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バカ・ダイアリー・エッセイ  作者: ことのはじめ


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選択する自由

 誰にでも選択する自由はあると思う。特定の何かだから選択できないとされるのは少し気に食わない。割とつまはじきにされていたからそういう思考がこびりついている。



 皆が皆好きに選択する自由はあっていい。選んだときに拒まれることはさておいて選ぶことくらいは好きにさせておいてほしいものである。選ぶ自由くらいは満喫させてほしい。



 小学校のつまはじきくらいだと大体お前にはこれがいいと周りにとって都合のいい選択肢を善人面で押しつけてくるものである。大分嫌な思いをした記憶がある。せめて選んで拒まれるところ位まではさせてくれたっていいだろうに。



 だいたい選択の自由を奪われる時は周囲にとって都合のいいように歪みや不都合を押しつけられるときである。最小の犠牲で最大の幸福を得ようというやつだ。幼い功利主義である。



 自分がよければそれでいいという形でそういう不都合を背負わせるのだから子供のようなコミュニティは嫌いだ。わりと大人のコミュニティでも見かけるから精神的に成長せずとも大人になれるのだと思った節がある。大人とは思っているよりも幼いのかもしれない。



 だからといって自分が精神的に成熟しているかと言えばそうでもない。今でも過去のことに囚われて恨み言を言うのだ。だったら私もいい年した子供というわけである。



 それはそうと気に入らないと無視するとか顔を合わせてもするのだから言葉を使わないコミュニケーションを取るのが好きなのだろうかと思う次第である。対話とか興味ないのかもしれない。面白いのになぁ。



 でもまあ言葉を使わないコミュニケーションも楽といえば楽だ。考えずに感情だけで動くのなら人間でなくてもできるわけだし。友達の前で百面相するのが好きなのだろう。



 子供のようなコミュニティは大体感情が優先されるから苦手である。ちゃんと説明しても感情が不快だったら否とされるのだ。暖簾に腕押しである。



 だが感情で作る居場所は居心地がいいのは確かだ。自分にとっての不快をどんどん切り捨てるのだから当たり前と言えば当たり前だが。共存とは程遠い。



 違う事や引っかかることもまあいいかと許容することが共存には必要なのだが不快を切り捨て続けると必ず違和感も切り捨てられる。切り捨てられたものは選択の自由を奪っていた人間の元に辿りつく。



 別に切り捨てられたものは悪くないし非があるわけもないのだが彼らにとってはゴミを捨てるように切り捨てているのだろう。押しつける相手はゴミ箱みたいなものだ。幼いコミュニティは人間をゴミ箱にする。



 長いことゴミ箱にされていたのだから怨みもそれはたまる。捨てられるものが嫌とかそうではなく自分をゴミ箱扱いされたことに憤りを感じるのである。幼い頃が怨嗟で満ちているのはそういうところもある。

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