2023年4月、新潟㉝
「ごめん、逸れた。メイアンが対峙しているのは、ちょっと頭の螺子飛んじゃってるんだって痛感したよ」
メイアンは目を伏せる。
「…ごめん…」
「メイアンが謝るの、違くね?」
メイアンは首を横に振る。
「原因を作った。もっと早く仙だと自覚して、目をつけられ易いところなんかにのこのこ出入りすべきでなかった。全ての仙を危険に晒したんだ」
膝の上で拳をそれぞれきつく握り締める。
「グレイシャ計画が企んでいることを阻止した方がいいのはわかってる。阻止するさ。でもどうしたらいい?ぶっ潰さなきゃなんないのに、どこにいるんだ?頭は誰だ?資金源は?…無力だ」
「だから!」
一初は熱りたって椅子を蹴って立ち上がる。しかしメイアンの正面に立ったのは、クラだった。
「仙がこれだけ点在していて、不如意に生まれる…メイアンに白羽の矢が立ったのは不幸ですが、いずれ誰かに起きることでしょう。戦い方を知るメイアンである意味良かったのかもしれません。今から作戦を立てるんですよ。無力を嘆くのは尚早です」
「いっちがこっちの情報収集係だよ」
タカは肘を突いたままのほほんと言った。
「メイアンさぁ、仙のこと舐めてる」
「ない!」
「いっちは確かに攻撃力低いですけど、全ての仙がこうではない。四条さまや亥の入道さまなど凄まじい使い手ですよ」
玉杓子を振った入道の超越的な驚異を目の当たりにしている。防戦一方であったが。忠遠は紙に点をひとつ打ったきりしか見ていないが。
「ぜ…全員が使い手ではないでしょうよ」
「大なり小なり、ですよ。大概、化けますし」
ぽん、と肩に手が置かれた。
「仙に危惧は常にある。顕在化したのみよ。長いたたかいになるだろうが」
九頭龍だった。
「…焦るな。仙には時間という優位性があるのだ」
メイアンは頷くしかなかった。確かに仙に有利な点は多いだろう。しかしグレイシャ計画側にはそれでは凌ぎきれない執念のようなものを感じるのだ。
風呂を借りて湯に浸かってみると夜はまだ肌寒いのだと気づく。忠遠はこの事態を見越してメイアンを送り出したのかと思うと冷汗が伝う気がする。
浴室の前に誰かが立った。
「メイアン」
「いっちゃん」
いっちゃんはやめろ、と呟かれて湯から立ち上がろうとすると、人影は慌てたように扉に背をつけた。
「たっ、立たなくていいからっ」
「そぉ?えっ、それ気にする?」
「おまえ恥じらいがないぞ」
「いや、異種族の前で恥じらう必要がわからない」
「あのなぁ!人に化ければ人体を再現するだろうが!」
「あ、そうなの。そうだね?」
人の形を得ると人体に関する倫理観も得るのかと思いながらメイアンは浴槽の縁に内側からだらしなく雪崩かかった。
「どうしたの。急ぎ?」
「違う。タオルどこにあるか言ってくるって、来た」
タオルくらいどこにあるかわかる。とってつけた口実だ。
「…いっちゃん、そんなに急ぐことはないんだよ」
「先回りすんなよ」
「ごめーん。自尊心と道義心が鬩ぎ合っている間はやめといた方がいいこと、多いから」
一初は気抜けたように笑ったようだった。
「言いたいことは、馬鹿みたいに沢山あるけど、メイアンがそう言ってくれるからもう少し先にする。でも」
一初の口許は相当な努力をしているのだろうな、とメイアンは想像が走ってつい緩む。
「…あ、ぁあぁありがとうっ」
メイアンは手を伸ばし、浴槽に前のめりに寄りかかったまま浴室の扉を開いた。案の定一初は言葉を絞り出すべく下向きで、浴槽から見上げたメイアンと視線が搗ち合った。
「あっ開けるなメイアン!」
「いやいやそれは目を見て言わなきゃ駄目な言葉でしょ〜」
前は隠れて見えないよん、とへにゃりと笑うと一初は真っ赤になって反駁した。
「尻は見える!」
そこまで言って本当にメイアンの身に目をやったのか、突如はっと息を呑んだ。
「…なんだその傷」
「ああ、これ?所謂袈裟懸けだね〜」
右肩から左腰にかけて一直線に傷痕があった。
「仙は痕は残さず治る筈だ」
「うん、だから多分仙になる前だね」
一初は呆気に取られ言葉を失っていた。
「…知りたい?」
にやっと笑って投げかけると、やっと一初は己を取り戻したのか戸を閉めた。だがまだ話をしたいようで細く隙間が空いている。
「そういうの、ぺらぺら喋るもんじゃないだろ」
「えぇ〜?こんな風に斬りつけられるなんて相当殺意と勢いがないとできないじゃーん?目眩くスリルとサスペンス、衝撃の展開と結末だよ?あ、結末はしょぼいか」
「おいおい…」
「あ。でも今語り始めるといっちゃんがタオルの在処を探して天井裏まで剥がし始めたくらいになっちゃうな。あは、後でね。ねぇねぇいっちゃんなんでお礼してくれたの?」
「糞ぅ、そういうのあんまり突っ込むなよう」
「うん不粋だってわかってるよ。でも教えてよ」
一初は半ば涙目である。
「不様だ…言うっ、言うからにやにやすんなっ。メイアンがグレイシャ計画のことを持ち込んだのは、はっきり言って迷惑なことだと誰もが言うだろうし、おれもそう思う。当事者がメイアンで合理的によかったと思う。でもメイアンだって被害者で、そんなことがメイアンに降りかかっているの、見るのもおれ嫌だ。それでも思うんだ…おれも、クラさまもタカさまも、自分達の周辺だけ安穏としていて、退屈で、ぼーっとしてて…駄目な人一直線っていうか。ぼやけた日常なのに、それを改善なり打破なりしようともしない。緩く死にかかっていたのと同じだった。だからありがとうなんだっ」




