2023年5月、ラント・バーデン⹀ヴュルテンベルク㊶
「まさかの擬似親子感情…」
「あくまで推測でしかないから。ただなんでもかんでも男と女なのではないんだって…それに、凭れ合っているとは言ってみたが、片方だけってこともあるだろ?」
「アルミラージは親気分だけど、或いはジャージー・デヴィルだけ子供のつもり…」
「そ。歪んだ関係だったらそれはそれで互いに辛い。昨日までは親子の気分だったがふとした瞬間に異性を感じ関係が急変するかもしれない。決めつけちゃなんない、同時にメイアンがあまり思い悩む必要もないってことじゃね?」
「そうだね…」
そう言ったメイアンの真正面に一初は立って言った。思いの外目が近い。
「でも気をつけてくれ。アルミラージが父親役になりきり、ジャージー・デヴィルが子供の立場に嵌まり込んでるのなら、つい母親像を入れ込もうとするだろう。手近な女としてメイアンを引き込もうとしたら、おれは許せない」
擬似的にでも他の男と夫婦のような状態になるなと言われた気がしてメイアンは一初の顔を思わず手に取り、額を合わせていた。
「グレーゴルの妻役なんて、ぜぇーったい嫌だよ!」
「あははっ、メイアン、嫁に来るか?」
「難しいこと言うね」
一度立ち上がった炎がじゅっと音を立てて消えたかのような空気が漂う。焦げ臭く、やにっぽい嫌な空気だ。
「いっちゃんと番うのは本当に今一番の望みだ。多分それは妻なんだろう。妻になる、結婚するってことになるんだろうな。それは嫁入りするってことだよね。それって全てを背負っていっちゃんにおんぶしてもらうようなイメージなんだ…だから、素直にうんって言えなかった。ごめん」
一初は拍子抜けしたように額を合わせたままのメイアンを見た。あまりに近く、ちゃんと見ることができるのは顔以外で、寧ろ手の震えの方が伝わってくる。
「…いいや。おれが言葉を選び間違えた。なにも持たずに身ひとつでおれのところに来い。家だの昨日のことだのは、要らん。持ってきたっていい。メイアンのものを重いなんてそうそう言うか。おれのところに来たメイアンがおれとどういう形に納まるかなんて今からわかることじゃないだろ?」
手の震えはまだ治らない。
「妻がいいんじゃないの?」
「わからないね。おれ達人間じゃないから戸籍に縛られてない、だから結婚の枠組みに当て嵌まらないじゃんよ。ひとつだけ言うなら、一対一の関係でいたい」
「一対一?」
「一夫多妻とか、多夫一妻なんて嫌だ。誰かと共有するのも誰かに共有されるのも嫌だってこと」
「そんなの当たり前じゃん」
「自然界は案外そうじゃない。だから今法律で一夫一妻って決まってるのに乗っかって妻だ嫁だって言いたくなる。でも、おれの唯一であるなら、なにものだっていいさ」
メイアンはゆっくりと手を離した。
「…いっちゃんに本気じゃないとかじゃ、ないから」
「わかってる」
考えてみれば、メイアンの祖母はそんな枠組みに翻弄されてメイアン家から出されてしまったのだ。そういうところに蟠りがあるのかもしれない。
「あ。」
「なに?」
不安げにメイアンは一初を覗き込む。
「メイアン、絶対身ひとつで来ないよな」
一初はこればかりは仕方ないと首を振る。
「えぇ?なんで?」
急に不安に襲われるも、一初の軽い物の謂が気にかかる。なにか変だと思った瞬間一初は賺して言った。
「おまえ絶対バイクで来るだろ。おれの家不便なところにあるから」
拍子抜けとは将にこのことと目が点になる。
「…それ言い始めたら限ないよね?服着てくるし、メット被ってくる。なんなの、カンピーに運ばれて来いっていうの?」
一初はくすくす笑いっ放しだった。
「それはなんか嫌だ」
朝から機嫌の悪いメイアンにグレーゴルもプラムも遠巻きにしている。取り敢えず二人をDS3に乗せてウルムに向かう。
「なんか、怒ってる?」
耐え切れず、グレーゴルが下手に尋ねる。
「いいや。それよりナターリエには伝えてあるの?」
「ああ。他のヴォルパーティンガーには拡めないと口止めした上で、雨の中心はプラムで、気分に左右され易いことと…今は」
「へっ。グレーゴルが頑張ってるってか。まあいいんでない」
「…棘があるね?」
「牽強附会だな。グレーゴルが説明しろな」
グレーゴルは白地に嫌な顔をしたがメイアンは知らん顔でアクセルを踏む。後部座席に一人放り出されているプラムはおろおろと前の席の二人を見比べる。不安にもなるだろう、使っていたのはドイツ語で、なにを話しているのか理解できないでいたのだから。
「…プラムは心配しなくていい」
