2023年3月、京都⑱
金属製のバケツを見つけ、水を汲んできて傍に置く。暖海が入り口に最も近い席に腰を下ろしている。入道は厨房。これ以上退がるわけにはいかないな、と思いながら一斗缶の蓋を取り、小麦粉の袋を引いてきた椅子に載せて口を開く。
入り口の戸ががん、と揺れた。
メイアンは暖海の掛けた椅子のテーブルを引き倒し、入り口に天面を向け、その陰に潜り込む。テーブルをバリケードにはしたものの、強度は期待できまい。背中を天板につけて入り口を窺う…ここまで二秒。
入り口の戸は引き戸だが、こちら側に膨らむように撓んで見えた。と思う間もなく戸がこちらに破壊されながらふっ飛んできた。戸を蹴り込んで突破口を作ったのだ。だとすると、次に来るのは手榴弾か。それは無傷では済まされないなと歯噛みしながら大破した入り口を注視していると、なにかが投げ込まれた。投擲に勢いがない。ころん、というよりも…この筒状の、滑らせるように入れてきた、これはXM84だ!
咄嗟にバケツを掴むと、滑り込んできたXM84に被せた。間に合うか。メイアンはバケツに体をかけ跳ね上がらないよう抑え込む。遠心力がかかり内部に残ったままの水が突然沸き立つようにごぼごぼと内部で暴れた。その勢いはメイアンの体重だけでは抑え込めず、バケツが瀕死の生き物のように暴れる。その浮き上がった床との隙間から白い光が漏れ出た。数十秒押さえ込んだいるとやっとバケツは静かになり、だらしなく水が流れ出てきた。一面が水浸しになっている。
XM84の爆燃が止めば、制圧に突入がある筈だ。だが閃光が遮蔽され、轟音も抑え込まれた。二つ目を投入して来るだろうか。それとも…ふっとメイアンの口から笑いを含んだ息が漏れた。突入のゴーサインが聞こえたのだ。
…やはりな。
XM84の出力範囲は15mで、その範囲内で170〜180dBの轟音と6,000〜8,000kcdの閃光を放つとされている。だが入り口の戸は蹴破られ直後XM84が転がり込んできた。つまり効果圏内に該当するから、投げ込んだ者は戸の際の壁に背をつけ、耳を塞ぎ、ゴーグルをしていても尚目をきつく瞑った筈だ。阿呆か、初歩から躓いてどうする、とメイアンは立ち上がり油の一斗缶を静かに倒した。テーブルの即席バリケードに戻って同じように身を潜める。
戸の残骸の向こうから、にゅっと黒く細長いものが侵入してきた。短機関銃の銃身。H&K MP5A3とはなんとも教科書通り…ってこっちはテロリスト扱いかよ、とメイアンは己にツッコミを入れつつ次の挙動を待つ。屋内が沈黙していると確認したら即突入の筈。素直に菜種油に引っかかることだろう。
消炎器が右に、左に、そして円周を描くように上も下もと辿って、くんっと一度銃身が下がる。駄目じゃん、と思いながらもメイアンは身動ぎを抑え、息を殺し続ける。
銃身が下がったのは後ろに控える仲間に合図を送るために身体を捻ったからだろうが、無線機を持たないのか使わなかったのか。いずれにせよ銃の先が下を向いたら用を為さない。訓練が足らないのかまだ経験が足らないのか。そういう半端な人員を連れてきたのだ。
タクティカルブーツが一歩店内に踏み入れる。一歩目、踏み締めて左右にでも展開する気だったのだろう。しかしブーツの裏底の摩擦係数は極端に下がり、面白いように慣性の法則に従った。つまり勢いのまま前方へ滑ったのである。当然片足が前方へ不随意に進むから、予期せぬ重心の変化に体がついてゆかず仰反る。バリスティックヘルメットとダストゴーグルで上の方が重たい。足はまだ前に滑り続けている。当然尻餅という不恰好になり、隣りに半身遅れて続いた者も同じ末路を辿った。不幸な二人に続く筈だった二人がいたが、予期せぬ形で開けた視界に気を取られ足許が疎かになった。着いた足が左右に開き、それでも安定を図ろうと足を動かすも油に足を取られ完全にバランスを崩し、まだなんとか無事だった隣の男のアサルトスーツをタクティカルグローブで掴むが、当然ながら巻き添えを喰らわせ、災難を分かち合った。以降続く者がいないということは四人で打ち止めかな、とメイアンは最も近くに転がって立ち上がろうと踠いている一人のタクティカルベストから無線を捥ぎ取る。
