2023年5月、フライシュタート・バイヤン⑦
旧植物園へ行くべきか、英国式庭園へ行くべきか、王宮付属庭園へ行くべきか。それとも芸術の家だろうか。
NSRのエンジンをかけて迷っていると、足許から声がした。
「次はどこへ行くの?」
黄色いワンピースの花精が茎の上に立って見上げていた。
「西洋大根草?えっと、こっちではEchte Nelkenwurzだったかな」
メイアンはエンジンを切り仕舞うと、しゃがみ込んで目を合わせる。
「ドイツ語名まで憶えているの?どうして?」
「呼び名って、その地域でどんな利用をされてきたか、どう人と関わってきたかを表していると思うんだ。貴女は薬草として香草として今も大事にされてるでしょう?ベネディクティン、リキュールとして知名度は高くないように思われがちだけど、カクテルには欠かせないからどこのバーにも必ず置いてある」
Echte Nelkenwurz、直訳すると本物のクローヴの根という意味になる。根にオイゲノールが含まれている為だ。オイゲノールは丁子の主な香り成分である。この香りを珍重されてきたのだ。
「ほらね、ちゃんと言い当てたでしょう」
隣の植物にも花精がいた。モヘアでできた小花をいっぱいに集めたふんわりとしたベレーを被り細いプリーツが施されたウールっぽいミニワンピースを纏った花精だった。己の花序の上に澄まして座っている。
「西洋夏雪草。えっとEchtes Mädesüß」
「ふふっ、地元の名前で呼んでくれてありがとう♡」
「お義祖母ちゃんが貴女の香りと綺麗なプリーツの葉っぱを好きで、庭にも沢山植えていたよ」
「あははっ、ストローイングハーブとして使う為にいっぱい用意してたのよきっと。犬薔薇が雨も止んだしファルケンシュタインはもう崩れないだろうって」
西洋大根草も西洋夏雪草もそういえばバラ科だ。他の植物よりも薔薇寄りで親和性が高いのかもしれない。
「根を張って頑張ってくれるって言っていたけれど、地滑りや崖崩れに巻き込まれないで済みそうで、本当によかった。安心したよ」
「今日はお連れがいないのね」
西洋大根草が琥珀色の瞳で見上げる。
「うん。画家を探しに行きたいからね。騒がしいと、迷惑でしょ」
「画家?」
西洋大根草は西洋夏雪草と顔を見合わせる。
「…贋作師じゃないの?」
「そうだね、今は贋作師だ」
「ゼップなら、オーバーギージングにいるけど?」
ゼップ。ゼップ・フォルラーニ。
「探しているのがゼップ・フォルラーニだって、よくわかったね?」
西洋夏雪草は蜂蜜色の瞳をメイアンの顔に寄せた。
「だってゼップ、今やドイツの指名手配犯だもの」
「えぇ?でも住んでいるところ、明白なのでしょう?」
「贋作の問題は贋作師だけを捕まえたって解決しないってこと、メイアンだって知ってるでしょ」
贋作を取り巻く問題はひとつの偽物があるというだけでは成立しない。無論作品を世に生み出した贋作師は言うまでもないが、それを売買した画商然り、その偽物に折紙をつける鑑定家や保証をつけた美術品研究者などが必要となる。彼らがどこまで偽物とわかって、否、本物だと信じて鑑定保証をしたのかを明らかにすることはとても難しい。鑑定保証力にも影響する故に大学などの組織ぐるみで美術品を認めたのか、欲の為に個人的に鑑定を出したのか。贋作に来歴をつける為に偽の所有を証明した者、証拠を提出した者…挙げれば限がない。そしてそれはビジネスとして完璧に組織化されているかもしれない…贋作師から画商、鑑定家へと完全に縦に繋がっていたとしたら、一枚の絵画を押収しても意味はない。
西洋大根草の精は遣る瀬無いといった風に首を振った。
「ゼップも馬鹿よね〜。なぁんで贋作として売っちゃったかな。ゼップ作の誰某っぽい絵画として売り出したってそれなりに評価も価値もつくのに」
「あの画商…デュファイエだっけ、あれを通したのが問題の始まりよね。AIがそれらしい画像作っちゃえる時代になることが見通せていたら、あんな画商の口車になんか乗らなかったでしょうにねぇ」
西洋夏雪草も歎息する。ふたつの香草はどうにも辛口評価な上、現代の科学文化事情にまで詳しいらしい。
「…会ってみる。オーバーギージングだっけ、細かい住所とか、わかる?」
西洋大根草がそんなこと、と呟く。
「ミュンヘン中央駅からギージング駅へは地下鉄U2で約九分。降りたら、訊けばいいじゃない」
メイアンはそういえばもうファンタージェンにどっぷりだったのだったなと自省した。なにも人の基準だけで行動する必要はないのだ。
「教えてくれるか、どうだろう」
「なんでそこに不安があるのか知らないけど、ギージング駅からゼップの家まで西洋大根草がそこかしこに生えてるわよ」
「西洋夏雪草もねっ」
メイアンはふたつの香草が急に愛しく思えて破顔した。
「…頼もしい」
「あら、傍に植えてくれてもいいのよ」
西洋夏雪草は三つ程種子の塊をメイアンの掌に落とした。
「あっずっるうぃ」
西洋大根草も慌てて花ガラのような種子の塊を二つ載せる。
「こらこら…種子を貰ってしまったら捨てることができないの知っていて押しつけるなよ」
西洋大根草も西洋夏雪草も悪びれた様子もなく笑うばかりである。
「きっと役に立つよ。ゼップに宜しくねっ、折角白いんだからって伝えてねっ」
白いのだから?
よくわからないなと思ったが種子を零さないよう掌で挟み、礼を言ってその場を後にした。




