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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年3月、東京①

熊と菫のラザニアは大層旨かったな、と思いながらメイアンは風呂から上がった。ふわふわに乾いたバスタオルは快適だ。ドライヤーをかけなくともあっという間に髪も乾く。もう寝るばかりだが、荒唐無稽な漫画か推理を巡らす小説でも多少読んでから眠ろうかと迷いながら歯を磨いていると、脱衣場のレトロなフローラ硝子の引き戸の向こうから忠遠を声をかけてきた。

「メイアン。これから出かける」

「おう、行ってらっしゃい」

「お前さんも行くのだ。透けておる、早く服を着ろ」

「ひひひ、忠遠不純〜♡」

どこ連れてく気だ?と訝りながら取り敢えずTシャツに袖を通す。この時刻というのが引っかかる。少々侮らせるような装いがよいだろうか。自室の箪笥を開き少し漁る…プルオーバータイプのフーディは厚手で濁ったブルーグレーにして、ブラックデニムの切りっぱなしショートパンツを合わせる。丈は長めでなんとなく頭が悪そうだ、とダークグレーのデニムジャケットを重ねる。フーディのフードを出してジャージ素材を強調。ストリート系っぽくなったかな?と踝がしっかり隠れる靴下も、黒。ナイキのカイリーがエメラルドグリーンだから、更にチャラい感じになる。エンゼルスのキャップが赤ではなく黒というのは如何にも流行りに乗った感じになるかな?と深めに被ってみる。ファッションアイテムとしてのキャップは被りが浅くていい感じに金髪を強調してくれる。

「忠遠〜用意できたよ〜」

もろに緊張を隠してる風に発してしまったな、と思ったがそれすらも忠遠には見抜かれたらしく、ふ、と息の抜けるのが聞こえた。なんとも悔しく憎たらしい。

卯月に入ったというのに忠遠は黒ののっぺりとしたロングコートだった。ロングノーズの黒革の靴という組み合わせがなにも悟らせないような拒絶感を醸し出している。襟元から覗く杢グレーの薄手のタートルネックが嫌味な感じだ。

「…気負わせたか」

「身構えたつもりはないんだけどな」

靴を履きながら答えると、まあよい、と返ってきた。

「作為的だったかね」

「普段の気抜けした格好からすればな。これがお洒落したんですという顔をしてるがよい。寒霏、出るぞ」

寒霏はへいへい、と不服そうに呟くと彼の周囲に靄が取り巻いた。龍に変じる際発生するものらしい。身軽く背に上る忠遠に続く。龍の背には掴まるところなどなにもないが、取り敢えずどっかと胡座をかくと、龍はふわりと、しかし一気に上空へと駆け上がった。

「どこ向かってるの?」

「…汐留」

「汐留?東京じゃん」

「連れて来いと言われてもうてな」

「Cz75の件で?」

忠遠は黙って顎を引く。

「…なんかヤバいとこと通じてんの?」

「ヤバい、の意味が反社会的勢力という意味なら、真逆だ」

暴力団とかから調達するという意味ではないのか、と思いつつも、やり方は一緒じゃん、と口の中で呟く。

「真逆ってことは」

「行先は至って健全な企業だ。秋津運輸。名前くらい知っているだろう」

「知ってるもなにも、えっ、なに、え?」

秋津運輸といえば当たり前のようにCMが流れ、日常の細々したものから特殊なもの…巨大な重量物や美術品、生体までなんでも運ぶ、日本中どこにでもその車両が行き交う物流企業である。今日とて街中でその制服ユニフォームを見かけた。

「見えてきた。降りるぞ」

眼下に東京湾の形がくっきりと数多の灯火で浮かび上がっている。その中でも特に直線的な地形に段々と近づいてゆく。左下から渋谷、新宿、池袋と不夜城を示し、湯島から上野辺りも輝く。その中において暗く沈んだように見える部分は皇居だろう。近隣に強く光が集まるのは銀座界隈か。寒霏はそちらは向かわず、レインボーブリッジの上空を横切り、東京湾の最奥、暗く窪んだように見えるところを目指して降下していた。そこは海が入り組んで暗いのではなく、浜離宮恩賜庭園で灯火が無くて暗いのだった。そのくらい視認できる高さまでくると、首都高速都心環状線、通称首都高C1の汐留料金所も見えてきた。その真横に四角いビルがあり、屋上にはヘリポートのペイントも判る。どうやら寒霏はそこを着地点に定めているらしい。緩く旋回軌道をとって円の中心に降りた。

