2023年4月、新潟⑫
アバルトはまた空港方面へ走り、空港を素通りして軈て右折した。田圃は未だ田おこしさえされておらず、荒涼として見えた。道は広く、大型トラックやトレーラがかなり走っている。どこをどう走る気なのかと気になり出した頃、正面に高架になった道路が見えてきた。
「待たせたな、新潟バイパス、そして新新バイパス、R7」
「戻ってきた。新新バイパスって、なんの略?」
「新潟と新発田だが?」
「新発田!到頭新潟を出るね!」
「未だ出ないけどな」
アバルトが左折灯の点滅を始める。
「ついたちいち?」
「一日市。おぉ、まだ桜が残っておるな!」
阿賀野川を渡り切ると、染井吉野はかなり散っていたが、白い大島桜の澄んだ新緑とぽってりとした八重桜が混ざる。
「けふここのへににほいぬるかな」
「伊勢大輔」
「あの八重桜は関山だろうか…のうメイアン。八重桜の起源は色々あるが、あの色の濃い関山は大島を起源にしておるのよ」
「えぇ?ピンクの色素はどこから?」
「大島は元よりアントシアニンを持っておる。稀に紅に染まるものもある。散り際に低温刺激を受けると紅色が濃くなることがあるという。まあ、元来は紅色が相応のことがないと発露しないよう制御されとるのだが、江戸時代のど根性な品種改良がこの紅色を産み出した」
「ど根性?」
「江戸時代の品種改良はなんとなく見つけてくるか、集団選抜…兎に角数を殖やして、その中から少しでも異なる形質を発現したものだけをまた更に数で勝負する。一年二年でできる作業ではない。孫子の代まで繰り返し繰り返し、僅かな突然変異を待つ。そうやって関山は生まれたという」
競馬場を過ぎ、周辺は雑木林が散見される。ポプラが略等間隔に並んでいるが、まだ新芽が吹いておらず、もの寂しい。
「生き物の仙も、突然変異?」
九頭龍は首を振る。
「その一言では是にはならぬ」
アバルトは緩いカーブとアップダウンを繰り返し、軈て聖籠町に入った。ガントリークレーンがあるよ!とメイアンは指した。赤白に塗り分けられたキリンのような巨大な建造物が幾つか見えるのをクラも興味深げに身を乗り出す。蓮野で降りて左折すると、道路は真っ直ぐで広かった。両側のあちこちが新緑に染まっている。少し前まで染井吉野が咲き誇っていたのだろう。東港工業地帯を真っ直ぐ突き抜けてくると、急に道は右に大きくカーブした。カーブのところの信号に引っかかり、メイアンは正面を見上げた。煙突の数を数える。
「うわ、あれ、火力発電所?」
「東新潟火力発電所。以前は阿賀沖油ガス田からパイプラインで天然ガスを利用していたんだが、今はLNG基地から供給を受けている」
「えっ、なんで?」
「資源が枯渇した。海外では稀なのかもしれないが、ここではもう二十世紀の裡にそれを経験しとる。エネルギー生産に対する強い欲求をこのあと目の当たりにすることができるだろう」
「どゆこと?」
「因みに、阿賀沖油ガス田のプラットフォームはもう解体して撤去したから見ることはできないぞ」
「残念。北海油田のような様相がここで見られるのかと」
「見られなくもない」
「だって油ガス田は撤去したのでしょ」
「阿賀沖は、な。岩舟沖のは、まだある」
陸から眺めるだけだがな、と笑う。楽しみだね、とクラと頷き合う間にアバルトは新発田市を過ぎ、胎内市に入った。道路の右手は緩やかな砂の丘になっていて、道路に向かって垂直に畝が立てられている。
「あの畝、なにを植えるつもりなんだろ」
一風変わった色の被覆資材で覆われた畝が何列も広がっていた。
「多分あれはタバコだ」
「へ?」
「タバコ。風の又三郎で三郎がこれはなにかと毟って子供達に訊ねるだろう」
「子供達は専売局に叱られるとわーっと散ってゆくのだよな」
「葉を一枚でも欠いてしまうと、成分の比率が変わってしまう。煙草にはタール分やニコチン量が表示されとるだろう」
「…畑から成分を管理していたのか」
メイアンの脳裡にラッキーストライクの吸いさしがくるくると落ちていって一気に火が回る、ノースカロライナの記憶が蘇り、闇の中へ消えていった。
九頭龍は痴れっと言った。
「栽培地としては悪くはないが適してはいないからな、近年徐々に作付面積を減らしている。葱や西瓜の方が採算が採れる」
「採算?」
メイアンは煩わしい記憶をまたどこかに仕舞い込んだらしい。
「どんなに手をかけたところで、専売公社が、今はJTが、まあ二束三文で買い上げてゆくのだ。収穫もな、軍手が真っ茶色に染まってしまう程苛烈。その上収穫されたタバコは数ある銘柄の煙草を特徴づける香りの元として扱われるのでもない」
「えぇ?」
「殆どが所謂増量材…煙草としてバランスを取る為に使われる。その上な、ナス科の植物故連作に向かない。冬の間は雪に鎖されてしまうからな、場所を移して植えるしかない」
「…知らなかった」
「知らないのは無理もない。煙草なんて特にブラックボックスだ。流通は得てして産地と製品を切り離してしまう」
「そんな」
「人はそうやって作り上げてきたのではないか。そうすることで確かに物の有り難みなんて押しつけがましさを取り除いて、好奇心を手軽に満たせるようにしてきた」
九頭龍は悪いことではない、と微笑む。
「技術の発展など、手許にある材料に背負い込んでいるものが少ない方が円滑に進む。この電気がどの発電所でどんな材料を使ってなど考えないから気楽に使えるのだろ?」
そう言いながら九頭龍は海側の空を指した。
白い巨大な風車が立ち並んで回っていた。




