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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年5月、ラント・バーデン⹀ヴュルテンベルク㊳

晴れたのだからバイクでもいいと思ったが、バイクは二台しかなく、プラムをどちらかに乗せなくてはならない。グレーゴルはプラムとタンデムしたいだろうが、そうやって仲を取り持つのはメイアンとしては不本意だ。DS3を乗り回すのも不本意だが。

後部座席でグレーゴルにハートを量産されては敵わないと助手席で道案内をさせたが、メイアンの煩悶は続くばかりだった。

魔橋はインツィグコフェン侯爵公園の中にあった。アマーリエ・ツェフィリーネによって作られたドナウ渓谷を使ったイギリス風庭園である。家紋の彫られた岩壁だ菩提樹の並木だ展望台だ吊橋だと見所は盛り沢山だが、やはり圧巻は魔橋だった。

「ここの渓谷をHöle、地獄といってね。崖下まで19.5m、向こうの崖まで21.5mあるんだけど、1843年に先ず木製の橋が架けられて、1895年に上り下りの階段を備えた湾曲したコンクリート橋に架け替えられたんだよ」

「凄いな、当時としては超高難度な工事だったろう」

「ロマン主義時代のスイスに憧れてゴッタルド峠に架けられた悪魔の橋を模して作られたんだ。貴族の庭園だからね〜公共工事って意味合いもあるし、多少技術力を要しないと国全体の技術力も上がらない。雇用を生み出すという側面もある。追随があれば文化が花開くかもしれない。それなりに意味のある工事だったと思うよ」

渡ってみよう、とグレーゴルはやはりプラムの手を引いた。あーあ完全にお邪魔虫じゃん、とメイアンが太息を吐いて橋へ踏み出しかけたとき、ぐいと後ろに引き戻された。

「ぅぐぇ」

「しぃっ」

他の観光客がメイアンを追い抜いて次々と橋へと進む。メイアンは誰だと目を遣ると、そこにいたのは岩に溶け込む色のポンチョを羽織ったウルテだった。

ᏏᏲ(シーヨ)!」

「ウルテ…」

流石に叫ぶのは控えたが、驚きは隠せない。

「はぁ…訊きたいことは山程あるんだけどさ。今二人と逸れたら面倒なんだけど?」

「わかってる。プラムのこと、ありがとうとだけ兎に角言いたくて」

「そりゃどうも。でもあの子の涙を止めたのはあのアルミラージだよ」

「それでもいい。私じゃここまで晴れやかにはできなかったと思うから」

「…今までプラムと暮らしてどうやって雨を制御してたの?」

「できる限り喜ばせてあげたりはしてたけど、こればっかりはね…仕方ないから適当に連れ歩いて、雨の地域をずらしていたよ。今晩もこの街にいるの?」

「明日発つつもり」

「じゃあ晩にお邪魔するわ。ううん、プラムには会うつもりはないから」

「…プラムを本気で捨てる気?」

「言いがかりだね。今は未だ、とだけ。私は貴女とだけ話をしたいの。じゃ、またね」

そう言うだけ言ってウルテは岩に溶け込むようにいなくなってしまった。

全く勝手なんだから、と吐き出すだけ吐いて、メイアンは表情を切り替えた。グレーゴルの耳になにも届いていないといいのだけれど。



「…これはちょっとしたハイキングコースじゃないかグレーゴル?」

岩の門、霧の洞窟(ネーベルヘーレ)と回ると、登り下りも多く、起伏に富んだ地形は自然のままに近くて案外体力を奪う。体力には自信のある方だと自負のあるメイアンだが、野生生物には敵わない。

「今酷いこと考えていたろ」

「流石は野兎さまだねと讃えていたんだよ。人聞き悪いね」

「どうだか…まあ、心構えもなく山登りするのはいけないな。大分見て回ったし、帰ろうか」

…と同意を求める先はプラム。プラムはにっこりとそうですねと答えているが、これはなにをどう判断してよいのやら。今直ぐ片隅に引っ張っていってどうしてそのにっこりに辿り着いたのか詳らかになるまで質したい。…グレーゴルの手前、そしてプラムの名誉の為にもそんなことはしやしないが。



宿の夕食は昨日にも況して三人を満足させるものだった。ご馳走という程に豪勢なものが並んだのではないのだが、心尽くしと言うべきな南ドイツの初夏の味覚をふんだんに取り揃えていた。ここにも白アスパラガス(シュパーゲル)が供されていたが、ナターリエの店で出されたものとは違うソースでまた新たな喜びを味わえた。食べる楽しみは充分に満たされたが、浮き浮きと愉しげなグレーゴルと穏やかに相槌を打つプラムに顔色の下のメイアンは辟易し、食べ終わる頃には滅入ってきてさえいた。

このままでは顔に出てしまうと危惧して、食事に満足そうな顔のまま疲れたから早く休むと食卓を辞した。グレーゴルには、不埒なことはするなよと耳打ちだけしておいたが、どこまで響くことやら。

部屋に戻ると、音の防御陣を先ず張った。グレーゴルを見縊るつもりはないが、譬え気取られたとしても少なくとも会話だけは漏らすことはない。

今日は結局一日中晴れていた。それはつまりプラムの心が一日中晴れやかに浮き立っていたという証左でもある。それが恋心かどうかはわからないが、楽しかったことは、確かだ。

グレーゴルも、ウルテの呪いが解除されていないのだから、逃げ出したくなるような、忌避したくなるような感覚はある筈だ。それでもプラムに構いたいのは、やはりどこかが麻痺するような焦れ募る感情がすっかり芽生え育ってしまっているということなのだろう。

