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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年3月、京都③

「先ず習得すべきは、化けることだと思うんだよ」

む?と新聞受けから持ってきたばかりの新聞を広げながら忠遠は目だけメイアンの方に巡らせた。

「仙が化けるのは人の世に紛れ込む為のツールにすぎぬ」

「いやいやいやいや、人の身に生まれたことに甘んじちゃいかんでしょ」

「殊勝なことを言いよって。実のところなにが狙いだ?」

メイアンはにやっと笑った。

「化けるとカメラに残らないってのは魅力的だなと。人の身では入らないところに入れるとか、空飛べるとか、いいじゃん?」

「…安直な…」

「向上心と言ってほしいね!と、同時進行でクレイウォーターの企みを潰したいんだけど」

「そのミッションには変化へんげは不要ということでよいのだな?」

新聞を閉じ、傍らに置く。熊が銘々皿とカトラリーを持ってきて座卓の端に置く。

「まあ、その間に習得できれば使うけどさ。あぁ熊もう夕飯?手伝うよ」

こくりと頷いて熊はメイアンについてくるよう背中でもの言う。台所では菫が焜炉の前に踏み台を置いてベシャメルソースを作っていた。

「今日はなににするの?」

「ラザニア・アル・フォルノ!」

「いきなり洋風だね。客でも来るの?」

にししし、と菫が笑う。熊が顔を真っ赤にして俯き加減で搾り出すように言った。

「…スーパーで、ラザニアに赤札がついていたので」

「玉葱も特売の日だったし、牛挽肉にも半額ついてたんだよ〜」

熊はとても恥じ入って前掛けで顔を覆う。

「凄ぇ。買い物上手いなぁ。この物価高にそういうの見つけてくるのって才能じゃん」

熊は更に前掛けに顔をうずめてしまった。

「メイアン罪作りぃ〜」

「あははっ、熊可愛いなぁ。よしっ、なに手伝う?」

熊は水切りしてあるレタスを指した。

「おし、サラダな!そのパプリカとミニトマトをのせればいいんだな?」

こくこくと首を縦に振り、小さな踏み台を俎板の前に設えた。包丁を当てて器用に玉葱の皮を剥ぎ取る。ほんの少しだけ分けてスライスし、小さなボウルに水を張って晒す。メイアンはそれを受け取ってサラダに散らした。ミニトマトを飾る頃には熊は残りの玉葱を非常に細かい微塵切りにしていた。熟手際がよい熊は見た目は十歳前後だが、先程の恥じらい方といい、三十路間際の純なお局みたいなんだよな、とメイアンは思う。同じ年頃に見える菫は菫でバブル期を乗り越えてきたハイミスOL然としているのだが、と内心つけ加える。サラダを完成させたメイアンは台の上に出してあった買い物袋(エコバッグ)から肉の入ったトレーを取り出した。トレーは三つもあったがどれも百グラム程度の小分けパックで、全てに半額の赤札がついていた。黙ってラップを剥がしていると玉葱の炒めが落ち着いたのか、熊が肉を取りに来ていた。

