2023年3月、京都⑳
アキはメイアンの手を掴むとぐいぐい座敷へと引いてゆく。そして見て!と座卓の上を示した。
「うわ凄い量」
熊がこの家にあるバットや片木やらを悉く出してきたのだろう、四角く浅い容器に色とりどりの琥珀糖が座卓いっぱいに並べられていたのだ。
「んんん?これ琥珀糖でしょ?乾燥に時間かかるもんじゃなかったっけ?」
「媛さまが乾燥に手ぇ貸してくだはって!この苺やラズベリー、ほんまに生の果物のようやで!」
琥珀糖は錦玉という寒天を煮溶かし多量の砂糖類を加えて更に煮詰めたものを乾燥させて表面に糖分を析出させた菓子である。寒天と砂糖であるから、色や味、風味などつけ放題であり、形状もかなり自由にできる。小さなキューブに切り分けてスタイリッシュに仕上げたものあり、ランダムに割って硝子の破片のように、またカットされた宝石型や水晶の結晶如く作られたものを菓子舗で見かけたことがある。しかし並べられていたのはクッキーカッターや野菜抜きで抜いたらしい愛らしい様々な形だった。兎や猫、犬などの動物型、梅桜桔梗菊の花型、星、丸、葉のついた林檎やら雪輪やら、よくもこれだけ抜き型を用意したものだと呆れるほどである。
「輝さんは?」
「台所でお茶飲んではる」
「綺麗で、可愛いねぇ。売っていそうで、いなさそう」
「メイアンそれ褒めてるん〜?」
「勿論褒めてる。もう逸そ琥珀糖専門店開いてしまえばいいのに」
メイアンは台所へ行くと、作業台の端で椅子にかけて輝媛はお茶を啜っていた。
「あらお帰りなさい。食べてみた?」
「ただいま〜。食べらんないよ、作った人に悪いじゃん」
「ふふふ、辛抱堪らなくなって気づいたら口に入れてた、っていう方が作った冥利に尽きると思うわあ」
輝媛は茶を飲み干して湯呑みをシンクに置くと、アキちゃんどのお味か教えてあげて、と座敷への移動を促した。
「輝さんも一緒に作ったの?」
「うふ、割烹着貸してもらって作ったわ。でもね、熊と菫の機敏すぎて出る幕なしだったかも」
「そんなことあらしまへん〜輝媛さまは効率的で手早かってんよ」
「アキちゃんもてきぱきしてて、気持ちいいのよ。お菓子は手際が肝心ね〜」
座敷に入ると、ささっと熊と菫が回り込み、白っぽい銘々皿を配り、濃いめの茶を淹れた。
輝媛は菫から取り箸を受け取り、左手で袖を押さえながら小さなテディベア型のをひとつメイアンの更に置いた。
「召し上がれ」
「いただきます…ってこれはなに味かわかるよ。苺だね!」
摘み上げると新鮮な苺の香り。口に入れると噛んだところがしゃりっと砕ける歯触り、噛み進めると寒天らしいだが糖度の高い粘度がありつつさくりと切れる弾力。苺の味が同時に広がる。
「なにこれ凄いフレッシュ!ジャムじゃないね、絞ったんだったらもっと薄まっちゃうし、果肉が入るよね?」
熊が真っ赤な顔で言う。
「凍らせて苺を保存していたのです…」
「冷凍の方がフレッシュなの?」
輝媛がふわりと笑う。
「違うの違うの。凍らせたのを自然解凍するとね、細胞が壊れてドリップが出るでしょう?それを使うの〜」
「ああー加熱しないから香りも飛ばないし変化しないんだぁ。程よく細胞壁が破れてくれて果肉片が入らないんだね。種すら入ってない。上手に色素も出て、綺麗な赤」
「こっちも食べてみて〜」
菫は葉っぱの形を置いた。ほんのり黄緑を帯びた中に細かい物が散っている。口許に近づけると、ほんのり青くさい清涼感。
「庭に生えてる薄荷だな!こんなに細かく刻むと包丁の鉄分で黒くなってしまわない?」
「あはー擂り鉢でごりごりやったんだよーん」
こっちもこっちも、と水色の雲の形をアキが差し出す。
「あ!こっちはミントリキュールだろ」
「Heydtクールパワー。四条はんは妙なものをお持ちや」
「GET27とかマリーブリザールのミントグリーンとかボルスだってみんな緑なのになぁ、緑じゃないミントリキュールなんてあるんだ!綺麗な色だねぇ。これは食べるの楽しいなぁ!いや、でも可愛いし、勿体無い?」
一口茶で口を流すと次を選びかけてメイアンは礑と手を止めた。
「作った人が食べないのはおかしい。アキ、ズブロッカのもあるんだろ、どれ?一緒に食べよう」
アキと色々選びながら楽しげなメイアンを見ながら輝媛はほわっと微笑んだ。
「こういうとこ、なのよねぇ」
「輝さんも、ほら!熊、菫、おいで!ねぇこのハートちょっと尻尾が跳ねてるんだけどこういう抜き型持ってたの?」
「それは空き缶で型を急拵えしたんだよ〜」
「うわ味が薔薇!ふふふノーブルなのかなんだか微妙〜」
「お花シリーズ行ってみて!桜でしょ〜ネロリでしょ〜菫でしょ〜」
