7 奴隷の町(6)
「着いたわね。エイル、みんなを下ろしてきて。フレイヤ、近くを見てきてくれる? 魔物や人がいたらすぐ報告して。できれば見つからないようにね」
「承知した。赤姫様」
「大丈夫かよ、お前」
「……ええ」
まだ若干顔が青い赤姫をフレイヤが気遣う。
「……ま、お前がそう言うならこれ以上なんも言わねぇよ。私は周りを見てくるぜ、剣持ってくぞー」
そういうや否やフレイヤは馬車から飛び降りて走り去っていく。森の周辺は人が入った形跡はなく、しばらくの間身を隠すには向いている場所だった。
「エイル、みんなを降ろし──なに?」
赤姫が檻の扉に手をかける。扉を開いてみんなを降ろそうというタイミングで赤姫の耳にかすかに草木の揺れる音が入ってくる。風が吹いているわけでもなく、フレイヤが向かった方向でもない。赤姫はすぐさま扉を閉め直し音の聞こえたほうへと視線を向けた。
「……どうしたんだ?」
「何かいるわ」
赤姫が気づいたことで森の中から聞こえる音はさらに増えていく。エイルも気づいたのか剣を一本手に取り構える。
(五……いえ、十はいるわね。しかも大きいわ……)
赤姫は聞こえてくる音から相手を推測していく。小型の動物や魔物ならばなんとかなると思っていたが、どうやら相手は人間以上の大きさがあるようだ。
赤姫とエイルが警戒していることに気付いたのか、檻の中に残された面々の間でざわめきが広がる。まずい、赤姫とエイルは同じその状況に同じ認識を持つ。
獣や魔物との争いの中でおびえたり弱った姿を見せてしまうのは悪手としか言いようがない。今すぐにでも襲い掛かて来てもおかしくはない。エイルは経験から、赤姫は森から発せられるさっきのようなものを感じたことでそれが明確にわかってしまった。
(……来る!)
森の中から、いくつもの巨体が姿を現す。。木々の間から現れたのは、巨大なオークだった。彼の肌は森に溶け込むような暗緑色で、筋肉が隆々と盛り上がり、まるで岩のように硬そうだった。鋭い牙が口から覗き、呼吸をするたびにあたりに異臭が漂う。赤く光る目は赤姫たちを獲物としてみているのか爛々と輝いている。オークたちの手には巨大な斧が握られており、その刃は血に染まっていた。オークが一歩踏み出すたびに、地面が震え、檻の中から悲鳴が聞こえてくる。
「オーク……!」
エイルが絞り出すようにしてその存在の名前を呼ぶ。オークは魔物としては珍しい存在ではない。分厚い脂肪と強靭な体毛に覆われた体は寒い地域であっても問題なく生存することができる。簡素なものながらも武器を作れるほどの知能と器用さを持ち、どんなものでも捕食し蓄える。驚くべきはその成長能力にあり、これほどの巨体を持っているのにもかかわらず生まれた子供は1年ほどで成体と同じ大きさになるのだ。
現れたオークの数は3体。だが森の中にはまだ数体のオークがいるはずだった。
(何かしらの魔物と遭遇することは避けられないと思っていたけれどまさかオークなんて……! 森の浅いところにいるような魔物ではないのに。いや、今はそんなこと考えても仕方ない。オークはそこまで強力な魔物というわ絵ではないけれど、フレイヤもいない、エイルの実力もわからない以上、今の私たちにとっては強敵だわ)
オークの一体がゆっくりとその手に持った斧を振り上げる。狙いは剣を持ったエイル──ではなく赤姫だった。
魔物は自分にとって脅威になりそうなものから狙う。それが常識であり、エイルもその常識の中に生きてきたため、赤姫を狙ったオークの攻撃に反応が遅れる。
「赤姫──」
エイルは振り下ろされる斧を止めるべく赤姫の前に出ようとする。だが、その距離は遠い。エイルは間に合わない。
「ヴォォォォ!」
オークの雄叫びと共に斧が振り下ろされる。エイルは思わず目をつむった。オークの体格で繰り出される一撃が赤姫をどれほど凄惨な姿に変えてしまうのか想像がついたからだった。
肉が裂け、骨がきしみ、絶叫する赤姫の声が辺りに響く──ことは無かった。
