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バカ・ダイアリー・エッセイ  作者: ことのはじめ


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正論パンチ

 正論パンチをよく聞く。パンチだから当たり前に痛い。正しさを受け止めることはあってもそれが暴力になってはいけないだろうと思う。



 正しいことを伝えることとそれに堪えて痛みを耐えるのとちょっといろいろありそうである。正しいことは伝え方によってはただの暴力である。だが直視しないといけないところもあるからなんとも言えない。



 なんのために正論を述べるのだろう。相手を黙らせるためだろうか。正しさに依ればそこを曲げたり非難することは正しさに悖ることになり不利である。



 正しいことを述べて黙らせるのが目的であるのならただ自分に非がなく相手を黙らせたいだけである。相手の口をぶん殴って声を出させなくすることと何か大差あるだろうか。暴力的だなぁと思う次第である。



 正しいことを述べたいから正論を述べる場合はどうだろう。自分が間違ったことや嘘をつきたくないから正論を述べる場合、相手に正しさを突きつけることになる。時と場合による感覚である。



 正しさを述べられたとき、それを直視すると弱味や見ずにいたことも露わになる。その時弱味や見ずにいたことを直視して受け止める力が果たしてその人にあるのだろうか。ちょっと苦しい人もいるのではないか。



 正論を述べる側にとっては耐えられる圧かもしれないがもしかすると述べられた側は耐えられないかもしれない。自分が平気なことだから相手にしてもいいというわけではない。相手を強く叩くことと相手が痛がらないようにすることのどちらを天秤にかけるかというところだろう。



 個人的には正論は述べてもいいが伝え方を考えてほしいというところである。正論を述べるとき大体婉曲的にならずストレートに伝える人が多い。婉曲的な言い方がなぜ今も現役で使われているか考えてみるといい。



 正論パンチはパンチと名のつくものである。相手に対してパンチをしている、拳を振るっている覚悟くらいは持っておいて欲しいものである。ついでにぶん殴ってくる相手の言うことを殴られている人はちゃんと聞くかとかも考えておくといいと思う。



 人には人の強度がある。自分が嘘をつきたくないからとかもやもやとしたことを言いたくないからという理由で正論を述べるのは構わない。だが伝え方を工夫しないと暴力になりかねないので気を付けた方がいい。

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