メイアンとて、今現在その影響を受けている。だからこそ真っ先に食卓から離れたのだし、安堵している自分がいる。このままウルテが現れず、無理矢理にでも一初に引き摺り込まれて休まりたいと、そう思っている。それは罷りならぬと己を制することに今も必死だ。

窓辺で微かな物音がした。鍵は外しておいた。窓は外側から開けられ、渡鴉から人の姿に転じながらウルテが入ってきた。

ᎣᏏᏲ(こんばんは), ᏙᎯᏧ(元気)?」

「ウルテ…チェロキー語はわかんないよ」

「そう?ねえ、あのアルミラージなあに?あんなでれでれしちゃって」

それでも椅子を勧め、メイアンは向かいに座る。

「グレーゴル・ザウアー。あれでも七〜八百年生きてるみたいだけど?」

そういえばウルテはどのくらい生きているのだろうかとふと思う。まあ、今尋ねる事柄ではない。

「気持ちだけ若ぶってんのかしら。それともそういうのまで参らせちゃう魔性がプラムにはあるのかしらね!」

「声が高いよウルテ。あれは兎なんだ、耳聡い」

「あら。防音障壁立ててあるのに?」

それにはやはり気づくか。

「それでも音が拾えたら互いに不快だ。それより、なんなの、用があるんでしょ」

ウルテは興味を惹かれる玩具を取り上げられた子供のような顔つきになったが、まあいいわとすっと表情を変える。

「先ずはメイジー・イニスね。操っていたのはハーバーと名乗る男だった?」

メイアンは太息を吐いた。

「知ってるのだろうけど、ハーバーってのは何人もいるんだぜ」

「そうよ、クローンなのよね。大概はビジネスマン然とした無駄な洒落っ気がスノッブな感じの優男よね」

「褒めてんの?」

「ああいうひょろ〜んとしたのは好まない」

「ひょろ〜んって…中肉中背、にたにたにやにや嫌な笑い方して…」

京都に現れた、ハーバーCはそこから逸脱していたとメイアンは思い出した。稍固太り気味、感情を完全には律することができず、寧ろ怒りっぽい。実用というより好みなのであろう、ミリタリー趣味。

「偶に例外がいるみたいだけど」

「へぇ、そうなんだ。イニスは結局死んだわよ。イニスを焚きつけたハーバーは貴女が殺しちゃったそうね?」

もっと遠隔にことを進めている方思っていたのだが、サン⹀トゥアン駅で線路に突き落としたハーバーが主導でイニスを操っていたのかとメイアンは合点した。

「…思っていたより小ぢんまりした計画だった?」

「サリンなんか持ち出してるのに?」

「そうそこ、アンバランスなんだよな。サリンなんて流通してるもんじゃないから、自分で合成するしかない。実験室でちまちま作った量じゃなかった。とても組織的なものを感じる。クローン・ハーバーについても、そう。次から次にハーバーと名乗る同じ顔の男を繰り出してくる。いつもきっちり死んでるから、次来るハーバーは別個体だ。成人したハーバーってことは、これらクローン開発を含めて大規模な組織であることを如実に示している。…だのに、なんだ?目標パリ五輪選手村地上げ…強制立ち退きで、サリンを使うなんて略テロリズム、目的も手段も結構遠大で壮大な感じなのに、使った人員といったら不確実なメイジー・イニスとそれを操ったハーバーだけ。イニスの宿の部屋に出入りしてサリンを先ず模造品モックを置いて、それを本物に擦り替えるなんて面倒なことをしたのは手下がいる気配がしたんだが、結局それだけだ。ちょっと思いついた、って感じなのに、使った小道具が色んな意味で半端ない。変だとしか言い様がない」

ウルテはぎっと椅子を軋ませて足を組み、腕を組んで天井を見上げた。

「グレイシャ計画が大規模に国と国をぶつけるような戦争や一国がいつまでも終わらない内乱を主導してきたことを考えると、手持ちのでかい駒や道具を勝手に持ち出して小ちゃい事件を起こそうとしたって、そういう印象よね」

「成功して大々的に報道されていたら、甚大な社会犯罪になっていたけどな」

「まあね。でもそれを人的…動物的被害を最小限にしてしまったら、これはまあしょんないこと」

確かにそうだ。グレーゴルも言っていたではないか。あの建物周辺被害の出そうな辺りにはペットを含めたものは全てなにかしらの理由をつけて外出させられていた、と…理論上綺麗に撤去されたらば、±0でなにもなかったに等しい。

…ウルテの口からグレイシャ計画という語が出たな。

レイヴンモッカー達もこの組織のことを掴んでいるということか。

「ハーバーの独断だったってこと?」

「違うと思うけど?だったらグレイシャ計画の側から火消しに動きが出るでしょう」

「つまりなに?被害者を出さないように手を回したのはハーバーでもグレイシャ計画でもないんだ?」

そうよ、とウルテは頷いた。

「でもフランス軍を出してきてサリンの対処をさせようとしたのはハーバーの仕業。軍なんか動いて防護服の映像ひとつでも流れたら大騒ぎ必至だもの。けど報道はなにひとつされてない。アルミラージ以外のジャーナリズムのサン⹀トゥアン入りを全部阻止しちゃったからね」

阻止した。

「誰が」

「あの辺りにいた仙という仙が。サン⹀トゥアンに物理的に行けなくしたり、心理的にサン⹀トゥアンに向かなくしたり、遣り方は様々だったそうだけど」

伝聞調。

「ウルテがやったんじゃないんだ?」

「やだ、そんな手間のかかること。大体レイヴンモッカーの口出しできる場所じゃないもの」

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