グレーゴルは優しい声で言う。父性に目覚めていると聞かされたらばそのようにも聞こえなくもない。先入観とは恐ろしい。
ウルムに到着して直接ナターリエの店に向かう。聞けばあの店のオーナーはナターリエで、本来女将のような存在の筈なのだが、ナターリエは身軽くウェイトレスとして働くものだから店の中にもナターリエがオーナーだと知らない者もいるらしい。
相変わらず店内は賑わっていて、昼からビールを楽しむ人も少なくない。客も店員も押し並べて楽しそうなのがいい。メイアン達もテーブルをひとつ陣取り、軽めの昼食を注文した。
「は〜いお待ち遠さま〜❤︎当店特製レーバーケーゼ。マスタードをつけて召し上がれ♪ ポテトサラダもどうぞ〜。ザワークラウトは平気かしら?よかったら食べてみて?」
ナターリエはレーバーケーゼは名前はLeberとKäseだけれどどちらも使っていないのよと笑う。
「ヴルストなの?」
「バーデン⹀ヴュルテンベルク州では極々普通〜なヴルストなの。ミートローフみたいでしょ。でもドイツ人にはヴルストなのよ」
「不思議な食べ物」
恐らく他所からやってくる観光客などは同じような反応をするのだろう、ナターリエは苦笑いではなく面白そうに笑って一旦卓を離れた。
ゆっくりめに食事をしていると段々と客が捌けて、店内は閑散としてきた。昼のラストオーダーを待つつもりで食後の茶やコーヒーを頼もうとすると、ナターリエがケーキとコーヒーとティーポットを持ってきた。
「メイアンは紅茶派って聞いたのだけれど、よかったかしら?」
「大歓迎。プラムはどうする?」
「えと…あの、どちらでも…」
ナターリエはコーヒーは二つ、ティーカップも二つ用意してきていた。プラムには逃げ場がない。
「俺はコーヒーね」
グレーゴルがコーヒーを受け取るのを見てプラムも同調する。ナターリエはメイアンの隣に座り、自分用とメイアンの為に紅茶を注ぎ分けた。プリンツレゲンテントルテとシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテとどちらがいい?とまた二択を出す。
「キルシュトルテは黒い森特産のさくらんぼケーキだよね、有名だ。プリンツレゲンテン…摂政王子って、誰のこと?」
「バイエルン摂政ルイトポルト・カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ。ルートヴィヒ二世、オットーと相次いで精神障害とされたから、実質上のバイエルン統治者だったわね」
「狂王ルートヴィヒの時代の人なのか」
「ふふ、その二人の王の叔父さまなの。政治的志向が消極的だったとも言われているのだけれど、帝国でのバイエルンの位置だとかプロイセンとの関係とか、謙虚に着実にするしかなかったのだと思うの…ルイトポルトが摂政に就いていた二十六年間は変化の激しい時代だったのだけど、穏やかにバイエルン王国を終焉へ導いていったからか国民の不安が少なくて、バイエルンの黄金時代だなんて言う人もいる。王子の摂政時代って懐古的に呼ばれるわ。だからね、このケーキの層の数はバイエルン州の数に合わせてあるの。ふふ、州の統廃合で数が変わったら、層の数も変えたのよ」
「面白いね、それを貰おう。いいかな、プラム?」
すると用意のいいナターリエはもう一皿出してきた。
「もう一切れあるわ、あなたも如何?」
「あっ、では、いただきます…」
チョコレートのコーティングが滑らかなケーキを二人に配り、キルシュトルテをグレーゴルに勧めたが、甘いからとグレーゴルは断った。コーヒーをそれだけ甘くしておいてなんだそれはと反発を覚えるのは、グレーゴルの感情に大きく振り回されている恨み節がそうさせているのかもしれない。
メイアンはケーキに向かい無言になり、グレーゴルは所在なさげにコーヒーを啜っていたが、じろりとメイアンが目線を投げると不承不承口を開いた。メイアンは無言でこのテーブルを音漏れしないよう障壁をつくる。読み通りルイーネ・ファルケンシュタインが雨の中心であったこと、雨を呼んでいたのはプラムであったこと、プラムにはウルテによって関心を持つ者を忌避させる呪いがなされていたこと…プラムに関することは他のヴォルパーティンガー達には伏せておいてほしいということ…グレーゴルはよく述べる能わずと口が重い。ナターリエは黙って聞いていたが、目が合わないようちろりとプラムを見て、自ら説明しようとしないメイアンを見、慎重に言い回しを選ぼうと四苦八苦しているらしいグレーゴルを見て、全ては理解できないがある部分だけはがっちり合点が行ったのか、ふうと息を吐いた。




