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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年5月、ラント・バーデン⹀ヴュルテンベルク㊹

暖海はプラムにYou're the childと言った。暖海の喋り口を聞く限り、ここではkidを使っても構わない場面の筈…ウルテのところにいた子だねと言うだけならば。だが暖海はchildを敢えて選んだと思われる。

kidは完全に口語で、ちびちゃんからガキまで汎用的な語だ。原義は仔山羊で、親愛から小馬鹿にした表現まで使いようがある。

childの原義は、子宮の産物。比較的硬い表現で、どちらかといえばお子さま、ご子息なんて雰囲気を持つ。だから対義語がある。親、である。産物、産み出されたもの、という印象が強い所為か、空想の産物や研究成果を指して使うこともできる。

ナターリエならkidを使っただろうが、とはいえ彼女は英語話者ではないが、暖海はchildを選んだ。ウルテが親代わりに育てていたTVクルー達の空想が凝って生まれたジャージー・デヴィル。ただ幼いのではなく庇護の必要な存在…とでも?

暖海は案外皮肉を込めるのが上手いようである。この語ひとつに重さがないとは言い切れない。

「英語って難しいな」

「四条がもう少し京都人らしく嫌味になればこんなものだ」

「忠遠はあれでいい…」

「はっはっは、四条はそれで報われる」

「なんだよそれ」

「気づいておるだろう?四条の好意に」

「…うん、まあ。でも」

Leave(言を) it ()unsaid(たない). ()友人の距離感を保つと決めたと聞いたが?」

「誰が言ったんだ」

暖海は笑いを浮かべたが答えなかった。忠遠自身ではなさそうだとだけ納得してメイアンはちらとグレーゴルに目を走らせる。

「あのまま?」

「着くまで悶々と黙っていることだろう」

プラムもだ、と暖海は目で言う。

「…どういう結末が正解なのか、わからないんだ」

暖海はふっと顔を緩める。

「そんなもの、儂にもわからん。全てに最適解があるのではない。最適解が全てに幸せとは限らん」

「う…まあ、それはわかってる。不可逆な可能性に慎重になり過ぎなのも」

暖海は深く頷いた。

「得てして上手くいかないものなのは、全てに幸せをと欲張るからであろうな」

得てして。そういう傾向。大団円は望めない。

「考えみるといい。兎の幸せとは?渡鴉の魔女の幸せとは?黒い獣の幸せとは?そしてメイアンが思う幸せは、果たして彼らにとっても幸せなのか?」

「やだ、宗教っぽい」

「哲学と言ってほしいね」

暖海は痴れっと言った。

「兎と黒い獣を野放しにはできん。畢竟雨だ」

「うん。欧州の規格はどうだか知らないけど、一時間に50ミリの降雨までしか都市は耐えられない」

「50ミリ」

具体的な数字が出て暖海は驚いたようだ。

「排水機能だけで弾き出された数字だ。プラムが降らせた雨は25ミリを叩き出していた。数値としては半分だが、長く降り続けば排水機能はいずれ麻痺する。その気になれば都市の水没なんてあっという間さ」

「困った子供だ」

それが気分にっているというから始末が悪い。具体的な解がなく、目標を定められない。メイアンは目の前が暗くなるような気がした。

「輝から伝言がある」

気分を変えようというのか、暖海は思いもよらぬ名を出した。

「えっ、輝さん?」

「うむ。ミュンヘンの用事の後、差支えがなければ頼みたいのだと」

ゼップ・フォルラーニが直ぐに見つかりさえすれば用事は終わる。

「…輝さんもこっちに知り合いがいるの?彼女もドイツ語堪能だったりする?」

暖海は天を仰いで笑い出した。

「輝は引き籠りだ。他言語など、以ての外」

「ひ?」

「偶に菓子教室やらカルチャーセンターやら通っていることもあるようだが」

「いや待て、引き籠りって聞き捨てなんないぞ」

輝はメイアンには理想の女性である。穢されたような気分だ。

「親の脛を齧るパラサイトな自宅警備員という意味ではないぞ」

「そんなことするわけがない」

「輝を随分と買っておるのう。使命と定めた役目を果たすことに夢中と言えば納得できるかね?」

「切迫感も緊張感もないみたいだったけど?」

「あれの役目は超ロングレンジだもんでな」

切羽詰まることのない夢中などメイアンには全く想像がつかなかった。…否、それで引き籠りと表現した。自宅警備員を揶揄し切り捨てたが、なにかを守っている気がする。

「…輝さんの領域を土足で踏み荒らす程麁陋(そろう)ではない。彼女はなにを見込んでくれたのかな?」

「もう引き受ける気なのか」

「輝さんの頼みなら、一も二もなく引き受ける」

「…メイアン…それはあまり公言してはならぬよ」

暖海は額を曇らせた。

「あは、そうだね。輝さんがメイアンの受付窓口にされちゃうな」

「わかっていてそれか。困った娘だ。輝の頼みとは言ったが、輝自身から発されたものではない。結局は転嫁だ」

欧州にいるメイアンに京都からの輝の依頼なのだから、輝自身に困難が生じているのではないのは明白だ。輝も別の誰かにわれたのであろう。

「なにをさせたいの?」

暖海は呆れたように眉を寄せる。

「…おいおい、今から抱え込む気か?」

「現場で事情を聞かされても直ぐには対処できないよ。考える時間がほしい」

むう、と暖海は唸った。暖海に述べた理由は嘘ではないが、プラムのことから離れたい、そちらの方がメイアンには強かった。

「…チェコ語は、話せるのか?」

「チェコ?ちょっと厳しいな。まあパブとかバーで二、三時間過ごせばなんとかなる」

「歴史は?」

「大凡は。先史時代は困るけど」

「近代だけでも事足りる。ワルシャワ条約機構時代のチェコ…チェコスロバキアのヤヴォル51掩蔽壕のことは?」

なにを言い出したのかとメイアンは目を丸くした。

「ヤヴォル51…ヤヴォル51掩蔽壕バンカー、ああ、旧ジンツェ軍事訓練場の?ソ連の核弾頭保管庫でしょ」

暖海はすうと大きく息を吸った。

「よく知っておるな」

「まー…なんていうの。冷戦時代は徹底的に睨み合いなものだからね。旧ジンツェ軍事訓練場…ブルディ軍管区は特に凄くてね、チェコ人もスロバキア人も入れない、ソ連だって一部の人間しか入れない。上空も飛行禁止。今ならね軍事衛星が無数に飛び交っていてそんなもの直ぐに分析されちゃうだろうけど、中長距離弾道弾が未だない当時は加盟国各地に分散保管するしかなかったんだ」

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