2023年3月、京都④
「浮かぬ顔じゃの」
家電量販店に忠遠と連れ立ってやってきたものの、メイアンの眉間には皺が寄ったままだった。昨晩クレイウォーターとワグネルの癒着を聞いたからではない。グローバル経済などと叫ばれて久しい昨今、金の流れが巡ってしまうのは仕方ない。仙であって仙でない姉妹、こういうケースもあるのだろう。無事に希望の銃火器も手に入り不満があるのでもない。要はもやもやが積もり積もって明快な結論が出ない。
「あぁ、ごめん…気分悪いよね」
「よい、よい。表情は己のものじゃ、咎め立てしたつもりはない。お前さんの顔まで曇らせたのは寒霏の無礼なら」
「あれは仕方ないんじゃん?逸そ熊達と小学校から通わせたら治るんちゃう?」
「それな…そうしたいのは山々なのだが、寒霏はあの姿以外になれぬのじゃよ…」
忠遠は頭痛がする、という風に息を吐く。子供の姿になれなくば場違いなこと甚だしい成人の姿で澄ましている寒霏がランドセルを背負っている姿を想像して吹き出してしまった。忠遠も連られるように破顔した。
「人というものは、他の動物と決定的に違う部分がある」
「へぇ?」
「表情筋があって、割と随意に動かせるところだ」
「…そうなの?結構犬とか…」
「犬。そうさな、犬は狼と決定的な違いは上目遣いができるかどうか、だそうだ。しかしな、それ以上でも以下でもない」
「うーん…」
「幼態成熟の進んだ犬猫を基準にすると解り難いぞ。いずれにせよ野生生物に表情を見出すのは、人間のエゴだ」
「まあ、確かに動物の顔、フレンドリーに見えてその実物凄く嫌がってるとかって、よくあるよね」
「そうだな。人は進化の上で嗅覚によるコミュニケーションも、囀りのような単純音声の仲間意識も捨ててきたそうだ。結果、言語による理解と視覚による瞬発的な判断に特化したのだという」
「だから話し合って顔をよく見ろって?」
「ははは。今それすらも捨てようとしているがな。まあ笑って過ごしているというのは、非常に判り易い記号だな」
「ぶっすーとしてたのは、謝るよ」
「構わぬよ。お前さんは比較的簡単なことで笑うなと思っただけじゃ」
エスカレータに乗ると先に乗ったメイアンは一段低い忠遠に向き直った。
「傭兵なんかやってたから、簡単なことで気分をさっと盛り上げる癖がついているのもある。でも小さい困難にちょっとだけ立ち向かってるのとか、良いなって思うわけよ」
「ほう?」
二階に到着してしまうメイアンはタイミングよく後ろ向きのまま踏み出す。
「菫がよくお菓子の袋とか綺麗に開けようとして四苦八苦して、成功させたりするとあの子の大喜びに連られる。菫は上手くできたことに喜んでるんだけど、こっちは実はそんな菫の要るんだか要らないんだかどっちでもいいような努力を寿いでいる。そんな感じ」
エスカレータを乗り換えながら再度忠遠に向き直る。
「忠遠?あんたが何者なのかよく知らないけど、割りかし人間好きだよね」
「どうだろうか」
「あは、早く人間になりた〜いみたいな傾倒は無さそうだけど、好意的だ。だからって贔屓の引き倒しになる程肩入れもしない。違うかな?」
忠遠は手を伸ばしてメイアンの額を弾いた。
「痛〜っ」
「妖怪人間は古い」
「わかる忠遠が憎い」
悶絶しつつそれでも踏み外さず次の階に降り立つ。
「携帯は国内専用にせい。海外で使いたいなら現地で調達した方が後腐れ無い」
「〜っくぅう、無駄に社会に馴染みやがって、腹立つぅ〜っ」
にやりと笑い、忠遠はメイアンに早く選ぶよう促した。
MacBookをセットアップしながらニュースを見ていると、バフムトの戦闘映像が映し出された。
「うわ、酷いな」
「なにが?」
流石に甘い麩菓子一辺倒では飽きたのか、醤油煎餅を齧りながら寒霏が問う。
「焼夷弾馬鹿すか撃ち込むのなんか、戦争の常だろう。太平洋戦争ん時東京とか凄かったぞ」
珍しく声が固い気がするが、煎餅を食べながらだからかな、とメイアンは拘らないことにする。
「焼夷弾にも種類があるんだよ。ナパーム弾に代表される油脂焼夷弾ってのと、酸素がなくても燃焼するテルミット焼夷弾、それから黄燐焼夷弾とか。まあ、燃焼させる物質で大まかに分けてある」
「てるみっと?」
「やだこいつ。テルミット反応とかゴルトシュミット反応っつってアルミニウムで金属の酸化物を還元する反応のこと…あー、全然理解できてないって顔だな。カンピー、お前本当に小学校からやり直してこいよ」
「やり直すもなにも、そんなところ通ったこともない」
「うわ、もっとやだ」
口を尖らせながら寒霏は言う。
「そこを知って殺し合いをする人間よりましだ」
「無知の勝利」
「むかつくな小猿」
「己の卑小さを知ったか。ひとつ知が増えたな」
歯軋りする寒霏を横目にファイルの展開を待ちつつテレビ画面に再び目を戻す。夜間なのだろう、暗闇に白く爆撃が映り、次々と増える。そしていつまでも光っている。
