1923年9月、ヴァール③
「…本当にフランスの方の家に認められてたんだ」
「ふふ、勝手にメイアンを名乗ってると思った?」
「だって四分の三日本人で父親が追い出されたなんていうからさ。その時点ではまだ仙じゃなかったんだな。その凄い傷は…」
一初は強く噛み締め砕いて油を搾り出すように目を瞑って、そして開いた。
「家族との優しい記憶で、家族に血統を認めさせた証でもあるのだな…」
「詩的」
「うるさいやい。ん?でも園芸家やってない、今」
「そうだね」
「続きがあるんだろ、話せよ」
「周囲は皆年寄りで死に絶えた、仙だから続けられなくなったってことで納得してくれると思ったのに」
一初はけろりと笑ったメイアンに阿保抜かせ、とむすりと呟く。
「まだ全然仙になってないじゃんよ。でかい傷が残る程の怪我をしても、傷痕が残るような酷い悪意を向けられたのに、痕が残る人間のままだ」
「…賢い」
「メイアンっ」
「話す。話すよ。確かに続きがある。結果傷害だったから、再従兄は死刑を免れてしまったんだ」
今はフランスでは死刑は廃止されてるからね、とつけ加える。
「廃止は1981年だから、論告に死刑を求刑できたんだ、まだ。でもこっちは生き残れちゃって、障害も残らない程度。裁判云々以前にもう再従兄が世に憚ることは誰の目にも明らかになってしまったんだ。多分最も意を得たのは再従兄本人だったことだろう。傷が癒えてきたころある夜脱獄してきた再従兄に内乱激しいスペインへ売り飛ばされたのさ」
「売り飛ばすって」
がぼっと麻袋のー、縄ぐるぐるのー、えっさかほいさだよ、とメイアンは態と軽く言う。
「スペインは第一次世界大戦では中立をとって参戦せず、変な好景気に沸いていた。でもそれは偏った景気で、貴族社会の残るスペインの所謂ブルジョワジーだけが富み、物価高騰とインフレで一般市民はもうぼろぼろ。国王アルフォンソ13世の社会改革はどれも上手くいかず、到頭国王承認でバルセロナ総督だったプリモ・デ・リベーラがクーデターを起こし、首相の座に就いた。軍事独裁政権の発足。イタリアを始めとする周辺国でファシズムが台頭して一党独裁が好調だったのに倣おうとしたみたいだったんだけど、スペインってちょっと変わってるっていうか…ファシズムが合う国民性じゃなかったのかなぁ。まあそんながちゃがちゃにしてるところに放り込まれたんだよ。ヴァールでは意気揚々と権利を主張しようとした再従兄だったようだけど、余罪がついて再逮捕。考えてみればさ、排除しようとなんかしないで形ばかりでも婚姻関係に持っていけば当主になれたのにな、とか倩考えながらスペインを脱出してきた。二年くらいかかっちゃったかな。父親は心労で亡くなってた。薔薇園は少し荒れて義祖母もすっかり弱ってしまっていたけれど、帰還をとても喜んでくれた。再従兄の祖父さんも咽び泣いて喜ぶやら再従兄を罵るやら、今までなるべく関わらないよう距離を置いてた再従兄の両親も略土下座の平謝り。謝る必要の無い人ばかりが謝罪と歓迎に泣いて騒いで。フランスに渡ってこなければよかったんじゃないかとか、そんなの一遍に飛んでったよ。血筋で呼ばれたけど、泣いて騒いでくれてる人達はこの家に、薔薇園守りに相応しいと…泣けちゃうよね」
一初の目が融けちゃいそうだ、とメイアンは微笑む。だから次の出来事を言葉にするのが辛くなるのだ。
「再従兄は再逮捕後、懲りずにまた逃亡してたんだ。帰還は直ぐに耳に入ったんだろう。中くらいの家に集まって帰還を寿いでくれてるところに闖入してきた。刃物持参で。自分の祖父を斬りつけ、父親を刺し、止めようとした母親を突き飛ばして…打ちどころが悪くて彼女はそこで死んだ。それに再従兄は逆切れして、義祖母に刃を向けた。義祖母は今度こそ傷つけさせまいと庇ってくれていて、刃を受けてしまった。再従兄の祖父が止めに入って深い傷を負った。次々と皆動けなくなってゆく。燭台が倒れてカーテンに火が点いた。動けなかった。恐怖とか驚きで竦んでいたのではなくて…血塗れになりながら守ろうと必死な義祖母にがっちり押さえ込まれて、再従兄の祖父が深傷なのに立ち開かって、暖炉の角で身動き取れなかった。もう殺人鬼だよね。それも尊属殺し。目的が過程でぼやけて、…再従兄は家を継ぎたかったのに、目が眩んだり勘違いして本質を間違えたんだ。家督をとれば家で一番えらくて金が自由に使えてになると本気で思い込んじゃったんだろう。中継ぎするだけのクォーターの小娘なのに、そこが見えなくなって、到頭祖父を刺した。ぎりぎり息のあった父親が這ってきて足を掴んだ。振り払おうとしたけれど、彼の執念には勝てなかった。父親が燃え盛る炎の中で義祖母に叫んだ。義祖母は炎で炙られ高熱になっていた火かき棒を、掌が焼ける音がしたよ…再従兄を刺し貫いた。再従兄は最期の足掻きで義祖母に刃物を振り回して…そこから記憶が無い。記憶喪失とかじゃない、焼けた家屋が崩れてきて瓦礫に埋まってしまったんだ。再従兄の刃物は一刃たりとも受けていなかった。あの優しい人達が全部庇って受けてくれたから」