「玉葱、いい匂いだね」

「セロリも一緒に炒めたのです」

「ほぇえ、そんでこの牛挽肉も使うなんて本格的なラグー・アラ・ボロネーゼ」

「そんなに煮込まないので、ラグーにはならないかと…」

「だってこの後その紙パックの粗濾しトマト入れるんでしょ。煮込むじゃん」

「ちゃんと月桂樹ローリエも入れてるんだよ」

踏み台に乗ったまま焦げないように鍋をかき回し続けている菫が横から口を挟む。

「…庭に生えてるので」

肉を炒め始めながら熊は照れ隠しのように言う。メイアンは空いたトレーを洗いながら台所の片隅に枝ごと干してある月桂樹の枝を見遣る。

「謎な植物が結構植えてあるよな、この庭」

「謎?」

出来上がったベシャメルソースの鍋を火から下ろした菫が不思議そうに問う。

「和風な設いな庭なんだけど、すすきかと思ったらレモングラスだったとか」

「あはっ、パルマローザとかベチバーとかも植ってるよ」

「マニアック…」

「柿とか実ると嬉しいじゃん」

「そこだよ。梅だの杏だの梅桃ゆすらうめだの…あっちの棚はキウイだろ」

「違うよ。猿梨だよ」

「なんら変わらない。大体、この鰻の寝床が当たり前の京都の、特にこの四条でなんなのこの馬鹿でかい敷地!」

「やー、そんなに広くないと思うけどな〜」

「庭がこんなに取れる時点で充分広い」

「昔から住んでるんだもん、ちゃんと所有権あるんだよう。変な草植えてあるのはとのさま…じゃなくてたださんと熊の趣味だよう」

菫と熊は忠遠のことを本来『とのさま』と呼んでいるらしかった。呼称を変えているのはメイアンと世間の手前というやつだろう。学校で通うに当たって、ふたりは忠遠の姪で、両親が他界したから忠遠が養っているという体裁をとっている。

「別に広かろうが狭かろうがいいんだけどさ。…えっ、所有権?」

「ちゃんと税金払ってる」

「どうやって?」

「納付書を、ね、送られてくるから」

「だからって、えっ、金?いや大体ずっと相続しなきゃ怪しまれるじゃん?」

「ちゃんと稼いでるし、時々ちゃんと相続して世代が交代してることにはなってるよ」

「誰に相続させるのさ」

「菫か熊か、たださんが書類用意してきてなんか上手いことまたたださんが所有者になる。カンピーじゃできないけどねっ♡」

「あー、カンピーには無理だろうね〜」

ふたりでげらげら笑いながらカンピーには無理無理〜と繰り返していると、台所の引き戸ががらりと音を立てて開いて、長髪の男が顔を出した。

「うぇっ、カンピー」

おれの名を軽佻浮薄に呼ばわるのはやめろ」

すると菫が毛を逆立てた猫のような様相でメイアンにしがみつきながら吠え立てた。

「夕飯時に来るなんて、タカリか!」

誰にでも割とフレンドリーな菫にしては珍しいなと思っていると、ボロネーゼを煮込む前までに仕上げて火を止めた熊も眉を逆立て菫とは反対側にしがみついて言う。

「なにしに来た」

照れる以外はフラットな熊も珍しい行動にでる。寒霏は斯くも嫌われているのだろうか。

「呼ばれたから来てやったんだ。相変わらず生薬だの薬草だのだらけの庭だな。大して役にも立たぬのに」

尚侍ないしのかみの姫さまに、真っ先に疑われたへっぽこ」

尚侍とはこれまた古い言葉を持ち出してきたなとメイアンは目を丸くした。平安時代以降は任命もなく、大正末期に廃止された女官の最高位だったか。

寒霏は寒霏で鼻の頭を赤くしてむっつりと言い放つ。

「菓子で姫を釣ろうとしよって」

「喜んでくださったもの!」

「気晴らし程度にな」

大きな声を出す熊など初めて見たなと思っていると、反対側から菫が反駁に加わった。

「なにゆーてんの!熊の飴、姫さまいっつも美味しいって、また持ってきてねって頭撫でてくれたんだよ!カンピーなんか心配ばっかりさせてっ、撫でてもらったことない癖に!」

怒りでふたりの爪が立ってメイアンの服に突き刺さっている。こういうところが寒霏の駄目さの根源だなとメイアンは苦笑いした。

「カンピー…呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーンな臨機応変さはとても評価するけどさぁ、TPOっつーかタイミング?考えろよ…」

「あぁん?お主、ウクライナでくたばりかけてたアレか。見れる風体になったではないか」

AK74(カラシニコフ)置いてきたのを後悔してる」

寒霏は嫌味をものともしない。

「あんな旧式銃、先に銃剣でもつけて竹槍代わりにでも使うのが精々だろう?今ここにあってなにに使う」

手前てめぇの脳天にぶち込むんだよ!と噛みつきそうになったとき、寒霏の顎が不自然に天を向いた。

「やめんか。龍鯉には麩菓子を買ってきたから、茶の間で食っとれ」

寒霏の背後に忍び寄っていた忠遠がぐい、と髪を纏めて掴んで引いたのだった。のわぁ、と仰け反って叫ぶ寒霏を放り、忠遠は菫と熊に謝った。

「すまない、こちらに通すつもりはなかったのだが。ぬかったわ」

「いいのです、あの龍鯉が場当たり的なのはいつものことです」

「辛辣よの。今日の夕飯はラザニアなのだな。丁寧に仕上げて持っておいで。龍鯉の分は考慮しなくてよい。メイアンはついて参れ」

「うっわー愈々時代がかった言い回しに拍車がかかってきたよ〜」

寒霏と女児ふたりの間の確執は見た目に惑わされてはならないようだとメイアンは思いつつ、茶の間へ向かう。茶の間には髪がいつもより崩れた寒霏が大袋を抱えて黒い麩菓子を貪っていた。

