2023年3月、京都⑬
「おはよん、アキ。よく眠れた?」
もうおはようという時刻ではない。目に隈を作ってアキは体を引き摺るように縁側に腰を下ろした。
メイアンは久我に魔方陣でNSRを収容する方法を庭先で教わっていたらしい。
「あのちびっこ達は?」
「小学校に行ってるよ。だから昼飯はメイアン作だぜ!」
「…四条殿は?」
恐る恐る尋ねたアキにメイアンは破顔した。
「あはっ、大丈夫。忠遠は留守だよ。ゆっくりしていけってさ」
跋の悪そうなアキを浴室を案内して、メイアンは久我に手伝わせて昼食の支度を始めた。湯を沸かす横で俎を置き、かなり太めのバゲットを薄切りにしてゆく。
「うわ、そのフランスパン、黒いぞ」
「黒いぞって程黒くないでしょうよ。ちょっと茶色って程度じゃん?」
「いやなんつうか、ちょっとこの灰色がかった感じ?大丈夫なの?」
「ははっ、これねぇ、全粒粉のバゲットなんだわ。昨日夜に出かけてる間に熊が作ってくれたんだってさ。熊って可愛いよね」
久我は怪訝そうな顔になった。
「えぇ?得体の知れないパンを焼くことの、どこが?」
「久我は女心に疎いな。熊は心配で堪らなくなって、力一杯捏ねて叩きつけるパンを作ってくれたんじゃん」
「…メイアン?それってただの発散…」
「心配してくれたんじゃん。鈍ちんめ」
ひひひ、と笑ってスライスしたそれに塗るためのクリームチーズを用意する。
「っとぉ、こっちの六枚はクリームチーズ多めな〜久我、頼んだよ」
「どのくらい塗ればいい?」
「ちょっと厚めがいいかな〜?できればちょっとだけ真ん中辺りがこう、こんもりとなるようにできたら、久我最高♡」
久我は唸りながら丁寧に作業に取り掛かる。意外に実直なのだな、と朝のうちに久我とスーパーで買ってきた食材を買い物袋から取り出して下拵えしてゆく。
「そのアボカド、まだちょっと若くない?」
まだ青みの残るアボカドを若い、と表現する久我にメイアンは微笑む。
「少し硬いくらいがトレンドさ♪」
種を抜いて皮を取ると、ピーラーを当てた。驚いたように久我が瞠る。ひらひらしたアボカドを作ると軽くレモン汁を塗し、久我が用意したパンに生ハムと共に盛りつけてゆく。三つ並べてペッパーミルを上の方から挽く。
「おぉ…旨そう…できあがり?」
「non, non.これが仕上げさ♡」
そう言ってメイアンは蜂蜜を走らせるように振りかけた。きらきらと光を纏い美しい仕上がりとなる。
「残りのパンはどうすんの?」
「ひっひっひ。見てな?」
対角線に一枚ずつキウイの輪切りをそれぞれ置き、バナナの輪切り、身だけに剥いたオレンジを置いてゆく。点対称に配置された上に中央にブルーベリーを三粒、苺を縦に割ったものを二組配置。全て同じ配置に作り、粉糖を入れた茶漉しを一度ずつはたいてミントの芽を飾る。
「凄っげぇ。どっかのカフェとかみたい!」
「多大な賞賛をありがとう。お茶にする?コーヒー?牛乳でもいいよ」
ちゃんと熊が用意しといてくれたから、と笑うと紅茶がいい、姉ちゃんも多分紅茶、と久我は何故か頬を染めて言った。
「メイアンっ、今更なんだけど、バイク盗もうとして、本当ごめん!ごめんなさいっ!」
「ん?どした?結局盗まなかったんだしいいって言ったでしょ」
ポットを用意しながらメイアンは苦笑いしたが、久我はぶるぶると首を振った。
「昼飯っ、それもこんな綺麗で格好いい飯用意してくれて、茶まで選ばせてくれて、淹れてくれる。姉ちゃんが飲み過ぎても怒らないし」
「アルコールの分解能なんて個人差だの限界だのってあるもんよ。でも楽しく飲むと許容量超えることなんてあることさ。幸いアキのシフトは夕方かららしいし、のんびりしたらいいじゃん」
「メイアン、なんか感覚おかしい…」
「そうかねぇ?」
オープンサンドを皿に並べた。多く作ったフルーツ盛りの方は冷蔵庫に仕舞う。
「…仮にね、どこかに腹を立てたとしても、さ、怒り続けるのって、パワーが要るのよ」
「パワー?」
「怒りの原動力っていうの?ほら、まだ怒りに燃〜える〜♪って歌もあるじゃん。ガス欠早いのよ」
「えぇえ…」
久我は納得しない。
「久我は青いね。いやいや褒めてるんだよ。段々そういう闘志は失われる。怒るって本能じゃん。生存本能。アドレナリンを生き残る為に使うんだね」
「…メイアンは怒らないの?」
「そんなことないよ。でも怒らなくても生きていけるんだ。寧ろ怒りなんか抑える方が尊ばれる。諍いを起こさない、特にこの国では。久我だって、怒らないメイアンに変な畏敬を持ったろ?」
「まぁ、…うん」
沸いた湯をポットに注ぎながらメイアンは言った。
「仙なのだと言われて、久我は戸惑わなかった?」
「戸惑う?」
「この本能に逆行したなかにずっといることになるのか、と思ったね。昨日自殺したハーバー達は自死って絶対に自然じゃないこと、したじゃん。生まれもクローンという不自然だった。繁栄をよしとせず、それにも逆らおうとしてた。そういうのにおかしいってはっきり言えるのに、生存本能に直結した感情を抑えつけることはいいことだと思ってしまうこの矛盾。悩むね」
悩むと言いながらメイアンは微笑む。久我は眉間の皺を深くした。
「久我は悩まなくていい。バイクは盗まれなかったし、久我とこうして仲よく話ができるし、だから怒っても仕方ないでしょ」
「まあ、…うん」
「許すとかそういうのじゃないから、久我は跼蹐したり萎縮したりしないでくれな。バイクの免許持ってる?あるなら乗りにおいで」
「えっ、いいの?」
久我の変わり身の早さに苦笑になりそうな笑みをなんとか取り繕う。こんなところが多分己を苛むのだな、とメイアンは思う。食卓に運んで並べていると髪を拭きながらアキが現れた。座卓の上のオープンサンドに目を丸くする。
「うっわ、えっ、作ったの?メイアンが?」
「へっへー、スモーブロー風オープンサンド♡お食べ〜」
紅茶を注いで配ってやると鷺の姉弟はおっかなびっくりという風に口に運ぶ。
「なに旨い!生ハムに蜂蜜合う!」
「アボカドの硬さが絶妙や!なんでこうなるん?」
「へへへ〜いけるっしょ♡なんつってもいっちゃん旨いのは熊特製のパンだけどな!」
アキも頷く。
「このパン作らはったん?」
おっと、微妙な尊敬表現使ったぞ、と片眉を微かに上げる。
「心配で手持ち無沙汰なのをパン生地にぶつけて作ったってさ。健気だね〜」
「どこの店のものなのか訊くとこやった!メイアンの盛った具材も綺麗やし、うまいなあ」
「クリームチーズ塗ってくれたのは久我だよ。縁まできっちり、これ、性格かな?」
アキも久我も楽しそうに食べている。メイアンは安堵した。昨晩の出来事については引き摺っていないようだったからだ。




