2023年5月、京都⑤
重い足取りで忠遠の屋敷に帰ってきたメイアンは寧ろその重さに浸りたい気分のような気がしていたが、玄関先から四つの瞳がそれを許さなかった。
「お帰りーっ!」
「お帰りなさいまし」
菫と熊がぱっぱっと片方ずつメイアンの腕に掴まってにこにこと見上げてくる。熊は少しだけ惧れを含んでいたが、素直に嬉しそうだ。
「…ただいま」
お土産があるんだよ、と先ず苗を取り出し置いた。
「行者大蒜か。試みるのは初めてだ」
菫に大粒の苺のパックを箱ごと渡す。
「えちごひめ。岩舟の龗のお気に入り」
「ふわぁ、いい匂い!」
熊にはミックスの豆を差し出す。
「丸くて小さくて可愛いでしょ♡豆ご飯、お願いできる?」
「勿論!明日の朝にでも!」
靴をやっと脱いでメイアンは上り框に立つ。
「忠遠、改めてただいま。帰って早々迷惑かけて、すまない」
「気にしておらぬ。そうか、龗達に会ったか」
「九頭龍さんが連れ歩いて、交代で車になってたよ。まさかのアバルト〜」
「アバルト?聞いたこともない」
「あはっ、日本じゃディーラーさえ見かけないもんね。シートが足らないものだから、片割れは常に小型犬。鳥屋野潟、海底トンネル、天然湧出の石油、海底油田に風力発電。一気に色々、もう!」
「左様か。玄関先で押し売りのように語るな。夕餉を」
忠遠は満足気に頷き、メイアンを座敷に通す。熊が三和土に突っかけで降りて、鍵をかけた。
風呂を浴びてタオルを首にかけたまま座敷に戻ると忠遠がいつものように雑に茶を淹れて差し出した。
「〰︎龗の淹れてくれたお茶が恋しくなる…」
「鳥屋野潟の話を聞いたのなら言うことは特に無くなったな。権現さまは説明が上手い」
そのレクチャーを受けても大成どころか最初の一歩目で躓いたままというのだから寒霏はあちこちで扱き下ろされるわけだ。
「陰陽が回っていなかったんだって…」
にや、と口の端を上げる忠遠にメイアンは口を尖らせる。
「全く、どこまでが回った情報で、どこからが垂れ流してる情報なんだよ」
「すまんすまん。良い状態なのを皆寿いでいることだけは知っておくべきだな。権現さまが陰陽という根源の説明をなさったことは大概の者は知っておる。だからといって不調な状態を改善したりはせぬ。それは己のものだからな」
「仕組みを知るだけで回せるようになる人もいるってことだ?」
「勿論、おる。だができぬ者もおる。そんなのは、如何ような学問や学究においても言えることであろ?」
「そうだね」
「新潟の、特に下越を往ったのなら、供をすることが多いのは岩舟の龗達だな。素直で弁えておるからの。この辺りまでだな、周知の事実は」
「それ以外は垂れ流してるのか…」
忠遠はくつくつと笑う。
「それだけのビフォーアフターを見せられてはな…朱鷺のきらきらした気を纏っておるし」
「わっ忠遠やめてよ」
「朱鷺の仙なぞ他に今はおらぬ」
「…いないの?」
「権現さまに言われなかったか?無限に生きられる仙だが、生に絶望すれば細胞から、組織から死んでゆく。種として絶滅に向かったとき、朱鷺の仙は数を減らしていったのだ。村上に居着いた朱鷺の子が仙として在ることは朱鷺という種にとっても希望なのやもしれぬ」
「そんな連動が?」
忠遠は首を振った。
「なんとも。そういう事象なのやも、程度でしかない。存在意義を問われると、なにも答えられぬ。メイアンは朱鷺の気を纏い、それも喜びで輝く麗しいものだ…自身も軽やかに陰と陽を回しておる。わかる者にはわかる、仕方ないことよ」
それを久我はマーキングされていると言い、門戸が開いていると評したのか。
「元の状態から好意を受け易いようにしておったメイアンだから、少々当てられるやもな」
先に言っといてよと抗議したくなるも、これを聞いておいたところで対処ができるものでもなさそうだ。
「陳腐なことを言うが、恋をすればきらきら輝くものだ。その輝きに第三者が魅了されるのもまたある事象なのだ。摂理だ」
「そっか…うぅっ、でも個人情報を丸裸にされてるようでちょっち羞いな」
「朱鷺とそれだけ想い合ってことに及ばなかったのは謎だな」
「ちょっとぉ忠遠!」
「ははは、揶揄い過ぎた。そうさな…陰陽や五行に限らずだが、巡るもの故…それらを見て使う仙にとって喜ばしいもの。同時に仙は人の形をとる、人とは制約の多い形…そこで芽生えるものを、特にきらきらと美しい恋など、皆嬉しく見詰めてしまう。ちょっと古いのだと思え」
「ハイソウデスカといくか」
「そうだな。こそこそする必要はないが、配慮はすべきとも思うね」
「難題じゃんよ…」
「配慮すべきはメイアンではないぞ」
「誰を指してんの」
「お節介で世話焼きな龗達では?」
「…出歯亀いっぱいって憶えておく…」
「ふふ。賀茂忠遠から祝儀代わりに音も気も遮断する結界を伝授しよう」
「忠遠の助平」
「心外だな。炎も風も防げるというのに?」
えっ、とメイアンは顔を上げる。
「入道の店で、暖海法師や入道が使っておった筈だが。張り方によっては相当なところまで防御できるが、会得しなくてよいのか?」
「するよ、するする!」
「それから、第三のクローンを見張りたいのだろう?」
忠遠は袂から折紙と古めかしい折紙の本を取り出した。奥付を見ると昭和五十五年とある。最早遺物だ。
「街中で使うには虫や鳥が良い。雀、鵯、燕、四十雀なんかが普遍的だろうか…虫ならなんでもいいが蝉や鈴虫だけは用途が限られる」
「あの、意味わかんないんだけど」
「鳴く虫は隠密には向かなかろ?どれかひとつでよい、本を見ずに折れるようになっておけ。折れるようになったなら、即使えるようにしてやろう」




