2023年4月、新潟㉒
「なに、とは?」
車から降りて直ぐに発した言葉に九頭龍はにやにやと笑いながら鸚鵡返しに問う。
「どれもこれも、ピンク。ピンク、ピンク、ピンク。揃いも揃ってベビーピンク。鈴蘭までピンク!」
「多分あのジャーマンアイリスも百日紅もピンクだぞ、同じ色味のな」
「これはこれで見事で綺麗なんだけど、ちょっと諄くない?」
「ふふ、ピンク色には特別な思い入れがあるそうな。特に色味に強い拘りがある。ここのチューリップはピンクレディ、クリスマスパール、ピンクダイヤモンド、ガブリエラが混植されておるそうな」
「えぇ〜?全然見分けつかないよ。つか、どの品種がどんな特徴を備えてるのか知らないもん。ややっ、これグラデーション」
儂にもわからんよ、と九頭龍は笑った。
「ピンクダイヤモンドとガブリエラの色味がよいらしい」
「色味…」
「薄紅梅。石竹色。撫子色。聴色。…鴇色」
「ときいろ」
花の名を冠した色名が突如変わったことにびくりと肩を震わせた。
「ときいろ。とき。とき…朱鷺?」
ピンク色の花々の中で到頭メイアンの足が止まってしまった。
「天然記念物じゃん!」
三歩先まで進んで九頭龍は振り返る。
「野生絶滅に分類されとる」
「佐渡で人工繁殖させてるんでしょ?んん?じゃ、絶滅する前に仙になったの?」
「いやいや、放鳥されたやつだ」
「…全部発信器つけられてたでしょう」
「2008年の第一次放鳥で放たれた十羽はな、結局次々と死んでしまったよ。唯一羽の雄が行方不明になって、今以て死体が見つかっていない」
「…その個体?え、仙に?」
九頭龍は答えず玄関に向き直り、呼鈴を鳴らした。
「嘘だろ…」
「先に断っておくが、放鳥されてから仙になったのではないぞ」
家屋の中で跫がする。玄関の三和土で砂を擦る。あいよ、という声と共に扉が開いた。
上目遣いで九頭龍を出迎えたのは小学生くらいの少年だった。
「うわ。爺さま」
「耄碌はしとらん」
「してたら来ないでしょ。クラさまとタカさまは?お社に帰った?」
クラとタカにはさまづけか、と妙な感想を持つ。九頭龍は家の前に停めたシエンタとそれに寄りかかるタカを顎で示す。ども、というように少年はぎくしゃくと会釈した。成程、この地に住む以上彼にとってはクラとタカは先達ということなのか。
「あれ?人間だ」
「これ、一初」
「いちはつ?綺麗な名前だね」
「意味わかるのか?」
「アヤメ科の帰化植物で、どれよりも逸早く咲くから、一初なんでしょ?平安時代にはもう日本に入っていて、茅葺の屋根に植えると風や火事を防ぐという言い伝えから英名もroof iris」
「…ま、まあ、ちょっと調べたらわかることだ、うん」
一初は憎まれ口を叩いたが、このくらいの年頃の子供がちょっと粋がっているのは寧ろ可愛いものだとメイアンは思わず口許を緩めて頷く。
「うんうん。そのくらい図鑑でもウィキペディアにでも載ってる載ってる。でもさあ、あやめの仲間のあの花弁のしっとりした感じっていうの?それなのに触ると結構しっかりしててさ、陽が当たるときらきらするんだよな。葉っぱは白く粉吹いて、おいそれと触っちゃなんない感じ。葉が扇のように平たく重なって開いて、涼やかでいいと思ってるんだ〜」
ぽかんと口を開けている一初はぱくぱくと口を動かし、ぷるぷると震える指でメイアンを指そうとするも、指が伸びない。発する言葉が見つからないのか九頭龍に語彙を求めるように見る。しかし九頭龍はサングラスを態とらしく外して面白げに目を返すだけで返事をしない。一初はメイアンに顔を向け直す。
「あ、ごめん、罔象メイアンだよ、メイアンって呼んで」
にぱっと笑いかけるメイアンに、サングラスを畳んでポケットに差し込む九頭龍のにやにやが止まらない。
一初は遠い目になった。
「なんなんだ、素?」
「メイアンは亜空間を方陣で開くぐらいしかできんぞ」
「いやこれ魅了しようとしてるだろ」
魅了ってあのね、とメイアンは苦笑いした。最近のライトノベルの読み過ぎだろ、と。
「ないない。術が発動しとらんことは保証できる」
「おれは騙されない!」
「お主なんぞ騙してなんになるんじゃ…」
九頭龍は不満そうに子供っぽく口を尖らせる。
「メイアン、どうしてクラとタカが懐くのかわかった」
「えぇ?クラさんもタカさんもフレンドリーじゃん」
「違うわ」
九頭龍の言葉に被せるように、しかし一初は九頭龍の陰に半ば隠れるように掴まって吠えた。
「クラさまもタカさまも、絶対乗せてくんない!おまえ、どこから乗ってきたんだ⁉︎」
「えぇと?新潟駅から村松浜まではタカさんのアバルトで、そこから黒川の山の中はクラさんがあのシエンタで」
「タカさまも⁉︎狡い!」
「えぇえ?どうしよう。そんなレアな体験しちゃったのか…クラさんタカさん、苺また買うよ!他になにがいい?」
「こらぁ、クラさまタカさまを苺で買収するな!」
「でもえちごひめ美味しかったんだ。あ、買ってくればよかったなあ」
「どぅあ!なんなのこいつ!」
「こいつとか言わない。一初よりずっと永い」
「やめてよ九頭龍さん…ずっとなんてほんの半世紀くらいじゃん?」
あ、違うなもちょっと長いね、と笑って躱すメイアンに一初は頭を抱えて蹲った。メイアンは一初の両肩にそっと手を置いた。
「ごめん、面倒に巻き込まれちゃったんだけど、それを解析できるひとがいるって連れてきてもらったんだ。でもいきなりはいけないよな。この綺麗な庭見れただけで充分。クラさんとタカさんにはきっと頼めばいい返事がもらえるよ。混乱と不快を、ごめんな」
返事があるかとメイアンは少し待ったが、一初は硬いままだった。諦めるように添えていた手でぽんと軽く当て直し、九頭龍に帰ろうと発することにした。




