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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年5月、フライシュタート・バイヤン①

「チェコ人もスロバキア人も入れなかったとは」

「プラハの春は知ってるでしょ」

暖海は顎を引く。

「1968年のチェコスロバキアでアレクサンデル・ドゥプチェクのもとで行われた短期間の経済的・政治的民主化、自由化のことであろ」

「そ。がちがち雁字搦めな社会主義と思われがちな赤い国々だけれど、案外緩〜ぅく自国民に自由を与えたり地方分権化を図ったりしてたんだよねぇ。それを苦々しく見ていたのは本家社会主義国ソ連だ。社会主義ってのは鉄格子のように堅い規格の上にないと徐々に崩壊してしまうことを知っていたのだろうかねえ。ブレジネフは加盟国混成チームのワルシャワ条約機構軍で侵攻、プラハの春を強制終了させて『正常化』に邁進したってわけ。チェコスロバキアの特異なところは…勿論色々な思惑はあったと思うんだけど、ワルシャワ条約機構軍をチェコスロバキア軍で迎え撃たなかったことだよね。だから犠牲者は150人を下回ったと言われているし、負傷者も500人前後だったという。それが決して少ない数字だとは言わないけどさ。まあそれはさておきソ連はこのドナウ作戦成功によって堂々と合法的にチェコスロバキアにソ連軍を常駐させることに成功して、チェコスロバキアの国土の中に掩蔽壕を含む幾つもの地下施設を略勝手に建設した、それがブルディ掩蔽壕バンカー

「詳しいな」

メイアンは肩を竦めた。

「赤が大嫌いなニクソンが徹底的に…北大西洋条約機構(NATO)よりもずっと前のめりに分析し尽くして、隙あらば徹底的に叩く糸口にしようと虎視眈々だったからね。まぁブルディ掩蔽壕に保管されていたのは核弾頭だったから、そう簡単には手出しができなかったのだけれど。…って、ブルディ軍事施設はソ連の崩壊と共に早々に撤収されて、今や空っぽの筈」

「うむ。チェコスロバキア崩壊後廃止通貨の一時保管場所として使用され、リサイクルされるまでは最早有効でなかった数百トンもの硬貨や紙幣の保管場所になった。後年、第二次世界大戦中にチェコ領内で戦死した四千人のドイツ兵の遺骨を一時的に保管する場所となった。そして再び空になった」

「チェコ国防軍が管理してるよね?」

「左様。そしてこの夏、ここは冷戦時代の軍事史料館となるのだ」

メイアンは苦笑いした。

「ま、いいんでない?核シェルターとしても使えるように独自の水源、発電機、空気清浄機を備えてたんだし」

「それなのだが」

暖海は塩辛いものを噛んでしまったような顔になった。

「本来ブルディは湿地帯でな。軍管区が設置した排水システムの影響を受けて環境を大きくて改変させられておったのだよ」

「環境を改変」

「土地から水を排出するために溝を掘削し、湿地から水を抜いてきた」

ん?

どこかで聞いたような話だ。

…言葉にすれば簡単なことだ。湿地の周りに水路を作り、それをポンプで汲み上げて信濃川に送り込む。

九頭龍が鳥屋野潟の滸でそう言っていた。そうやって新潟は改善されて田園と都市が形成されていったのだ。だがブルディは田園でも都市でもない。保全したい環境は湿地のままがいい。どうせ住む人もいない。

「土地を乾燥させてしまったことを除けば、軍管区として無体な開発にも晒されずに一世紀近く保全されてきたんじゃない?」

「そうなのだ。だが2016年に、軍管区は廃止されその周辺の一部の地域を含めて景観保護区とすることにした」

「いいんじゃん?景観保護ってことは生態系も…あー、湿地、乾燥させちゃったなあ」

「うむ。二年後2018年にここの湿地帯復元プロジェクトが立ち上がり、小規模ダムを設置する案が出た」

「あれ?今年2023年だぞ?まだできてないんだ?ははあ、資金の問題?それとも軍管区を解体したら地籍も分割されて揉めた?射撃場だったから不発弾もありそうだなあ」

態と目を瞑り、悪戯っぽく暖海側の目だけ開く。

「他にも理由はあるが、全て当て嵌まっている。五年経ってもなにも解決しておらなんだ」

到頭盛大な溜息になってしまった暖海にメイアンは憐れみを込めて言った。

「大規模工事になってしまうんだ、利権も損得も思惑もそりゃもう山程あるんだろう」

「これまでに様々な在り様を見てきたつもりだが、殊人というものは我が我がとエゴの強い生き物であるな」

「エゴねぇ。それはどんな生物にも共通なんじゃないかなあ。ただ弱いものは競争に敗れ静かに淘汰されていくだけ。人間は主張を出しつつも譲り、忖度し、諂う。穏健に擦り合わせてゆこうという者も、野生的に押し通そうとする者もいる。全体の利として民主的に結論を得ようとする者もいるし、己の信条こそが正しいと盲に信じる者もいる。目先の欲に釣られもするし、遠大な利益を見通している場合もある。もっとね、マクロに…そう、人間が微塵子みじんこに見えるくらい離れて見れば静かな変化さ」

メイアンはちらりとグレーゴルとプラムに目を走らせる。プラムは早々に考えるのを諦めたか車窓をぼんやりと眺めている。グレーゴルは時折入るメールだかメッセージだかをチェックする以外暖海の予測通りなにか懸命に考えているようだ。

「で?輝さんは旧ジンツェ軍事訓練場、水抜きされたブルディ軍管区を湿地帯に戻せよとの仰せかな?そんなの無理だよ?それとも人心を操って議会で全会一致を導いてこいって?それも無理だなあ。テロリスト宜しくVz61(スコーピオン)でもばばばばばーっ、言うこときけーってのも、徒労だよね?」

暖海は苦笑と共に首を振った。

「そんな無茶は言わん。輝はブルディの景観保護区に指定される範囲を見てきてほしい、人の手では多分無理だろうから…そうさな、あと三十年は費やすことになるかも?と笑っておったよ、人の手を経由せず湿地に戻す方法がありそうなら教えてくれとの頼みだ。なにも見出せなくばそれでいい」

「緩いお願いだなぁ。輝さんの知見でなにも着想を閃かないならもう出てくるものがないような気がするけどなあ。わかった、見てくる。できれば暖海法師、同行してくれると嬉しいんだけど」

「承允。そろそろミュンヘンに着くな」

「お腹空いちゃった。おいグレーゴル、ミュンヘン着いたら旨い店案内してよ。言っとくけどヴォルパーティンガーの溜まり場とかは、もうごめんだぜ?」

車窓には夕暮れが迫ってきている。横で暖海が吹き出さないよう必死で口を押さえていた。

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