2023年5月、ラント・バーデン⹀ヴュルテンベルク㊲
メイアンに当てられダウンしてしまった一初は、それでももうひとつ危惧があることを告げて事切れたように去っていった。メイアンは疲れたようでいて満たされた身体が睡眠を只管要求して、朝まで昏々と眠ってしまった。
「…うぇ」
目覚めて先ずしなければならなかったのは下着を取り替えることだった。一初に呪いの言葉を吐きつつもつい笑みが零れるのは幸せなことだなと思いながらシャワーを浴びる。思っていたより汗ばんでいた体を流しながら一初が残した危惧を思い返してみる…グレーゴルとプラムが恋し合ってるとして、プラムは果たして性があるのかな、そこが無くてもグレーゴルは恋愛を成立させることができるのかな、という疑念。
プラムは両性なのではない。性別そのものが、なかった。風呂で眠ってしまっていたのを救い出した際に見た。女でもなかったのは、自身が女だからわかる。不思議なものを見たなとしか思わなかったが、改めて一初に指摘されてみるとそういう懸念にどうして行きつかなかったかのか自問してしまう程だ。
声と舌だけで果てさせただけあるよいっちゃん、とシャワーの中で呟いて風呂から上がる。
髪を拭きながら続けて考える…身体の作りだけなら、なんとかなるかもなと思うも、根本的な構造に性が無くても気持ちや感情だけで続くだろうか。
ウルテならわかるのかなと、ふと思った。
外はさっぱりと晴れていた。霽れ、だなと思いながらウッドデッキに出ると、楽しげに笑う声が聞こえた。グレーゴルとプラムだった。そういえば宿に気が晴れるものがあると言っていたっけと、それがこの美しい庭のことだったかとやっと気づいた。なるほど、雨が降っていては見応え半減だ。人工的と言い捨ててしまえる程には整形されていないが、野放図に放っておいたわけではない。小径は整備されているし、計画的な植栽が見て取れる。
紫菀、ブルーベルに蔓花忍、飛燕草、瑠璃溝隠、キャットミント、千鳥草…ふむ、青系に寄せた花々か。藤紫から紺、水色まで青のバリエーションがあるのは青色の花の種類が限られているからだろうが、あまり同色に固執しない青への拘りは強弱がついて美しいと思う。雲の少ない空に露濡れた花々が映えて大変よろしいぞと思っていると、一周してきたらしい二人がメイアンに気づいた。
「おはよう。いいでしょ、この庭」
グレーゴルは己が手入れしたでもないのに誇らしげだ。
「庭の主の並々ならぬ愛着を感じるね。咲き揃って綺麗だ。青空とで絵になる。美しい」
メイアンは目を細めてデッキに撓垂れかかる千鳥草に指を伸ばした。触れると花弁が落ちてしまいそうだ。その枝の陰に小さな人影が見える。多分千鳥草の精だろうと目を凝らそうとすると、それは口許に人差し指を立てた。グレーゴルかプラムか、或いはその二人にか、彼らには内密の話がしたいらしいなとメイアンは微かに頷いてみせ、痴っとグレーゴル達に向き直った。
「メイアンは花が好きだね」
「美しいものは美しい。なにが悪い。やあプラムおはよう。霽れたね」
プラムは曖昧な笑みを浮かべた。
「照る照る坊主のお蔭です…」
「あははっどうだろ」
「雨、いけません…」
「それは違うね。晴れなければ植物は蒸散を控えてしまうが、雨そのものがなければ萎凋してしまう。ここが晴れしかない気候ならば庭の設計は変わってしまう」
「変わる?」
「どうにかこの植栽を維持しようとするなら灌水装置を張り巡らせるなんて無駄な作りにするしかないし、諦めて乾燥地域で育つ植物に切り替えるかもね。こんなしっとりとした花々とはお別れだ。それに、雨でここ数日気温が低かったからブルーベルや飛燕草がまだ咲いてる。そろそろ切り戻しをかけていてもおかしくない…庭の花が今こうあるのは、全て庭の主の設計と偶然の産物だ」
「そうなんだ…」
「斯くして美しい庭を享受した。雨のお蔭でもあるってこと。さ、朝食にしよう」
グレーゴルとプラムを部屋に戻し、メイアンは見てないからと庭に残った。
「さて千鳥草?」
まるで花びらをそのままつけたような天色の不透明な羽を背中に持つ千鳥草の精は枝を暖簾のように掻き分けて顔を出したが、それ以上前へ出てこようとしなかった。
「だってデート気分の庭散策を一部始終見られてたと知ったら一角野兎が穴に入りたくなっちゃうでしょ」
「あははっ兎だけに穴を自分で掘りそうだな。散策に問題でも?」
デート気分か。グレーゴルめ朝からそんなにハートを飛ばし捲っていたか。
「メイアンだって気がついてるんでしょ。あの黒い子、女の子でも男の子でもない」
「うーん…時代は虹色だからなぁ…恋愛対象が異性でなければならないという縛りは現代薄いし?自身がどんなジェンダーであるか定めなきゃならないなんてのもないに等しいよ?」
「そういうことじゃ、ないよ」
千鳥草の精は女の子のような造作ではあったが、少年であるらしかった。美少年という部類かなと思っていると、そんな顔を曇らせた。
「黒い子は女の子にだって男の子にだってなれる。メイアンだって化けたらなれるでしょ。一角野兎が男でありたいなら女の子になればいいだけだ。けど、どっちにもなりたいなんてこれっぽっちも思ってないんだよ」
グレーゴルを拒否してはいないが受容もしていない。
「これからなんじゃないの?」
「女の子男の子って概念がないんじゃないかなぁ」
「…どういうこと?」
この世に男性も女性も、雄も雌も、どこを見回しても溢れ返っている。自由を謳うアメリカでは自由を標榜するが故にその存在を強く意識せざるを得ない。知らないということは、あり得ない。
「本を読む子だから、知識がないんじゃ、ない。自分が…性別を持つってことに今まで関心がなくて、今それが必要かどうかもわからなくて、…どうしたらいいかはわかってるみたいだけど」
女を求められたら女の形になればいいのはわかっているが、己が女として扱われるとは全く考えていないということだろうか。
「…性別を持つことを、望んでいないのかな」
「かもしれない。あっ、一角野兎は女の子が好きなんだよ、知ってるよね?」
「あはっ、伝説にまでなってるよね」
「僕ら植物だから、同性に意味を見出すってわからないけど、動物ってそういうのどうしようもないときってあるじゃん。人間はその偏りが激しいし、近年激化してると思うんだ」
「昔からあるにはあることでしょ」
「そこを論ずるのは難しいよメイアン。緩くなったからかもしれないし、意識が変わったからかもしれない。ただ、人由来じゃない仙達も、人の姿をとることで人のそんな部分に引き摺られてるところがある」
ロロは思い切りエロワの性癖に引き摺られていたっけ。
「あの黒い子が時代の趨勢に呑まれているのか、本人の固い意志なのか、ただ育ってきた環境なのか…このままじゃどっちも不幸だからさ」
「優しいね、千鳥草」
「えへへ、この庭綺麗って言ってくれる人に不幸なんか要らないんだよ」
千鳥草の精は照れ笑いになる。メイアンは身を屈め、花精の小さな小さな頰に唇を寄せた。
「ありがとう。気を配っておくよ」