「どう酷いのか、俺も知りたいところだな」
今日は和服の忠遠はメイアンの向かいの定位置に座るとまた雑に茶を淹れ始めた。
「あ我にも〜」
便乗しようと寒霏がそそくさと湯呑を差し出す。厚かましいのぅ、と言われても寒霏は頓着しない。
「大体焼夷弾っつのは、酷いもんなんだけどさ」
「面白いことを言う」
「面白いもんか。クシャナ殿下が焼き払え!って言うより酷い」
「どう酷い」
「目標を爆発で破壊するんじゃなくて、攻撃対象に着火させて焼き払うんだ。対象物を火災に追い込む。大量に爆撃すれば一気に火災が巻き起こって酸欠で死ぬ」
「確かに悪辣」
「工廠とか省庁を狙うのは仕方ないにしても一般市民を虐殺するような攻撃はちょっとなぁ…それに、あれ、意外と人間に直撃するんだぜ。槍のように降り注いで、人体を貫いて、そのまま発火するなんて、ざらさ」
流石に忠遠も気味悪げな顔になる。茶を三つに注ぎ分けて不満そうに寒霏の前に置き、メイアンには話を促すように置いた。
「今映っていたのは、多分黄燐焼夷弾の系統だと思うんだよ。テルミットも白っぽく光るんだが、金属価格が高騰してるしな、それに白燐の方が深刻な結末を生む」
「む?白燐?黄燐ではないのか?」
息を吹きかけてから湯呑を傾けようとした忠遠が止まる。
「燐っつてのは同素体の多い物質でね。黄燐は化学的には主に白燐と微量の紫燐で構成されてる。この紫燐ってのは白燐と混ざってると赤燐って呼ばれるんだが、白燐が日光に曝されるとこの赤燐になるんだな」
寒霏は理解を諦めたようだ。
「詰まるところ粗製白燐は赤燐を含む不純物だ」
「…粗製、ということは安価なのだな」
「そういうことになるね。白燐そのものは有機溶剤に溶けやすい、毒性の強い物質な上に、発火点は44℃と低い。その上人体に付くと剥がれない、なんとか発火を止めて包帯を巻いても、包帯をとって酸素に触れるや再発火なんてこともある」
「それを住宅地に使うのか?」
「一応禁止されてる。大体焼夷弾そのものが住民への使用禁止なんだ。けど十〜二十年前くらいから対IS用に米軍が使っている…あぁ、これ機密だったっけ、アハー」
態とらしくメイアンは乾いた声で笑う。
「禁止されてるのに何故配備されてるんだ」
「うーん。ナパーム弾の代わりに作られたとかなんかじゃなくて、作戦隠蔽の煙幕弾として作られたってことになってて特定通常兵器使用禁止制限条約の対象になってなかった…網を潜り抜けたってことさ」
忠遠は乗り出し気味だったのを戻した。
「全く仕様もない」
「Зачисткаの始まりさ」
メイアンは溜息を吐いた。
「ザチストカ?」
「掃討作戦」
「その地域に敵となり得るものが無くなればその作戦は完了なのであろ?」
「そう。敵がいなくなればいいのだから、投降させたり捕虜にしたりすればいいんだ。でもザチストカはちょっと意味が違う」
「その言い方だと捕虜にはしないということだな」
「ザチストカの元々の意味は浄化、なんだ。英語じゃmop‐up、cleanup、sweepっていうんだけど、ザチストカは鏖と壊滅を意味してる」
すると今まで黙っていた寒霏が先程の歯軋りとは異なるぶっすーと不満げな顔で言った。
「…どんな種類の兵器を使おうが、爆撃なんて結局焼け野原にするだけのことじゃないか」
「ん?カンピー?どした?」
彼が口を開く直前までメイアン自身が今の寒霏のような表情をしていたことに思い至る。つまりふたりは似たような感情に囚われてこの表情を作ったわけだ。何故か面白く思える。
「別に」
横で忠遠が低く笑った。
「これでも池や河川が故郷なのでな、干上る程の大火になった爆撃には並々ならぬ憤慨があるようだよ」
「水が無くなっただけだと思うな」
「ややや、忠遠?カンピーには並々ならぬどころではないようだけど?」
「思うところを語ってみぃ、龍鯉?」
「だから、別に…あぁあ、もう、小猿もドンバスで言っていたではないか。苦しい、辛いと。突然水が煮え滾って、毒が混ざり、腐って、涸れる。小猿には空気の話で、我らには水の話だという、そういうことだ」
鼻を中心に赤らめ、寒霏はぷいと横を向いた。メイアンは考えを一周させて忠遠を見る。忠遠も同じだったらしく、顔を見合わせる形になる。
わけもなくふっと息が抜けるように笑みが零れた。
…否、理由は、あるな。
寒霏と似た憤慨を持った。
忠遠と一瞬感情を共有した。
そうか、共感か。
「カンピーにもちゃんとしたとこあんじゃんかよう」
「なんだそれ」
「おかっぱのピンクの服の永遠の五歳に叱られるようなやつでなくてよかったよかった」
ばしばし背中を叩くと照れ隠しに俯くように湯呑を含んでいた寒霏が噎せる。汚ねぇなぁ、とティッシュボックスを渡して忠遠に向き直る。
「良くない状況だよな」
「戦争なんかやる時点で既に良くないがな」
「そりゃそうだ。早速取りかかろう」