2023年5月、セーヌ⹀サン⹀ドニ③
「じゃ、今日はおやすみなさい」
二人はえっとばかりに惚けた顔になる。
「だってこんな夜中だよ。疲れたでしょ。日本式のお風呂、入れる?ベッドじゃなくていい?」
戸惑う二人を風呂に追い遣って、茶を淹れて一息つくメイアンに忠遠は問う。
「どういうことだ?」
「先手必勝、猫騙し入り」
「直ぐ出たそうであったのに」
「雨だ」
「雨くらいものともせんだろう、レイヴンモッカーなら」
メイアンはうんざりしたように言った。
「セヴンホークの阿呆の所為で疲れてる、寝たい」
「成程?」
先を促す忠遠のものの謂いに肩を竦めた。
「ま、本気で急ぎなら飛んでくるなんて間怠っこしいことはしない。電話をかけてくる。それくらいの余裕があるということだ」
「成程?」
「こっちに考えさせずに連れ出そうとするのは、なんだ?こっちに不利なことがあって、無理矢理に巻き込もうって肚なら、ほいほいのってやるのは癪だ。でもスターリングの件から考えるにあんまりそういう邪なひとでもなさそう。ポルコ・ロッソの仮装を見たら、更にそんな気がしたけど、それだけじゃ判断がつかないな。こっちにも考える時間をとる為にも、今日は出ない」
「成程?」
しつこいな、という風に眉を小さく寄せる。
「多分連れて行きたいのはメイアンひとり。忠遠はお留守番。レイヴンモッカーはフットワーク軽そうだけど、ニュージャージーのUMAって組み合わせもなかなか謎。ノースカロライナとは絶対的に近くない」
「ふむ。そこの謎は答えておこう。悩めるジャージー・デヴィルをレイヴンモッカーが拾って育てていると聞いている。それ以上のことは本人達に尋ねるといい」
「答えてくれる内容なのね。目的地は、どこ?」
「わからない」
「それは、忠遠の分析では答えが出ないって意味?」
「否。レイヴンモッカーも追っているだけ、追われている方も指示を受けているだけ」
「レイヴンモッカーが追っているのは、誰?」
「メイジー・イニス」
メイジー・イニス。クレイウォーターのディズマル訓練所の事務員の片割れ。メイアンがいることで始まった毒ガス実験のことを知る最後のひとり。
「レイヴンモッカーはどうしてイニスを追う必要があんの?」
忠遠は澄まして湯呑を口に運ぶ。
「必要があるからだ」
「水掛け論は限がない。メイアンが答えを出せって面倒なことを言うなら、代わりに忠遠が行け」
忠遠は少し唸った。
「かの魔女は、レイヴンモッカーだが、レイヴンモッカーのひとりだ」
「あ、そうなんだ」
「クレイウォーターはディズマル訓練所を失い、そこの人員の大半を失った。企業体のクレイウォーターは人員と施設を再建するだろう…ここで思い起こすはニスール広場の虐殺だ」
「2007年バグダッドのニスール広場で米国大使館の車列を護衛中にイラク民間人に発砲して17人が死亡20人が負傷したあれか」
「…ディズマルを再建するとまだ生成りな傭兵が編成されてどこかの恨みを買う」
「生成り?」
「傭兵として未完成なまま投入されて起きた事件と聞いている」
「あー…そう繋がってくるわけね…でディズマルをぶっ潰したメイアンに責任取れって?」
「レイヴンモッカーの中にそういう文脈の発言も少なくは、ない。レイヴンモッカーとしては、これ以上グレイシャ計画に餌を撒いてやるな、と、そんなところだ」
「餌ねぇ…ディズマルを潰した張本人が言うことじゃないけど、結局あれを全部潰したところで今度は成り代わりに別会社が立ち上がるだけだし、全く手出ししなきゃ企業存続が認められたと調子づくだけだ。…しっかしなぁ、半分削いだら生成りかあ…ニスール広場の虐殺はアラブ諸国の恨みと反感を相当買ったもんなぁ…」
「後のISの台頭を生んだとそういう流れだと」
メイアンは考え込みながら遮った。
「や、あれはね、もう少し前後があるのよ。勿論イラクの状況っていうのはとても根深いものなんだけど…フセインの独裁が終わって連合国暫定当局の統治が入って代表のポール・ブレマーが民間軍事会社の人員を含む占領国の人員をイラク政府の法の適応外に置くと定めた。これがビッグボーイルール。米国はこのときのイラクでの対応を民間軍事会社に頼り切っていたから、曲解や拡大解釈とアラブに対する軽侮と恐れで制圧射撃を加えながら進むなんて阿呆な方針をとっていたのと相俟って事件は起きたんだ。独裁の終わった直後で、抑え込まれていた宗教対立も激化していて、アラブ人同志も争っていたし、誰もが敵に見えて仕方ないのはあったと思うけど、要はイラクへの入り方を間違えたとしか言いようがないね。最終的に広場で撃った傭兵は罪に問われてないし。ポール・ブレマーがシカゴ学派だったのもいけなかった」
「シカゴ学派?」
「あんまり一纏めにするものでもないんだけど、ぶっちゃけちゃうと自由経済完全支持で政府の介入を良しとしない、企業は儲けるために生き抜けって考え方かな…その為になにしてもいいってところがある。色んな比較があるんだけど、現在から俯瞰すると日本のGHQの統治が理想だったんじゃないかな。だからナオミ・クラインにショック・ドクトリンとか言われちゃうんだけど」




