2023年4月、新潟⑳
メイアンは窓を開けられるのかな?と釦をを押してみる。クラはなかなかの再現力を発揮してパワーウインドウがすうっと下がって外の風を取り込む。
「…Para bailar la banba…」
縁に肘をかけ、メイアンは小さく口遊む。九頭龍はふっと口許を緩ませながら言った。
「結局は宿痾よ」
「治らないのですか」
「人に限らず生き物とは争うもの。小さな黴ですら隆盛と衰退を繰り返すものだ。リチャード・ドーキンスはDNAに操られていると言ったな」
「操る?」
「DNA…デオキシリボ核酸。単なる化学物質が、のう」
メイアンはふっと口の端を上げる。
「Yo no soy marinero, soy capitàn」
「化学物質って意思を持つのですか?」
「どうやって意思が宿るというのだ。単純に、コピーするという機能をもつデオキシリボ核酸は同じ型のものをコピーし続けるという無機的な働きに従っているだけだ」
「それで戦争を?」
「DNAの許容する同じ型以外を排除しなければ自己増殖の空間を確保できぬではないか」
九頭龍の考え方は面白いな、とメイアンは思う。仙だ陰陽だも否定しないが、分子の働きも否定しない。
「Pa mí, pa ti Y arriba y arriba…」
治らない病、違いない。しかしこの衝動を抱えていなくては生物は維持できないのだ。
「理解できないですね。だって同じヒトでしょう」
メイアンは歌うのをやめて窓を閉めた。
「膚の色が違う言葉が違う信仰が違うと、同じものとして見れないんだよ、ヒトは。なにが違うのか、寧ろ教えてほしいくらいだよ、全く」
ねえ九頭龍さん、とメイアンは小さく憤慨してみせる。
「…メイアンは言葉に苦労しないと聞いたが?」
九頭龍は目だけ動かしてこちらを見る。こういうときだけ真面目に運転してるふりするんだからもう。
「あ、うん。会話聞いていたらなんか話せるようになるみたい。そうだね、創世記の人々みたいに全部同じ言葉を話していたら、争わないのかな?」
「意味わかりません」
「旧約聖書と偽典にそれぞれ記述があるじゃん。人は皆同じ言語で高い塔を建てようとしたが、壊れて作るのをやめた、言語も塔の瓦礫のようにばらばらになってしまった、って」
「バベルの塔の話…」
「本来は塔に名前ついてなかったんだよ。まあ、宗教の基準文書としての解釈はどうでもいい。こういう物語が描かれた、ということを歴史的になんらかの事件があったと考えてみると、ちょっと面白いよね」
「塔に名前がないのは、そういう理由?」
「かもしれない。いずれ学者が解き明かしてゆくだろう。少なくとも、ちょっと無謀な建築を失敗したってことと、それまで国家内で単一言語で統一されていたのが他民族が一気に流入したかなんかで複数の言語が入ってきて混乱期を迎えたってことじゃないかな」
タカは目を輝せる。
「面白いですね!古くから読み継がれるものをそう読み解くこともできます!」
「あは、本当かどうかは眉唾だからね?ただ、人は混乱を嫌うんだ」
タカは首を大きく傾げる。
「安定はさっき九頭龍さんが言った通り安心して自己増殖に励めるでしょ」
「でも、戦後がたがたしてた時代に団塊の世代が誕生していますよ」
「そうだね。安定の時代になら、落ち着いて自分の望む形の自己増殖ができる。混乱期の増殖はそんなことに構っていられない、ただ殖えるだけ。有象無象を殖やしてしまう。どっちがいい?って問われたら、命に期限のある人間は老後という身動き取れなくなるときに備えて良好な未来を望むものなの」
「ふふふ、戦後の人口爆発は太平洋戦争で激減した人口への反動とも言えるしな」
ほわー、とタカは変な溜息を吐く。
「戦争屋やってた分際でなにを言うかと思われるだろうけど、あれ、本当に無意味だと思うんだよね。敵認定した相手を殲滅するとか、まあその意図はさっき九頭龍さんが説明してくれた通りなんだけど、なんでその為に明け渡されることを目論んでる土地を使えなくするようなものを使うんだろう」
「使えなくする、もの?」
「原爆水爆なんて筆頭じゃん?劣化ウラン弾、地雷、生物兵器、枯葉剤みたいな化学兵器、クラスター弾。人に限らず住めなくなる」
「放射線はDNAを壊しますね…地雷やクラスター弾は不発弾が残って、ええ、ニュースに時々なりますね。ベトナムのシャム双生児は衝撃的でした」
タカは犬の姿の癖に前足の肉球を鼻に正面から当てている。
「…もしかして、このコロナ禍を生物兵器だとか考えていますか?」
「どーうなんだろうねえ」
メイアンは後頭部を受け止めるように指を組み、シートに身を預けた。
「そういう話もちらほら聞く。正直わからない。パンデミックになったのは、不幸なことだった」
九頭龍は前を向いたまま口を開いた。
「温暖化で永久凍土が融けて古代のウィルスが出てきつつあるのも、事実だ。そしてウィルスが病原体ばかりでないのも、事実だ。それに紛れている輩がおるのでは?」
口の中でメイアンの奥歯が滑って嫌な音を立てた。外には聞こえないその音が、顳顬に響いて苛立ちになる。
「…グレイシャ計画?」
「実際その者達がなにか働きかけたのかは、知らぬ。だがもし、儂がそういう結社でこそこそやろうと思ったのなら、過去の事例を参考に便乗を考える」
「過去?」
「直近ではスペイン風邪…インフルエンザの流行だな。誰も、為す術が無かった。こういうのを、起こせばよいのだな、と思うだろう?」
ぎょっと目を剥いてタカが九頭龍の横顔を凝視する。九頭龍はタカの視線を遮るようにサングラスを取り出しすっとかけた。
メイアンが歌っていたのは、La bamba。イメージはロスロボス版。半分鼻唄ですが。




