2023年5月、フライシュタート・バイヤン④
「…いっちゃんの庭では誰も出てこなかったじゃん」
朱鷺がにっと驕慢に笑ったような気がした。
「あのときはな、全員が遠慮してくれたんだよ」
「えっ、なんで?」
「おれとメイアンの関係性に逸早く気づいたんだ。今ああだこうだと突っつき回してしまうのは誰の利にもならない…今は退いておいたらば、いずれメイアンが居着いてゆっくりじっくり独占できる、先ずはここの主を疑似餌にして、それからだ…いや、村上だ、友釣り気分かも知れない。彼らはかなり優秀な漁師だ」
「うっ、うへぇ…」
「勿論グレイシャ計画に関する重い話が優先だとも熟知していたろう。今は出る時ではない、それを皆ただ弁えていただけ」
メイアンは長い息を吐く。
「いっちゃんの庭の植物はお行儀が良くて優秀」
一初は首を振った。
「ウルムの橡なんか」
「彼らにだって、欲望はあるし、口下手もいる。橡…ロスカスターニエ、か、あれだって、ふふ、メイアンとは一期一会だと思ったのだろう。逸って焦って強引になっていたとしたらなかなか可愛げがある。おれの庭に加えろっていう方がおまけだったのかもよ?」
「庇ってやんないでよ」
「庇ってなんかない。だからあの種子はおれのところに来ても未だに無言だ」
「それは…種子だから」
「関係ないよ、眠りに就ていると思っているのは人だけだ。種子はそう…ただ座っているだけのようなものなんだ」
メイアンは目を瞠る。
「休眠状態じゃないの?」
「眠ってなどいない。内部では常に代謝が進んでいる、静止状態。無論、物理的化学的に活性が止まるものもある。それは休眠でもいい。だが種子は基本常に外部からの刺激に神経を尖らせて状況を虎視眈々と待っている。ただぼんやりと眠っているわけではない。あの橡は恐らくメイアンが来るのを待っている」
「…嘘だ」
「気の毒な橡」
「だっ…だって、いっちゃんのピンクの庭の隅に適当に埋めといてくれって」
ふふん、と朱鷺は鼻を鳴らした。
「メイアンが称賛するピンクの庭の一員になって早く愛でられたかったんじゃね?ウルムで咲いていた橡を見て、メイアンはどう思った?」
街中を流れるドナウの滸で咲き誇る濃いピンクの橡は周辺の木骨造の強い印象の建物と相俟ってとても風情がある、そう思った。
「村上に来たら、先ずはそれを聴いてやりな。多分ミュンヘンの植物達も次はおれかおれかと待ってるんじゃね?ふふ、そうやって聴いていく裡に我も我もと種子を押しつけられないようにな」
メイアンは暫く俯いていたが、やっと顔を上げると一初を正面から見た。
「…いっちゃん、あの橡をどう使うか、どこに植えるのか、考えがあるって言ってたよね?」
一初は顎を引く。
「遠いとこ?」
今度は一初はぷいと横を向いた。
「…あの橡は正確にはベニバナトチノキという、園芸品種だ。マロニエとベニバナアメリカトチノキとの交配種なんだ」
「パリのマロニエの花は白い、確かに」
「故にか、種子をつける率はマロニエより格段に低い。それを汲んでやれな」
ピンクの花をつけるというので調べたのだろう。自ら語ろうとしない橡の為に。
「…あんまり遠くだとまた変なお願いされそう」
「先ずは苗木を作るから、暫く世話してやればいい」
「種子、駄目にならない?」
「取り敢えず土に埋めてはある。今年も暑くなるだろうから、それだけが心配だな」
「忠遠みたいな狡をしなきゃ駄目だろうか…」
「四条さまのようにその鉢だけ無理矢理環境を整えてやるのか?優しいこった」
「だって一粒しかないのだし」
「いやいやいや、変な時期に種子を渡してきた橡にも責任があるんじゃないのか?」
「そうはいうけども…」
「まあ、七月までは面倒見といてやるから。…今日だってな、本当はピンクレモネード達が、っとぉ、今のは聞かなかったことにしてくれ」
朱鷺にあるまじき翼の使い方で嘴を覆ってそっぽを向く。
ピンクレモネード、斑入りでピンクの果肉をつけるレモンと、ピンクまでにしか熟さないブルーベリーのことだ。両方共、メイアンがネットで見つけて一初に送りつけたもの。
「ごめん、迷惑かけてる?もう引っこ抜いて土振るっちゃう?」
しゅんと悄気てしまったメイアンを一初は下から覗き込んだ。
「なんだなんだ、乱暴だな。あいつらはメイアンはまだかまだかって煩いだけさ。どちらの方が品種名に相応しいか判定させたいらしい」
「えぇ?ピンク果肉を搾ったからって即ピンクレモネードにはならないし、ブルーベリーなんだからレモネードにはならないでしょうよ…」
一初はひひひと肩を揺すって笑う。
「構ってほしいだけ。人の手を経て園芸植物として確立した品種名持ちは特に構われたいんだ。メイアン、ドイツの植物だっておまえを待っているさ」




