2023年4月、福島④
食堂と名がついていたが入ると直ぐ精肉コーナーだった。ガラスケースには牛豚鶏が挽肉まで並べられていたが、オープンケースにはソーセージなどの加工肉も並んでいるが、これは仕入れたもの。上段に赤身の肉がある…
「あったぁ!」
強烈な印象の女将が突っ慳貪に幾つ、と問う。静粛に!即返事!という雰囲気は先程の店に似ている気がする。
会計を済ませる間、一初は店内を見回してみる。扉がありそちらが食堂になっているらしい。その扉の傍に指名手配犯の顔写真が張り出されているのはなんとも違和感甚しい。
「見て見ていっちゃん、これにも味噌ついてる〜♪別袋入り〜♪」
スカートを穿いていたら綺麗にプリーツが広がりそうなターンを決めて馬刺を袋ごと差し出した。
「こら。こんなところでくるくる回らない。迷惑だろ」
「はぁい」
止まっていたにもかかわらず、新たに一歩踏み出そうとしてメイアンはバランスを崩して蹈鞴を踏んだ。
「っとぉ」
一初は慌てて腕を差し出し傾いた先に身を入れた。メイアンは腕にこそ掴まったが足許は耐えていた。だがメイアンは更にもう一歩踏み出し、一初の胸にぽすっと頬を埋める。
一初はかなり声を低め、メイアンの耳だけに届くよう言った。
「小聡明い」
「へへっ、ばれた」
とんとん、と軽く肩をたたいて立て直してやると、メイアンはするりと上腕だけを絡ませた。またお越しくださいなどの見送りの言葉もない女将はもう別の作業をしていたが、微かな視線だけを感じつつ店を出る。
店外でもまだメイアンは一初から離れようとはしなかったが、悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべていた。
「…女将の心を乱してみた」
「だろうと思った。おれはとんだ迸りだ」
「いっちゃん?いちゃいちゃするのは嫌なの?」
「おれも一応硬派な越後男なんでね」
「ははっ、そういうのいい♡断っておくけど、いっちゃんじゃなきゃやらなかったよ」
「釘刺そうと思ってたのに先回りされた」
ごめんね、と小さく呟いてメイアンは手を離した。
「積極的なのをどう受け止めたらいいのか、想定外だった。嬉しいのか、恥ずかしいのか、公共の場所でやるなって倫理が腹を立ててるのか、ぐちゃぐちゃだよ」
「おんやぁ?他人目が無くなったらいっちゃん大胆になりそう〜」
「ああ、多分なるな。おれの自制心なんてそんなものかもしれない」
「ということはそういう状況下の妄想は目一杯してるってことだね?」
「…ったり前だよ」
あら素直、と危うく声に出すのを留める。
「みっともないとこ見られて幻滅されるのは嫌だ。ダサいってふられたら、一生ものの傷になる。メイアンの心が離れたら、その先がなにも見えない。メイアンの記憶に間抜けなやつとして残るのも嫌だ。本当に嫌なんだ」
メイアンは黙ってエンジンだけかけて、言った。
「愛いやつめ」
「褒めてない」
「幻滅かぁ。最近流行りだよね、蛙化現象」
「好ましい対象がいきなり醜悪に見えて好悪が逆転するって…あれ?」
「うん。都合のいい言い訳じゃん?」
「でもそんな風に嫌われたくない」
一初はタンデムシートに横向きにへなへなと腰を下ろした。
「嫌う、か。互いによくわかってなかった結果だよ。男の箸の持ち方が気に入らないから蛙?化粧を落としたら眉が無かったから蛙?カスハラしたから蛙?はい次ー!とか全てに失礼だ」
「メイアンは、違うの?」
「そういう気持ちを持たないとは言わないよ。でもさ、…強烈に人を好きになってこなかったから余計に思うんだよ。その一瞬一瞬をなにも解決しないで蛙だと言って切り捨ててる醜悪さ。どこの独裁者だよって」
メイアンも並んで腰を下ろす。
「眉が無いのには驚くだろうけど、そこまでの劣弱意識を間違った方法で改善しようとしてきた、その現在なんじゃん?箸、そんなに自分も美しく持てているのか?上手く使えていないことを一欠片も気にしてないのか?カスハラ現場を十回見たとして、そうじゃない現場は無かったのか?ちゃんと検証してたら、はい次なんて言葉は出ない」
「どうして?」
「男が女の前でカスハラを見せるのって、かなり複合的じゃん。立場が強いことを見せつけたい。弁が立つことを示したい。勝利するところを見せたい。こんな幼稚なところから端を発して、段々とエスカレートしてしまうもの。一度二度と優越感を味わって成功体験を得たら、そりゃ何回も繰り返すだろうさ。そんな嗜虐性を育て上げた女にも問題があるってことさ」
「ま…まあ、あんまり見栄を張らなければよかったんだろうね?」
「箸は握力だけじゃなんともできない手の細かい筋肉を鍛える必要がある。甘やかされてきたそんな部分をどう扱うかは、蛙で切り捨てるのとは違うだろ」
一初は膝の上で拳を握り締めた。
「欠点は未熟な部分だ。誰が成長させる?親か。社会か。自分か。成長し切ったやつには理解し難い部分だけど、そんなやつに別の欠点、未成長なところが無いなんて言わせないよ」
俯いたまま一初は呟くように問う。
「メイアンは、見捨てないのか?」
「…わからない。即断は、しないつもり」
落胆を一初は吐く。
「愛いやつめ♡」
「酷くない?」
「ぇえ?だってずっと努力中って言ったのいっちゃんじゃん?」
「いや妄想してるんだって」
「シミュレートだろ。失敗だったら指摘してやる」
「それはそれで傷を抉る…」
「傷なんか治せばいい。もし本当に互いを捨てたなら」
一初は真顔でメイアンの口を掌で塞いだ。
「不吉なことを言うな。おれがその修復も全部妄想しておくからっ」
ゆっくりと一初の手を両手で外し、大切なもののように持ったままメイアンは言った。
「いっちゃんだけにさせるつもりはないよ。この背中に残った傷をいっちゃんは慈しんでくれたでしょう。そういう風に扱いたい。これはいっちゃんが教えてくれたこと」
一初はメイアンの指を巻き込んで握り込んだ。細かく震えていた。
「う、う、う、糞っ、今ここでメイアンにキスしたい…」




