2023年5月、京都①
燕三条駅に寒霏を呼び出したメイアンはかなり不機嫌だった。ちょっと日本海の沖の方回ってくれる、と言って上空から黒川で捕らえた三人を蹴落とした。
「無体な」
「Fermez-la.」
昨晩届いた久我からのメールは村上の甘い空気を押し流してしまう威力を持っていた。それでも一初達には所用ができてしまったと苦笑いし、朝食を和やかに摂れたとは思う。出立を見送りに出てきてくれた一初とはどうしても離れ難く、つい強く抱き締めてしまった。おそらく三人共なにかには気づいていたのだろう。一初はやわらかくしかし強く抱き締め返してくれたが、いっちゃん、と呼ぶしかできなかった。折角ここまできたのだからとフライパンは燕三条でいい値段のものを買ったが、もうそれ以上のことを為す気力が沸かず、忠遠に迎えを頼み、今空の上となっている。
「そろそろ着くぞ」
「Ça va.」
螺旋状の軌道を描いて寒霏は庭に降り立つつもりらしい。もうちょっとなんとかってできないのかと思ったが口に出すのも今は嫌だった。
強烈な重力加速度と耳に加圧の耳鳴りがしたがそれを呑み込んで、着地と共に寒霏から飛び降りる。庭先には和装の忠遠が佇んでいた。
「お帰り。久我ならまだ同じ店に入っておる」
「わかった」
直ぐに出ようとしたメイアンの腕を忠遠は掴んだ。
「待て。そのまま行くでない」
忠遠はメイアンの前でひらりと掌を振った。
「仙が人の姿をとる変化と同じものをかけた。映像には残らない。バイクにもかかっておる、安心して街を走れ」
「ありがとう、助かるよ」
メイアンは軽く頷いて出て行った。辺りの靄がすっと流れて寒霏が人の姿で見送っていた。
「…メイアンになにか言われたのか?」
「ふぇるめら、だったか…降りると言ったら鯖と」
忠遠はくすっと笑う。
「それで黙っておれたのなら及第点だったな」
廊下でぱたぱたと跫がして菫と熊が駆け出してきた。
「なんでへっぽこ龍鯉しかいないの!メイアン行っちゃったの⁉︎」
「小猿は五位鷺のところにすっ飛んでいった。昨晩五位鷺が夜勤に入っていたコンビニにはーば?に似た男が来たって連絡してきただろう?」
熊は侮蔑の目を寒霏に投げつける。
「固有名詞も憶えられないとは情けない」
「この小童が」
「乗り物以外に役に立つようになってから言えばいいのに」
熊はつんと横を向く。
「よさんか。メイアンは今晩は戻ってくるから、夕飯を用意しておいてやりなさい」
「はーい」
北白川のコンビニは学生でごった返していた。メイアンはUSBメモリをひとつ持ってレジへ並ぶ。久我が二つあるレジの片方で会計を担当していた。あと数人という段になってやっとメイアンに気づいた。上手く久我の方のレジに当たるかなとぼんやり待っていると、久我は隣のレジのスピードと客の持ち込む商品の量で調整するかのようにレジを打ち、メイアンを自レジへと呼び寄せた。
「お待たせ致しました。レジ袋は必要ですか?」
「要らないよ」
「畏まりましたぁっ」
さり気なく右親指を画面の下の部分に当て小声で囁く。
「このレジの横の茶色いドア、事務所。入ればパソコンが置いてある。監視カメラの映像出したままになってるから、直ぐわかる。880円になります。ポイントカードはお持ちですか?」
金額のところで指を外したが手はまるで画面を支えているかのように外さない。
「いや、ない」
現金を置くとさっとレジ機に入れ、釣りを返してくる。
「120円お返し致します。事務所にもカメラあるけど大丈夫かな?」
カメラの内容になるとまたレジ機のマイクを塞ぐ。
「忠遠が対策してくれてる」
「ありがとうございました!またお越しくださいませぇ!」