「What the fuck⁉︎」
「The wording is wrong!」
顎を蹴ると「Yowtch!」と叫びが上がったが、無視して無線を送る。
「The target has brought under control.」
すると返事がすぐ返ってきた。
「Sure.… you… you bastard!」
当初は小声だったのに、無線の音が割れる程大声に広がった。メイアンは肩を竦めた。
「Oops, the wording is wrong.」
無線を投げ捨て、油を踏まないよう人の上を歩いて四人全員の親指を輪にしておいたインシュロックで後ろ手にし左右纏めて締め上げた。戸口の正面に四人を引き摺って纏めて放り上げ、一斗缶の残りを全部撒き直し、メイアンは四人の上にちょこん、という擬音がつきそうな風体で座った。
やれやれボディアーマーまで着込んでくるって、こっちには一発も実弾なんぞ無いのにね、と割箸のゴム鉄砲にゴムをかけ直した。
外から奇妙な音が近づいてくる。がつっ、となにかを突くような音と引き摺り躙る擦過音。またがつっと突いて、引き摺っては躙る。跫なのか、と気づくや恐るべき執念を悟った。突く音は二つ重なっている。砂を噛む音は一つ。これは、二本の松葉杖と片足。
正面に松葉杖を両方突いた者が立った。顔半分を包帯で覆ってある。髪は斬ばら。両腕も包帯がぐるぐる巻きにされている。指先の方まですっかり悉く。軍服を着ているから見えないが、全身相当酷い火傷を負っているように見受けられる。それだけの負傷では痛みで身動きできない筈だが。否、それ以上に目を釘づけにしたのは、左脚だった。膝から下が、無い。空虚なスラックスの裾が縛ってある。
エリン・スターリング。メイアンの放火と寒霏が起こした灼熱の竜巻で略全身熱傷を負ったのだ。彼女はメイアンの不死身性を知っている。
「Hi, Major.」
軍事会社故にこんな階級がついている。フラナガンはSergeantだった。
「Corporal, you swine!」
がんっ、と松葉杖で床を叩きつける。惜しい、油の無い部分だったことを残念に思う。これは少し煽るに限る。
「Oh, sad… your vocabulary is decreasing.」
悲しいかな語彙が減っていらしてよ、と大袈裟な身振りをつけながらしかし目だけにやりと笑う。
スターリングが片足を失っても尚メイアンを追ってきたのは何故だろう。そういえば突入の際殺傷性のある手榴弾ではなく、閃光発音筒を使ってきた。XM84では負傷しないという意味ではないが、…生捕りたかった?
メイアンの挑発に乗り、スターリングはぐり、と松葉杖に体重をかけ、身を前に出した。残っている右足が着く。そこに全身を預けたら、松葉杖を、そう、浮かせて、前に、突く。
メイアンはゴム鉄砲をスターリングの目を狙って発射した。一発では心許ない。素早く掛け直し、次発、更に次発、と全部で五発ほど次々と発射すると、目を庇おうとさしものスターリングも手を翳そうとして油で滑る床で松葉杖のバランスを崩した。
…まあ、なんていうかね、片足無い人が全身火傷だらけで油の上なんかで転けたら立ち上がれるわけないじゃん?
メイアンは立ち上がり、踠くスターリングに問う。
「まだガスやる気なの?」




