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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年4月、新潟⑥

遅くなりました。

九頭龍は反対車線を挟んで右側を指した。右側は盛土してあるのか、しかし然程高くない擁壁が続いている。

「どこ行くの?」

「取り敢えず川を渡りたい。左岸へ行きたいからな」

途中右折レーンに並ぶのを上手く避けてそのひとつ先の交差点で右折する。メイアンは混雑の原因を看板に見つけた。

「ピア万代?」

「マルシェプロジェクトの名残りで、魚屋やら八百屋やら、色々入っておる。土産を買うなら寄るといい」

アバルトはカーブをなぞりながら坂を登ってゆく。

右手に高いビルが見えてくる。川面はマリーナなのかヨットが何隻も等間隔に並んでいる。

「あれは中州?」

「いや、違う。中州だった、だ。万代島という。昭和初期の埋立てで右岸側と陸続きとなったのだ」

「人為的に繋いじゃったのか…」

「万代島の先端部には佐渡汽船の乗り場がある」

「フェリーが入ってくるんだ」

「海上国道だぞ。R350」

「道路無いのに、国道?」

ふふ、と九頭龍は笑った。

「現実の方が余程幻想であるな。さて、渡り切った。左岸だ」

パラボラアンテナが高い位置に取りつけられているテレビ局の角を曲がって河口側へ向かう。

「ねぇ九頭龍さん。禾偏に旁が末って書いてなんて読むの?」

まぐさ。ははぁ、秣川岸通交差点の表示が読めなかったな?」

「初めて見たよあんな字」

九頭龍はふうーっと大きく息を吐き、シートに深く身を預け直した。ステアリングに投げ遣りな感じに手がかけられている。

「漢字は黄河文明発祥の膨大な数の表語文字だ。物の数、感情の数、動作、あるだけのかたち、全ての品詞を網羅していた。だが歯が欠けるように少しずつ失われてきている。本家中国では現代すっかり雑な形に堕とされたように儂には思えてならない。漢字が隆盛を極めていた頃というのは、似たような意味の文字でもその文字を選び取ったということにさえ意味があった。そうさな、たたかう、といえば『戦』と『闘』が思い浮かばないか」

「うん。二つ一組で熟語にして使うことが多いけど、現代まで残ってるってことは意味が違うってこと?」

「『戦』は正しくは『戰』。『單』は楕円形の盾。二つ並んだ『口』この部分は二本の羽根飾り。そして旁に『戈』。つまり盾と戈を持って進軍する兵のたたかい方なのだな」

「前線部隊の白兵じゃん」

「『闘』は『鬭』。『鬥』は本来これは門構ではない。人と人が向き合って、手を突き出して争う、この時点ではまだ武器を持っていない。『斲』は器をおので叩き割ることを意味している。人がじっと睨み合い、出し抜けに奇声をあげ振り上げた斤を叩きつける…もうこちらは打ちあっておる」

「門構じゃないの。『戦』より躍動的じゃん、『闘』」

「発した方も、読み手も聞き手も、そんな戦況の違いをたった一文字で理解していたのだ。だが人が争って殺し合うことが全てたたかいになり、斤だ戈だではたたかわなくなり、意味がぼんやりして淘汰される。漢字がもっと多かった頃は人の感情ももっと豊かだったのかもしれん」

「成程…的確に伝えることができたんだもんねぇ」

「そして現在使わなくなった物品や形状を表す文字も失われてゆく」

「便利になるっていうのはなにかを手放すことだって聞いたことある」

「そんなこと、難しく考えるまでもない」

「へ?」

「世界が単純化されて便利になると、物の理りに触れる機会を失う。馬鹿になるのは当然だ。危ないからあれしちゃ駄目これしちゃ駄目と過保護に育った子供がどんな大人になるかなど、事細かに言うまでもない」

「でも、便利を求めちゃうけどねぇ」

「そりゃな。時間は有限で平等だ。失敗はくだらないとしか処理できなくなったら、回避しか思いつかなくなる。そういう思考回路で人間は技術を伸ばしてきたのだ」

九頭龍はジレンマだ、と小さく吐き捨てた。人の発展の成果は面白く見ているが、その過程や原動力は九頭龍の理想とは違うらしい。たたかうという文字について説明したのも、その延長線上にメイアンがいたからかな、と思う。

メイアンは春の風に煽られた髪を軽く押さえた。

「…む?」

髪が何故かごわついて、手触りがざらついた。

膝の上からクラがメイアンを見上げた。

「黄砂ですよ。有害物質も少なからず含んでいるので、目に入らぬよう確り洗い流すことをお勧めします」

メイアンは髪を触った掌をまじまじと見た。

「黄砂もな、これを表す漢字がある」

想像してみろとばかりに九頭龍は口の端を上げる。

「砂っつーか泥?が風に乗って飛んでくるんだから…土偏?石偏?や、気象を表してるから…風構?」

「もう一声」

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