レシートの両端に赤線がついている。久我はまるでメイアンの会計が終わるのを待ちかねていたように画面を跳ね上げ、レジロールを交換した。そういう前駆体勢だったことにするわけね、久我もやるでないの、と口の端を上げて事務所に入り込む。狭い上にロッカーだのユニフォームの洗濯袋だのがあり、5/2新商品さわるなと書き殴ってある箱が積み上げてある。決して適当に事務所に放り込んであるのではないのだが、倉庫代わりに使う場所ではない故に事務椅子に座ると凄まじい圧迫感がある。崩れてくることもあるまい、とマウスを手に取った。多分時間表示が操作できる部分かな?とあちこち触って昨日メールで久我が伝えてきた時間帯を探す。どこだ。九分割された画面の中に目を走らせる。レジ。レジ前。キッチン。チルドオープン冷ケース前の通路。中央通路。窓際の通路。冷蔵ケース。事務所。…駐輪場にもカメラあったよな、と事務所と映像を入れ替える。まだカメラあったぞ、とキッチンとコーヒーマシン前と入れ替えると入り口も映っている。メールが届いたのが十一時過ぎだから、その前三十分程前と考えるのが妥当か…早送りをしてその時刻まで近づける。そういえばなんで久我は映っているのだろう、とあらぬ方向へ思考が逸れ始めたそのとき、入り口に異質な装いの人物が現れた。ミリタリーライクのフロックコートを襟元まで確り閉じている。色はベージュに抑えてあり街着としても違和感をないようにはしているのだが、足元がタクティカルブーツ、ズボンの裾がレースアップの靴の中に仕舞い込まれている。色は黒かと見紛うが、かなり濃いミリタリーグリーン…所謂ブラックグリーン。靴も同色だ。コートをウエストマークしてないのはコートの下は武装しているからやもしれないな、と嘆息しながらその画面からその人物が切れてしまうまでを買ったばかりのUSBメモリに入れる。その男はレジ前を通りベーカリー傍にある固形食を幾つかと、冷やしていない2ℓの天然水を数本抱えて戻ってきた。男が映るすべての部分を都度USBに落とし込み、メイアンは考える。糧食を調達したという様子だが、なにも用意せず京都へ乗り込んできたということなのだろうか…?レジ前で思いついたように板ガムをやはり複数追加し、煙草を注文しながらレジ台にこれ見よがしに置いてあるライターもひとつ加える。レジを打っているのは久我ではない。久我はできあがったばかりの揚げ物を温蔵ケースに丁度運んできたところで、男が銘柄で注文した煙草を取ってレジ係に渡してやる様子が映っている。男の顔に気づいた。が、気づいてない風をさっと装って熱心に揚げ物を並べる。男は煙草の銘柄の確認で久我の察知には無頓着だった。全てをひとつの袋に纏めさせ、現金で支払うと男は久我には頓着せずすたすたと店を出る。出て直ぐ左に曲がった。ここの店には外回りは駐車場は無い。車で来ていたとしたら、路上駐車だが、車のロックを解除するような動作が無かった。キーレスエントリー?否、雑誌コーナーの窓に外を歩く男の姿がある。そんなに窓際を歩いていたのは何故だ?建物から離れる必要がないからだ。この店の二階から上は住居になっている…アパートというか、マンションと言うべきか。成程、大学近くでコンビニが幾つもある場所なのにここを選んで態々買い物をしたのはこの上階に拠点を構えたから。
…久我から辿られたのか?これについては確かめる必要があるな、と全ての状態を元に戻して撤収することにした。USBメモリをポケットに入れ事務椅子をデスクに戻し入れていると、入ってきた方とは逆側にあるキッチンと繋がっている方の扉が開いた。久我だった。
「ごめんね、忙しいときに」
久我はメイアンを気遣って様子を見に来たかったらしい。しかしレジから離れられず、客のキャンペーンの景品の受取に乗じてやっと事務所に来たようだ。
「操作、わかった?」
景品を探しながら久我は心配気に問う。
「大丈夫。仕事、何時まで?」
「十四時。もう直ぐ交代が来る」
「Compris. merci. 終わったら忠遠の家に来い。待ってる」
久我が入ってきた方の扉から出ていった。メイアンも事務所から出てバイクに跨ると、一度建物を見上げ、とっととその場から退散した。




