忘れ物にご用心
魔界、それは地球の生物の発生と同時に生まれたもう一つの世界。
そこは地上のさまざまな不運、不安、不幸、死を司る世界である。
ここはそんな魔界の末端。人類省不幸部不運課遺失物係。
たった今そこにあったものを別の場所に移動させたり、雨の日に傘を置き忘れさせたり、自転車や家の鍵を刺したまま記憶から無くさせたりするのが主な仕事だ。
「監視カメラのせいで仕事が本当にやりにくくなったよな…」
大きなため息と共にアルはそう呟いた。
向かいのデスクでは同僚のメリダがさっきまで考えていたことを忘れさせる仕事に勤しんでいる。
「ほんとよね、今の世の中色々発展しすぎてるわ!
みんな大事なことはスマートフォンってやつにデータ化して保管しちゃってさ、忘れさせてもまた思い出しちゃうから成果もリセットされちゃうし、本当時間の無駄!」
目の前のモニターには忙しなく動く下界の人間たちが映っていた。
アルはその中の1人を選んで、傘を置き忘れるようタスクを設定した。
アルの仕事はいわゆる忘れ物を人間に実行させることだ。
この仕事はノルマ制で、対象の人間が忘れたことに対して抱いた不安や怒り、悲しみを数値化し計算される。
「アルは今回の転換申請したの?」
転換申請とは、仕事を変える申請のことだ。
適性に応じて仕事が変わるわけではない。魔界の仕事は全てくじで割り振られるのだ。
公平といえば公平だが、全ては運次第、ということになる。
「一応…」
メリダはヒューッと口笛を吹いてみせた。
「あたしは人類省にやっとこられたんだもの。運が悪ければネズミやリスの餌を隠す仕事にまた戻るかもしれないし。あんな仕事なんて2度とごめんだわ」
まぁ確かに対象が昆虫や水性生物、動物よりかは幾分マシだとは思う。ここ100年みても変化が大きいし、見ていて楽しくはある。
でも、何か物足りない。今まで就いたどの仕事も、作業量は膨大だった。
初めて就いた仕事は小動物の縄張り争いを仕掛ける仕事だった。
その前は人間の夫婦喧嘩を発生させる仕事だった。
その前は水性生物同士共食いさせる仕事だった。
どの仕事もノルマの連続で、仕事内容は単純。今思えば夫婦喧嘩の仕事が1番給与が良く、時たま傷害事件に発展してくれてボーナスがよく出た。
今の仕事は動物相手の仕事に比べれば確かに人類相手という面では変化も大きく面白くもある。
「そうなんだけど、もっとやりがいのある仕事が良いんだよ…。変な話、前にやってた魚の共食いの方が適正あったかもって考える時もあるんだよね。命がかかるってスリルがあってさ…。そもそも、悪魔として生まれたなら、人間の歴史に名前が残るくらいの業績を残したい!」
アルはガタッと椅子から立ち上がり高く拳を掲げた。
と同時にアルの頭にファイルの角がめり込んだ。
「そういうセリフはノルマを達成してから言うんだな」
室長である上司のカカールだ。
この部署の設立からずっと室長をしているという身の丈2mは優に超える大男だ。
顔は日本のなまはげのようなお面を常につけており、その体格とは打って変わって存在感も音もなく突然現れるのだ。
「所長、お、は、おはようございましゅ…」
そう小さく挨拶すると、アルはまた大人しくモニターに向かい、また1人適当に選び自転車のカゴにスマホを置き忘れるようタスクを設定させた。
現状の仕事は確かに退屈極まりないが、動植物を相手にするより面白味はあると思う。
過去に受け持った夫婦喧嘩誘導の勉強のために見始めた恋愛ドラマや映画は今でも見るのが好きなほどで、人間模様には興味もある。
向いていないわけではないが、夫婦喧嘩や忘れ物で名をあげるのは無理がある。
戦争や疫病、窃盗や地震などの自然災害が理想的だ。
アルはまた1人選びパソコンを電車の神棚に置き忘れるよう設定し、窃盗課に連携するようデータを送信した。
次はこいつで良いか…。
適当に選んで適当に忘れさせて…。
先程スマホを置き忘れるよう設定した人間から不安と焦りを数値化して成果が表示されている。
値は45。高くも低くもない。
はぁ、とため息をついてまた1人選んで、忘れ物をさせた。
忘れ物のデータは逐一窃盗課に連動させていて、落としたものは盗まれ売られたり、別の人間に使われたりするよう指示を出してもらっている。
窃盗課も落とし物ばかり盗ませているわけではないので、うまく連携取れることはあまりない。
だいたいが雨や雪で濡れたりして使えなくなって終わるか、運良く持ち主の手元に戻るか、だ。
配置転換の発表まであと半年を切った。