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狐と踊れ  作者: 墺兎
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2023年3月、京都⑮

「あらぁ♡入道のところの中鷺ちゃんじゃないの♡可愛くなっちゃって♡」

そこにいた全員が驚きの大小こそあれ、えっとばかりにその声の方に一斉に首を向けた。座卓の空いていたところに着物姿の小柄な女性がいつの間にか座っていたからだった。すっと熊が回り込んで盆で運んできた湯呑みを前に置く。窓の外では縁側の踏石のところで菫が履物を直しているようだった。そこから入ってきたということなのだろうか。障子や襖が動いた音はしなかった気がするのだが。

名指しされたアキは緊張したように少し退がり両手を畳について頭を下げた。

「お、お久しぶりでございます、宝ヶ池の媛さま」

「も〜、21世紀なのよ?令和なのよ?やめてよう、その呼び方〜」

顔を上げられないアキを宥めるように忠遠は肩を叩きながら言った。

てる媛?この娘は若い中鷺なのだよ。その気がなくとも充分威圧しとる。お止めなされ」

メイアンは内心首を捻る。忠遠の言葉のうち、なにが追い詰める要因になるというのだろうか。アキを若い中鷺なのだからと言ったということは、アキより老成していて、中鷺の天敵?…となると、宝ヶ池の媛さまこと輝媛は、仙なのか。

「いやん♡ごめんなさい。取って食ったりしないわよん。四条の忠遠もぉ〜、媛とかやめてよう」

「貴女は少々砕け過ぎだと思うのだが。またどこかの女子高だか女子大にでも潜り込んでなさったのかな?」

「やぁね、最近女子校探すのはなかなか骨なのよ。それより、こちら。紹介してくだらさらないの?」

忠遠は稍不満気に嘆息した。

「改めなくとも承知なさっておいでだろうに。ドンバスから連れてきた、名は罔象メイアン。フランスの血が四分の一入っておる」

輝媛は目を丸くした。

「あらまぁ!素敵、水の女神の名ね。古い神だわ」

「いやいやいや、伊奘冉から生まれた神はなんというか、全体的にばっちいじゃん?」

小さく憤慨するメイアンにころころと輝媛は笑った。

「原初の女神の身体の一部であったものが万物の根源なのよ、わたくしこの神話、割と好き♡」

「嫌いじゃないけどね、伊奘冉は常に死と共に語られるじゃん?気の毒だ」

「同感だわ。でもとてもこの国の風土っぽいと思うのよ。神とて永遠ではなくて、全て土に還る。次の世代は前を良くも悪くも踏み台にして発展する…水が豊かで環境循環が成り立っている場所で成り立つ神話なのじゃなくて?」

かなりおちゃらけて登場した輝媛だったが、アキが畏怖し忠遠が敬語を絶やさないのはこういうところにあるのかな、と彼女の考察からメイアンは思った。

「いいね、陰鬱に持ってかない気質ってか。輝媛さんって呼んでいい?」

「媛とか時代錯誤だと思うわぁ」

「じゃ、輝さん」

「じゃあ貴女はメイアンさん〜」

「新鮮だけど、さんは長ったらしくね?アキもメイアンって呼ぶよ?」

「ならメイアンにしよ♡わたくしもさん無しにしてほしいわぁ」

「ははっ、それは難題だな。もう少し罔象メイアンが大成したらそうさせてもらう」

アキがはらはらしながら推移を見守っている。

「あんまり先にしないでおくれな〜」

頑張るよ、とメイアンは言いながら菓子を勧める。

「素敵なお着物だね。詳しくないんだけど、組み合わせが、なんとも言えない、いい」

「あらぁ♡褒め方を心得てるのね、嬉し♡」

オブラートで包んだ寒天ゼリーを包みから取り出し輝媛は口に運ぶ。

「そんな心得ないよ。いいと思ったんだけど、今直ぐに解るの、色だけなんだよ」

「ふふふ、今日の羽織は桐生紬の影絵織〜♡羽裏は三月だから、土器〜」

ぺら、と捲ると、墨色の羽織の内側は若草色で、黄土色の壺が散っていた。

「あははっ駄洒落?」

そうなの、と輝媛も笑う。

「お着物は紫っていうより小豆色の小紋♡葉っぱ、萩みたいだけど馬の肥やしってことにして?」

メイアンは吹き出しかける。

紫苜蓿ムラサキウマゴヤシのこと?うは、春の花だね!帯の間の、その結んである布?が明るいビリジアンで、帯を結んである紐?が紫がかった濃いピンクなのは、そういうこと?」