菫が菫でしょ〜と言うのを面白げに聞いていたが、更皿に並べられてみて首を捻る。
「待て待て、菫はパルフェ・タムールだとして…桜は塩漬け?」
「あははっ、そんな塩っぱい琥珀糖なんか食べたないで」
「熊が去年の桜を砂糖漬けにしてたんだよ。桜を壜に砂糖と交互に詰め込んでちょっとだけ枸櫞酸入れるの〜菫、桜摘むの、手伝ったんだよ〜」
「へぇ、桜から直に取ったエキスなんだ〜。ネロリは?まさか精油とか使った…じゃないんだな?熊?どうやったの?」
「お庭の橙のお花を摘んで、花弁と柱頭に分けて、それぞれホワイトリカーで漬けました。今年も作る予定です」
「自家製!凄いね!こっちの悪魔的な紫はなに?」
「ガーデンハックルベリー。四条さんは本当に変わったものがお好きねぇ〜」
口に含むとラムが香る。
「あはっラム〜。おっ?なんか赤いのいっぱいあるよ。これなに?」
「メイアン、よくぞ訊いてくれました!ブラックチェリー、ラズベリー、紅すぐり、さっきの苺と、赤玉!」
「ブラックチェリーはキルシュワッサーだな!これ実は凄い贅沢じゃん!なになに?みんなジャム?」
「ラズベリーは冷凍しておきました。すぐりはジャム」
「赤玉いいね!ポートワインっぽい!こっちは?もっと赤黒い」
「それは好き好き分かれるかも〜サングリア作ったんだけど」
「へ〜え、あ、シナモンとレモンの香りする、ん、でも赤ワイン。ホットワインのレシピだな〜」
「黄色いのは、どう?」
「気になる気になる!この檸檬色、件の熊お手製リモンチェッロ?」
「悔し〜っ!聞こえてたかぁ」
「山吹色のは?」
「これがオレンジ」
「おっ、確りオレンジの味。錦玉に入れると薄まりそうなのに。こっちのは山吹より少し赤味が…もらっていい?」
「ぬふふ食べてみて〜」
口の放り込んでみると、オレンジよりも濃厚なオレンジの味がする。
「ははぁ、これ、ブラッドオレンジだろ〜タロッコじゃなくて、モロとか、それ以上に朱いやつ」
すると輝媛もアキも熊も菫も四者揃って目を丸くした。
「なに可愛い」
「…メイアン詳しい…」
「あー、スペイン内戦でカタルーニャにいたからね」
輝媛と熊、菫は納得したようだったが、アキはなんだろうと顔に出ていた。
「あはっ、アキは知らないか〜ロバート・キャパとかフェデリコ・ガルシア・ロルカとかフランシスコ・フランコとか」
「回文みたいな名前やな」
「うはー言われちゃった。第一次世界大戦の後王制から共和制へと移行したんだけど、右だ左だって忙しい上にラテンで血が騒いじゃって壊すわ暴れるわで独裁者が出てきちゃうし近代兵器が馬鹿スカ投入されるしでもうしっちゃかめっちゃかだったんだよ。歴史的に定義されてるスペイン内戦は'36から'39の三年間なんだけど、ファシズムが台頭してきたりして本当に国がぼろっぼろになっちゃってさ。外圧だの義勇兵だのってもう国土蹂躙されまくり。独裁者は身勝手で、外国人はお構いなしなんだから。ピカソのゲルニカはこのとき爆撃された様子を描いたとされてる。でもスペインなんだなぁってのがロルカだよね。詩でアンダルシアの人心を纏めちゃうとかさ。'75のフランコ死去まで独裁国家で、その後は王政復古、そして民主化と至るんだ。今でこそそれなりに旅行とかできるけど、ETAを始めとする赤っぽいテロリズムが跋扈する国なんだよ。良いところなんだけどなあ、スペイン。ギターやフラメンコや…海産物も豊富だし農産物も豊かでさ」
メイアンはそこまで言って鼻白んだ。
「やめてよ〜暗い話しようってんじゃないんだから〜。傭兵としては未だ未だ駆け出しでさ、結構きょろきょろしてたもんで。オレンジやレモンもいっぱい種類があってねぇ。太陽をいっぱい浴びた果物がまあ旨いったらないの。王様のいた国ってのは美味しいものがいっぱいあるよね!」
隣で得心が行ったように熊が頷いている。
「イギリスの食事は不味いっていうよ〜?」
「あはっ、変な名前の料理が多いのと、味つけが薄いんだよ。あんまり手の込んだものは作らないしね。塩加減は食べる人任せだけど、結構美味しいよ」
「ドイツも不味いって言われてへん?」
「高緯度で日照時間が短くて生産できる作物が限られてるから、仕方ないんじゃん?やっとこさできた作物を大事に保存したいから塩漬け当たり前。でも職人気質な国民性だからかな?物凄いプロフェッショナリズムで作り出された完璧なものばっかりだ。馬鈴薯と豚肉ばかりに偏ってしまったことは不幸だけど、努力でできた美味しいもの、いっぱいだよ」
アキはすっかりソーセージで頭が埋め尽くされてしまったようだ。そこにうっそりと忠遠が現れた。
「はっはっは、メイアン?お前さんはどこに行っても食うことに貪欲だったようだな?」




