1923年9月、ヴァール②
メイアンはこてん、と一初の肩に頭を載せた。
「投げられた石を畑から拾い出して捨ててを繰り返して、をしてたら無愛想で不機嫌を隠した郵便屋が手紙を突き出してきたんだ。横文字だったからかもしれない。痩せこけて泥塗れで襤褸を纏った汚らしい孤児同然の子供になんで届けてやらなきゃならないんだって、そういうのだったかもしれない。くしゃくしゃになりかかっていた国際便を開くと、フランス語だった。フランス語だけは父親がね、だから読めた。その父親が死にかかっている、と義理の祖母からの手紙だった。直系の夫も亡い。それに連なる息子も亡い。父が他界すれば血が繋がっているのは到頭ひとり。だか呼び寄せられたんだ。渡航費用はぎりぎり工面してくれてた。身なりを整えて言われるままヴァールへ渡ったんだ」
「…父親、どうしたんだ?」
「結局スペイン風邪…インフルエンザ。高熱が出て、一応治るには治ったんだけど、酷く体力を落として。風当たりが強かったんじゃないかな。ストレスが追い討ちをかけたんだと思う。結構かかったけど、生きている裡に到着した。安心したんだろう、持ち直した。義祖母のほっとした顔は忘れられない」
一初は震える手を伸ばしてきた。迷って、メイアンの前髪を少しだけ直した。
「到着したときね…出迎えた義祖母は驚いていたみたい。きっとね、黒髪黒目の日本人が来ると思ってたんだろう。けどほら。伸びた髪、色が薄いだろ。瞳も茶色でも通るけど、緑を帯びてる。亡き夫の面影を見たに違いない。義祖母は強く歓迎してくれはしなかったけど、あたたかく迎え入れてくれて、穏やかに過ごさせてくれたんだよ」
一初は少し驚いていた。
「メイアンはなんだかんだ愛されていたんだな。なんかこう…どこ行っても爪弾き、な展開なのかと思っていた」
「うん。曾祖父母、祖父母、父母、と誰もが大事にして認めてくれてたし、義祖母だって含むところはどうしようもなくても嫌々なんてことは全然無くて。冷たかったのは関係無い人ばっかりだったよ。義祖母、父親と三人で部屋の余っているくらいの中くらいの家でゆっくり過ごしてたんだ。料理を教えてくれたし、あんまりものにはならなかったけど裁縫とか勉強も教えてくれた。次第に打ち解けたし、家の状況もわかってきた。メイアン家は分家で、本家は国際的な園芸会社を営んでいるということ…母系を否定しないから出番が回ってくることはないだろうけれども、一応本家のスペアだと。本家は多分あてにはしてないけれど、同じ姓を名乗っている伝手で細々だけど本家がやらないような地味で採算度外視の品種改良なんかをやって時折新品種を出してた。だから中くらいの家は一年中薔薇が咲き乱れていた。綺麗な庭だった」
牧歌的なのに何故か薄寒さを一初は覚えた。
「品種改良の仕事も手伝わせてくれたよ。何年か見極めて、跡取りにできるならしよう、そんな感じだった。けどね、跡取りになりたいやつがいたんだよ」
「直系を望んでたんじゃないの?」
「四分の三が外国人というのが気に食わないと本人は言ってたねぇ。義祖母から見て夫の弟の、孫だった。直系が相次いで身罷ったとき、お鉢が回ってくると確信してしまったのではないかな…だけど横合いから外国のそれもアジアの血が入った直系が現れ絶望。こういうアップダウン、嫌だったろうね。祖父の弟はね、もうこちらの事情には口出さないって決めてた。父を無理矢理追い出したのに、結局血が途絶えそうになることに、罪悪感がもう堪えられなくて堪えられなくてもう口出しもしない手出しもしない、と逆に他の親族を抑えてくれる存在になっていた。彼の息子も全然関係ない仕事に就て、そっちに邁進してた。ふふ、恵まれてるよね」
恵まれてないとは一初は発しなかったが、それを恵まれているとは言わないぞという顔をしている。
「九月三日だったかな。薔薇園の仕事をして農機具を片づけているところにその再従兄がやってきて、散々に口汚く罵るんだ。この家の跡を継ぐのは自分なんだと、まあよくきゃんきゃん吠える吠える。ときどき来てはその主張を繰り返していたから、もしそいつか園芸や経営でも学んで家業を継ぎたいからというなら譲ろうかとも考えたんだが、碌に学校も出てない、薔薇は疎か園芸になんか一片たりとも興味ない。親族を抑えてくれてるそいつの祖父も再従兄には継がせられないと言い切っていたのを親戚中が知っていて、そういう意味でもう跡取りが絞られてしまっていたそんな中のきゃんきゃんきゃん、だ。下手に反論すれば逆上する。でもそういうやつは黙ってても逆上するんだよな。突き飛ばされて散らばったのは片手鋸だったのがいけなかった。掴んで斬り下そうとしたけど、そんな動きは見切れてる。けどまさか返す手で斬り上げてくるとは思わなかった。油断した。ヴァールが地中海気候の暖かい場所なのが仇になった。薄着だったんだ。左腰から右肩へざっくり斬られた。笑いながら言うんだ。東京は、日本は未曾有の地震で壊滅したってね。帰るところも無いのだ、逸そ死んでしまえ…思いの外傷が深かったのか気が遠くなって、気づいたら手当てされてベッドの上だった」
「か…関東大震災、か」
「そう。初耳だったのもいけなかったよ。動転して、動けなかったんだもの。再従兄は警察に連れて行かれて、司法の手に委ねられることになった。祖父の弟も心配して駆けつけてくれて、過度なくらい謝られた。背中に傷があるもんだから、俯せで転がされてる苦しい体勢なんだからこっちも間抜けで惨憺たる気分だった。結局これで跡取りが確定してしまった。ここで罔象メイアンとなったんだ」