寒霏がこの瞬間に人の姿に戻ったなら、このヘリポートのコンクリートの上に無様に落ちるのだろうかと巡らしつつ自分の足で降り立つ。屋上だからか思いの外強い風がある。いつの間にか龍ではなくなった寒霏を伴い、忠遠は唯一ある扉へ向かっていた。メイアンは慌てて随う。扉には鍵穴があったが、忠遠は指先を文字を書くように動かし、難なくノブを回した。書いた文字は『解錠』のように思えたが、真偽は定かではない。これは忠遠に質さねばわからない。寒霏が無遠慮にずかずかとついてゆくのでメイアンも倣うしかない。不躾にならないように配慮はするけどね、と思いながら後ろ手で扉を閉め、その先で開いたエレベータに乗り込む。階数表示は15階までで、屋上表記はない。忠遠は14階の釦を押して扉を閉めた。

「15階じゃないの?」

「ははっ、秋津運輸は最上階を社員食堂にしてるんだ。良いと思わぬか?」

「なにが?」

「毎日昼食は社長をはじめ重役の頭の上というのが」

昼飯時に重役達が自室にいるとは限らないじゃん、と思いながら苦笑いしていると、扉は直ぐに開いた。開いた先には想像より質実剛健な印象のフロアが広がっていた。流石に跫を消すためだろう絨毯が敷き詰められていたが、化繊のフェルトのようだった。扉もおそらく階下の各部署のものと大差ないだろう。各扉には電子的セキュリティが施されている。専用カードがが無いと内側から開けてもらわぬ限り入れない仕組みだろう。

どのようにして入る気なのだろうかと期待値が高まってきた頃、忠遠はある扉の前で足を止めた。ノックでもするように手を振り上げかけたとき、背後から涼やかな声がかけられた。

「あっらぁ♡お久しぶりね♡今日はどんな御用?」

「貴女の姉上にお呼ばれだよ」

振り返ると、やわらかな栗色の髪が緩く巻いている、秋津運輸の制服ユニフォームの女性が立っていた。軽やかな笑みが口許に、身軽いポーズは覗き込むような様子、ナチュラルメイクだが確り作り込まれている彼女は二十歳過ぎた頃合いだろうか。可愛らしい印象だな、とメイアンは思う。紙袋を片手に提げた彼女はすっと三人の横を通ってセキュリティに名札を翳した。電子音が鳴って解錠の音がした。

「お客さまよ〜駄目じゃない、こんな夜更けに呼び出したりしたら」

「この人に時刻はあまり関係無いのよ?」

部屋主の席には真っ直ぐな長い髪のスーツの女性がいた。前髪と毛先が巻いてある。二十代半ば、スーツはお洒落なブランドもの…バックルのデザインからするにフェンディ、靴はフェラガモか。

忠遠もある程度見抜いていたらしい。

「今日は粧し込んでおるな」

「少し威嚇しないとならなくて。…あぁ、貴方達に対してではないのよ、着替えるの、面倒になってしまって」

「ははっ、装いで心が動くのは瞬間のみだ」

フェンディとフェラガモの女は微笑んで言った。

「つまらないわね」

彼女はデスクの抽斗を引いて、小さなアタッシュケースを取り出した。

「頼まれたもの。これでいい?」

忠遠は目だけでメイアンに確認を促す。気取られぬよう部屋の中の人物をそれぞれ観察してみる…寒霏は論外だ、なんのことを話しているのだろうかと状況把握から躓いているからだ。忠遠は痴れっと素知らぬ顔をしている。制服ユニフォームの女は人差し指を頬杖のように当てて北叟笑んでいる…のを隠すような微笑みを浮かべている。状況を面白げに注視しているというところか。秘書っぽい中年の男がいたが、音も立てずに出て行ったきり戻ってこない。上手に中座したのだろう。

そしてブランドで身を固めた女。開けたら?と気楽に勧めるような目をしているが、注意深くこちらの挙動を観察…否、端倪している。物事の最初から最後まで、予測を立てつつも最後の一瞬まで絶対に干渉しない、まるで狙撃者スナイパーだ。

少しばかり芝居がかった方がウケるかな、などと不遜にも思いながらケースに手をかけトグルラッチのレバーを起こしかけたところで態と動きを止め、訊ねる。

「…あんた、鎖閂式使うの?」

女はぴたりと動きを止めた。ちらりと忠遠に目を走らせ、ぷっと吹き出した。

「瑣末なお願いをしたら、意外と意外な答えが返ってきたわ」

「そうなのかね?」

忠遠はすっとぼけたようでもあり、理解に苦しんでいるようでもあった。

「まさかの同年代」

制服ユニフォームの女がくくっと喉の奥で笑った。

「ボルトアクションを鎖閂式だなんて今時誰も言わないよぉ。姉さんだってもう言わない」

このふたりは姉妹なのか。似てるかと言われて即答しかねるのは積んだ経験値や方向性がふたりを段々と隔てたのかもしれない。ふたりで生き抜くための方便かもしれないが、と思っていたら読まれたように言われた。