「……案外、私も丈夫なものね。死ぬかと思ったわ」
「ヴォ……?!」
「……は?」
オークとエイルの間の抜けたような声が重なる。
斧を振るったオークは確かな手応えを感じていた。思ってた以上の手応えを。それなのにも関わらず目の前の赤毛の餌は、斧のくい込んだ肩と、それを止めようと出された腕から血を流し、自分の事を睨めつけていた。
衝撃だった。どう見ても目の前の餌は自分よりも弱く劣った存在だというのに、一撃で仕留め損ねるどころか大した傷も負わせることが出来ていない。
オークに芽生えた衝撃は徐々に怒りへと変わっていく。自分の弱さへの怒り、そして目の前の生意気な餌への怒りだ。
「ヴォォォォ!!」
オークは赤姫から斧を引き抜く。浅いとはいえ自身にくい込んだ斧を抜かれたことで顔をしかめる赤姫。だがオークがそんなことを気にかけることはない。振り下ろしたのがダメだった、そう判断したオークは今度は斧を水平に振るう。細い木ならば何本あっても簡単にへし折れてしまうほどの威力のその一撃を赤姫はふわりと飛び上がってかわす。
オークの背丈を超える高さまで軽々と飛び上がった赤姫。
エイルは顎が外れそうな勢いで口をパッカリと開け、驚愕に染った表情でその様子を眺める。檻から出てきた仲間たちもまた、信じられないとばかりにその様子を見ていた。
飛び上がった赤姫は、左手でオークの顔先にそっと触れる。そして右の拳を握りしめる。
慣れていない。下手くそもいいところだとエイルはその構えを見て思う。それでも、なぜかその力強さから目が離せなかった。
「私は生きるわ。邪魔しないで」
そう小さく呟いて赤姫はオークの頭を思い切り殴りつける。硬質なものがぶつかるような音が辺りに響きわたり、オークは白目を向いて仰向けに倒れ込んだ。真っ赤な髪の毛をふわりと浮かせ、赤姫はその巨体の上に着地する。
オークを殴り倒した拳は、その威力に負けたのか皮がめくれ血が垂れていた。
「嘘だろ……!」
「ヴォォォォォォ!!!」
エイルの絞り出すようにして出した声はオーク達の雄叫びにかき消される。仲間を殴り倒されたことで赤姫を餌ではなく敵と認めたのか戦闘態勢に入った。
オークの1匹が突出して赤姫に斧を振るう。だが赤姫はそれに対応する様子は無い。
「遅いわよ、フレイヤ」
「お前が見てこいって言ったんだろうが!」
その斧を横から飛び込んできたフレイヤが悪態をつきながら弾き飛ばす。その様子を見てようやく戦意を取り戻したエイルも剣を構えて赤姫を守るように寄り添った。
「んで、どうすんだよ。こいつら全員と戦うのはきっついぜ」
「分かってるわよ。けど逃げるのは無理だわ」
要するにやるしかない。そうフレイヤとエイルは理解して武器を構える。あたりの空気が張りつめていき、そして糸が切れるようにして空気が一変する。それが開戦の合図だと言わんばかりに。
『待テ!!』
双方が動き出す寸前、辺りの空気一帯を震わす声が響いた。
オークたちはその声を聞いて武器を下げる。赤姫たちは何が起きているのか分からず戦闘態勢をとくことは無い。だが声が聞こえた森の方向を見つめていた。
少し待てば、森の中からオークの特徴をそのまま残し、人間と同じ大きさまで小さくしたような存在がゆっくりとあゆみ出てくる。他のオークとは違い、手に持つのは杖、そして身体を隠すように深緑のローブを纏っていた。
『待テ、オーク達ヨ。下ガレ』
地位のあるものなのか、オークたちはその声に素直に従った。
『スマナカッタ。理ノ子ヨ』
理の子。そう聞いたオークたちの間にざわめきが広がる。
『非礼ヲ許シテホシイ。ソシテ、ドウカ我ラノ願イヲ聞イテホシイ』
その発言で赤姫は今日一番のしかめっ面を決めることになった。
今日の投稿はここまでです。明日からは毎日投稿か隔日投稿になるかと思います。
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