「忠遠、こいつが龍って、嫌くない?」

ぬるい目で見てやってくれまいか。元々鯉なのだ」

だから麩なのか。

「龍鯉、食いながらでよい、話を聞け」

「むゎんのふぁましら?」

口の中の水分が持っていかれる程頬張るなどとは、阿呆すぎる。

「ウクライナで水没させたドローンのことだ。対処する」

頬張った分を一気に飲み下して寒霏は声を上げた。

「なぁんでぇ?」

「質問は受けつけぬ。九頭龍殿の裁可は降りておる」

「お師匠め…」

「その言葉と態度は権現さまに伝えておく。後々じっくりねっとり叱られるがよい」

権現さまと呼ぶからに、九頭龍なるはどこかで祀られているということだろうか。一瞬で寒霏の顔色が悪くなったことから察するに、相当な影響力があるようだ。

「そしてメイアン。この便利な乗り物を使い倒してよいと許可をとった。なにから始める?」

いきなり振られて流石のメイアンも戸惑う。

「えっいきなり本題?あー、そうだな…根本的なところ知りたいよねぇ、クレイウォーターがどう関与…というかあれが主体なら活動そのものの実態を掴まないとな」

忠遠には期待した答えだったようで満足が滲んで見えた。

「目的はまあ、戦争屋だからね、禍根の残りやすいものをって方針は想像に難くない。BC兵器は安価だし、軽量だ。下手な銃器を移動させるより税関なんかも通過しやすい」

「税関?」

寒霏がまだ不明瞭な口調で問い返してきた。

「毒ガスの状態でハイソウデスカって国境を越えられるかよ。税関は水際だ。守ってる意識の強いところを突破するには知恵が要る」

人の引いた線など遙か上空で越えられる龍鯉にはぴんとこないのかもしれない。

「要するに無害な物質なら誰も関心を持たないってことさ」

まだきょとんとした顔の寒霏にメイアンは一気に脱力した。

「…忠遠、もう少しこいつに常識とか通念とか教えてやっておいてくれよ」

「魚の脳味噌だと思えばよい」

「やだよ、魚となんか話さない」

「だから便利な乗り物だと言ったろう」

「便利な乗り物だと聞いたらK.I.T.T.の搭載された黒いトランザムだと思うもんなんだよ」

「賢い乗り物だとは言っていない」

「糞ぅ、黒いトランザムが分かる忠遠が憎い〜」

忠遠はにや、と笑った。

「必要なものは用意してやろう」

「そうだな〜前期型のCz75と9x19」

途端に渋い顔になる。

「意味がわからぬ」

「それは必要性という意味?それとも語彙的に?」

「なにを欲しているのかという意味だ」

「Česká zbrojovka75、碇ゲンドウが持ってた銃だよ。それと9mmパラベラム弾、ホローポイントがいい」

更に渋面がきつくなる。

「む、銃器か…」

「無理ならいいよ。現地でなんとかする」

「無理ではない。入手に、少々、な」

「難しい?」

「難しくはない」

「嫌なの?」

「嫌でもない。伝手が…苦手というか、なんとも扱い難い相手なだけだ」

大丈夫だ、という風に手を広げてみせる。

「それって難しい、の範疇なんじゃん?」

「そうではない。うむ。…他には?」

「携帯となるべく小さいノートパソコンとタブレット。あ、家電屋行って見てくるから勝手にマウスコンピュータとか揃えないでよね」

やっと忠遠が破顔した。明日にでも共に行こう、と言ってから尋ねた。

「先ずどこへ行く?」

「ノースカロライナ。乗り物の出番だぜ、カンピー」




「…だからカンピーとか言うな」

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