「池田霞野、こちらは霧香。血の繋がった姉妹なの。生き難かったような、抜穴だらけだった、そういう実感は四条の御仁より共感シンパシー強いと思うわよ?」

忠遠はなんとも不可解な笑みになっていた。笑っているところを見るに、不満な結果ではないようだ。今度こそケースのトグルラッチを跳ね上げ、蓋を開く。

「うはっ、シルバーモデル。滅っ茶玩具(モデルガン)みたいだ」

これも試されたな、と思う。公式にはCz75前期型にはシルバーモデルなど存在しない筈だ。ぱっと見玩具だと言って投げ捨ててもおかしくない。しかしこれは硝煙の香りがする。そんなものを嗅ぎ取る力まで試されたのだ。

「ふふっ、ちょっと前まで好事家が大して使いもしないで愛でていたものなの」

これに対して忠遠はどんな代償を払ったのだろうか。規制されている銃火器である以前に、ひとつの物体としての価格とてあるものなのだ。それもコレクターが後生大事にしてきてものだと宣った。

映画とかならさ、と内心でちる。今直ぐ本体を取り出して、弾倉マガジンを態とらしく装填して構えてみせたりするじゃん?と続ける。確かに動作確認とか必要だけども、と一連に考えてから一周戻ってきた。

忠遠が対価を払って用意させたものなのだから、動作不良は考え難い。ボルトアクションなんてすんなり出てくるということは、頻度は計り知れないが身近に狙撃銃ライフルかなにかがあるのだろう、そういう輩が整備不良の火器を提供するのはきっと矜持に悖る気がする。傭兵やってたからね、と自分に冠をつけて思う…仮に動作不良でも、銃の重さを敵を殴りつけるのに使って、その後に必要なら現地調達…敵の武器を奪って使うまでなのだ。そう、相手の面子を潰すことなんかしなくていい。取り敢えず本物だと見抜いたわけだし、多少の前知識があるにせよ、メイアンが仙なのだと知られてもいるようだ。

…同年代?

メイアンはケースの蓋を戻して錠をかけた。

「…忠遠?人間の仙は珍しいんじゃなかったの?」

「珍しいよ」

忠遠はそちらに考えが及んだか、と口の端を上げる。

「ここに二例あるようだけど?」

それも生まれが近いらしい。これはもう頻発という部類ではあるまいか。

「この二方は仙なのかよくわからない」

「わからない?」

すると今までずっと黙っていた寒霏が嘴を挟んできた。

「小猿同様不老だし、傷の治りも人並み以上ではあるが、仙になる過程というかな、そこら辺がなんとも、な」

寒霏に小猿呼ばわりされるのはなんとも腹立たしい上に、今ここでこいつが暴露するような内容ではない。

「…〜っは〜、全く龍鯉はデリカシーに欠けるね。中途半端を披露して得意げになるなよ」

仰々しく首を振ってみせる。外国人がよくやるように手のひらを天に向けて肩を竦めて小馬鹿にしたように鼻で息を吐くと、未熟な龍は赤面を見せた。デリカシーという言葉が通じたかどうかは怪しいな、とメイアンは思う。

「龍鯉のことは代わりに謝ろう、社主」

社主、か。社長でも代表取締役でもCEOでもなく。割と出版業界で使われやすい用語ではあるが、詰まるところオーナーということかなと眉を動かさずに考え至る。秋津運輸ってそういえば株式公開してたっけな?とも。

池田霞野は仕方ないわねというのを苦笑いで示した。ほらね、やっぱり不快だったんじゃん、と声に出さずに独白すると同時に、自分の吐いた言葉…中途半端に、という言葉がブーメランのように返ってきたことを痛感した。つまりそれは龍鯉の知識以上に知り得てることがあると表明したに等しい。メイアンもまた、衒ってしまったのだ。同罪だ。

「ところで、クレイウォーターに潜入するのですって?」

どう挽回すべきか苛まされていると、妹の方…池田霧香が口を開いた。いち社員、いち運転手ドライバー然として平凡に社会生活を送っております的な顔をしていただけに、彼女から不穏な言葉が吐き出されるとぞっとする。

「然り」

「ふぅん。Cz75はお守りってことね。手堅い選択だわ」

霧香の方も銃火器についてある程度知識があるようだ。…違うな、メイアンの中で頭を擡げ始めた罪悪感を少しだけ帳消しにしてくれたのだ。それは優しさのような顔をしているが、早く話を進めろという催促なのやもしれない。

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