きな神社もあるのだが中々にいい杉並木がある。
父に聞くと実家は三つか四つほど神社の親戚がいるという。どれも遠縁だから親戚に会ったことはない。だがこんなに神社の親戚がいたら神社も好きになるんだろうな~くらいには思っている。
何かと神社に縁のある家である。ちなみに神道のお葬式は歌ったり踊ったりとかするらしい。両親から聞いた程度の話ではあるがしめやかな雰囲気よりは賑やかだったという。ちょっと気になってしまうのであった。