「そうなのそうなの〜帯揚げと帯締めでお花みたいでしょう〜♡」

「白い帯にとても映えてる。ねぇ、その帯、裏は色が違うの?」

「ええ、若草色のリバーシブルなの。ちらっと見えるのが素敵でしょ♡」

「うんうん、とてもいい。春っぽい」

「ふふ、春序でにお太鼓には小鳥がいるの〜♡」

見る?と羽織をするりと外し、背中を向ける。手描きの雀が枝にとまっていた。

「可愛いね!着物の裏地、ピンクなんだね。帯締めに色味が似てる」

輝媛は本当に嬉しそうだ。アキと忠遠は間抜けに口を開いている。

「足袋!小鳥の刺繍がしてあるじゃん!輝さん手を抜かないね!」

輝媛は照れたように小さな声で言った。

わたくしが、刺したの」

「まじか!凄いじゃん!衿の白いとこに入れないで踵っていうのが洒落てるよ。帯の小鳥だって羽織着ちゃえば見えないしさあ!輝さん本当は奥床しい人なんじゃないの?」

メイアンは女殺しな科白をを次々と吐きながら履物にまで言葉を及ぼした。

「今日草履?見ていい?こっちだよね!」

すいすい移動して縁側に出る。縁に手をついて草履をしげしげと見てほう、と息を吐いた。

「この草履、お誂えでしょう」

「どうして?」

「だって羽織と同じ生地じゃん?ほら、光の角度で黒地に大柄な花模様が浮き上がる、ちょっとふわっとした生地。鼻緒も同じ生地だね!ふふふ、鼻緒留めてるこのベルベットの、これ羽裏と色揃えたんでしょう?」

メイアンの横に来て座っていた輝媛はくすくす笑い出した。

「逆なの」

「逆?」

「このお草履をね、見つけたの。そしてお草履と同じ生地を探して…というか直ぐ見つかったのだけどね、お草履の壺と同じ色の羽裏をつけて長羽織に仕立てたのよ」

「ああ、それはセレンディピティ!」

「その通り素敵な偶然でしょう♡」

「輝さん、セレンディピティはね、偶然だけじゃなし得ないんだ」

どういうこと?と輝媛は首を傾げる。

「セレンディピティはthe prepared mind、つまり“構えある心”からくるという。草履は偶然巡り会ったのかも。けど、そこから羽織に至るまでには輝さんが草履の生地が如何なるものなのか調べたり探したりしなけりゃ辿り着かないよ。でも四六時中その生地のことばっかにかかり切りにはならないでしょ。反物が並んでいたら桐生紬じゃないかな、ってつい探したんじゃない?違ってたら、店の人にこれこれこういうって説明したんじゃん?そうやって種を播けば店の人だって探してきてくれる、だから直ぐに手に入ったんだ、多分」

後ろでそっと聞いていたアキが恐る恐る口を開いた。

「つ…つまり、努力あっての、偶然、ってこと?」

「うん。でも本人は努力したって自覚がないから、成就したときに素敵な偶然になるんだ」

アキは難し気に問う。

「…媛さまのセンスがええから、やないの?」

「勿論だよ!輝さんのセンス、可愛くてお茶目だ。出過ぎたとこがなくて、そして運がいい」

「運?」

「素敵な偶然を生む為にどんなに努力したって確率を高めることはできるけど、なんだかんだ言ったって最後は運じゃない?どんなに生地を探しているって表明したって、生産終了してたら逆立ちしても手に入らないじゃん」

「そっか…」

縁側では寒かろうと思ったのか、菫が輝媛の羽織を広げて肩にかけていた。袖を通し羽織紐をつけ直すのを見ていたアキは思わず声を上げた。

「あ…!三月!」

はっと口を手で塞いだものの響いた声は取り戻せない。

「アキ?」

「大きな声して堪忍。媛さまの羽織紐、三月なんやもの」

「どゆこと?」

羽織紐、と指したのは薄青く濁ったビーズと不透明な白いビーズを繋いだものだった。

「媛さま、そのビーズ、藍玉アクアマリンどすなあ?」

輝媛は紅潮が引かぬまま笑う。

「ふふ…水色のは、藍玉アクアマリン。白いのは、珊瑚なの」

「ははは!どちらも三月の石だ!控え目な色合いがいいね!ぴかぴかし過ぎないのがいいね!三月、ああ、春を待ついい季節なんだ…」

メイアンはくつくつ笑いながら言っていたが、段々とトーンが下がり、がっくりと膝をついて片手で半分俯いた顔を覆った。

「メイアン?」

様子が変わったことに気づいたアキがそっと覗き込む。メイアンは細かく震えていた。

「メイアン、どうしたの」

輝媛も心配気に寄り添う。忠遠は眉根を寄せ、腰を浮かせた。熊と菫が互いに手を握り締め合って固まった。

「…い、いや、なんでもない。えと、ごめん。ちょい、ちょい待ち。直ぐ、直ぐなんとかなるから」

顔を覆っていた掌を拳に変え、額に当て直した。震えが止まる。うん、と頷くと立ち上がり、窓を閉めた。

「ちょっと感傷的になってしまって。あは、ごめんねぇ」

皆を座卓に戻らせ、お詫びとばかりに茶を淹れ直し、湯呑みを配った。なにもなかったかのように先程輝媛が食べたのと同じ寒天ゼリーを口に運ぶ。しかし全員の視線が集中していることに苦笑いした。

「やだな、春が近づいてきてるのに、世の中には敵だ味方だなんてぎすぎすしちゃって、季節の喜びだとか美しさとかどっかに行っちゃってる人がいっぱいいることを思い出しちゃっただけ。そうなりかかっていたことも、嫌気がさしたんだ。輝さんみたいに、ただ春をわくわくと待ちたかったんだよ」

三月は弥生です〜

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