1923年9月、ヴァール①
「フランスといってもね、広い国なもんでイメージ纏まんないでしょ」
「そうだなぁ。ぴんとくるのはどうしてもパリのエッフェル塔?」
「だよねー。パリはかなり北の方で、内陸だ。呼ばれたのはヴァール県といって、地中海に面したイタリアに近いところ。いや大正時代ったら移動手段は先ず船で、汽車で、最後は映画宜しく牧草運ぶ馬ならぬ驢馬車。着く頃には父親死んでんじゃね?とか思ったよ」
「メイアン、クォーターなんだっけ?」
「うん。曾祖父さんが花の育種を勉強しに行った先で祖母さんは生まれ育った。この人は曾祖父さんと曾祖母さんの子ね。で、そこの家の子と懇意になって、父親が生まれた。これがこの話で今死にかけてる人。この時代にもまあまあ差別があったんだけど、曾祖父さんが多分育種に相当情熱的だった様子を見て、地域の人々に上手く溶け込めていたんだわ。けど、固いところはまあ固いもんで、父親はやっぱり肌が白くないもんだから曾祖父さんの育種研究もひと段落ついたってことで帰国の序でで父親も連れ帰ったわけ」
「そこの家の長男なんじゃん?」
「だから固いところは固いんだって。今みたいに核家族じゃないから、家のことは親族が口出ししてくる。祖父さんに当たるこの家の子は多分祖母さんが内縁状態だったのだろうから、帰国という口実に上手く擦り替えられて長男ごと日本に追い払っちゃったってことに。でも度々手紙が来てたみたいで、泣き別れだったのは確かみたい」
「なんかのシナリオみたいだね…」
「祖父さんは再婚を余儀なくされて、如何にもフランス人〜って女性の間に子供をひとりもうけたよ。今の時代なら噴飯物だけど、そういう時代だったんだ」
一初はぽりぽりと頭を掻いた。
「淡々とし過ぎだろ」
「だってもう曲げようのない事実だから。で、父親は帰国したらまあそれなりに濃ゆい味つけが好きな女がいるもんで、まんまと結婚した。子供も生まれた。大正の初めの頃」
「なんで漠然としてるのさ」
「まだ数えで歳を数えてたもんで、ぶっちゃけちゃんと憶えてない。あはー」
「メイアンは自分のことには雑」
言うねぇ、と笑って続ける。
「ここで世界的パンデミックが襲いかかる。スペイン風邪だ。恐るべきウィルス病」
「…インフルエンザか」
一初は渋い顔になった。大正7年から10年にかけてだっけ、と唸る。
「大正10年で収束したが、なくなったわけじゃない。ある程度対処できる伝染病になった、というだけ。なにせまだ電子顕微鏡の無い時代だよ。野心満載の野口英世も光学顕微鏡頼みで結果黄熱病ウィルスに辿り着けなかった。そこから凡そ八十年後オセルタミビルが開発されて、ザナミビル、ラニナミビル、バロキサビル・マルボキシル、ペラミビルと続々とノイラミニダーゼ阻害薬が開発されたけど、これらは発症時間を短縮するだけで、基本体力を取り戻すことで治ったとする。スペイン風邪のパンデミック当時の栄養状態や衛生環境からばたばた死んだよ。大山捨松だってこれで命を落としたからね」
誰だそれ、と呟くと、メイアンはにや、と笑った。
「斯くして残ったのは父親と子供だけとなった。盾になる嫁がいなくなり家計も逼迫してくると段々と石を投げられるようになってくるんだな。第一次世界大戦の反動による不況で、皆んな生活が芳しくない。公認で八つ当たりできそうな存在がある。こういう感じ」
「公認って、誰がいいって…っ」
メイアンは先程の覗き込んだ姿勢のまま指を伸ばして一初の唇を押さえた。
一初はその手を掴み、唇から数センチ離させる。
「そういう諦観はどうかと思う」
「…庇って立ち開かってくれてたら、きっと泣いてたよ」
「泣かなかったからこんな変梃になるんだ。なあメイアン、感情を発露するのは人間の身体だけだぜ」
忠遠が人間以外は表情を持たないと言っていたなと思う。
「陰性の感情の出口が無いの、よくないの知ってる筈だ」
「わかるけど、他の動物だって、無いじゃん。理屈が通らない」
一初は首を振る。
「感情に陰と陽があって、感情はどちらも表現できるだろ。陽を表現することに誰も歯止めをかけやしないけど、陰の表現は憚られると抑え込まれることが多いだろ?片方だけ、というのは駄目なんだ。バランスが崩れる」
鳥屋野潟の弁天橋に桜が舞い、柳絮が飛ぶ。九頭龍も言った。片方が増大すれば比例してもう片方もエネルギーを取り込み釣り合おうとする。縮小すれば不要なエネルギーを放出してその小ささに倣おうとする、と。陽の表現ばかりで陰が押し留められたら、放出されるべきエネルギーが裡に籠ってしまう…。
「鳥なんて顔動かないぜ。羽をばたばたさせるのが関の山。人の形になってみて笑ったり怒ったり、内側で陰陽が強く回り始めたのには本当に驚いたよ」
だから人以外の仙は人の形を先ず得るのかもしれない、とメイアンは思った。
「メイアンに石を投げたやつなんかもう全部くたばってるんだろうから許すとか許さないとかの次元を飛び越えちゃってるんだよな。おれ格好悪。ただ穿り返しただけだった」
メイアンの手を離し一初は顔を覆った。
「いや、すっと軽くなったよ。なんか滞っていたんだな。恨むとかに感情を膨大化させなくてよかったよ。父親もいなくなって誰も頼れなくて、もう食べてくのだけに必死だったから」
「なんで父親がいなくなった?スペイン風邪は乗り越えたんだろ?」
「それこそフランスの跡継ぎに問題が生じたんだよ。ぶっちゃけちゃえば、跡継ぎが次々と死んだんだ。父親の親父も、親父の腹違いの弟も、皆んなスペイン風邪でやられちゃったのさ。遺された父親の親父のフランス人妻は血統が途絶えるからと義理の息子がいることを思い出して呼び寄せたんだ」
「なんでついていかなかった」
「あは、お足が無かったんだ。一人分の渡航費でも心許なかったくらい。それにね、変な瘤がついてない方が跡取りとして受け入れてもらい易いでしょう」
一初はぐしゃぐしゃと髪を掻き毟る。
「わかるけどわかっちゃなんないぃいぃ!」
慰めのようにぽんほんぽんと肩を叩く。
「人類の歴史ってさ、人類そのものの成長記なんだよ。あの時代はまだ苛めっ子気質が残る拙い段階なんだ」
「勘弁してやれってか」
「腹立つのは自由だ。怒りの原動力が成長に必要なときもある。このあとじゃん?世界中で民権運動が起こるのは、さ。でもまだBlack Lives Matterとか言ってるから、途上なんだろう。直ぐ帰ってくるんじゃないかって楽観してたところもあった。時間が経てば経つ程に時代と事態は悪化して、罵声は怒号になってった。なんでだったんだろうなあ、そこから動く気が起きなかったから、ずっといた。帰ってくるの、期待してたのかな…」




