2023年3月、京都⑧
夕飯の時刻を熊が心配し始めた頃、ただいまと声がしてメイアンと菫が帰ってきた。メイアンは小脇に荒縄でぐるぐる巻きにした五位鷺を抱えていた。
「単車はどうした」
「うふ。大丈夫、大丈夫。それよか夕飯にしよう、今日は鯵フライだったよね!」
五位鷺をぽいとそこら辺に放ると、いそいそと熊と菫を手伝って座卓に夕飯を運び、旨い旨いと盛大に喜びながら食べる。
「忠遠の方はどう?」
忠遠は諦観で完全に身動きしないで転がされたままの五位鷺を横目で見ながら鯵フライを切り分ける。
「動きはない。特に面会を求める者もない。調書をすらすらとらせて、抵抗もしない。余計なことは答えないがね。銃は没収、強制送還で終わるやもな」
「ふうん、つまらないね。熊、今日の鯵は大きいね!美味しいよ」
「今日は魚屋さんにおすすめされました」
「熊は顔が広いねぇ」
五位鷺が不貞腐れたように見えた。忠遠は合点がいった。
「ややっ。熊、フライが一枚余りそうではないか?」
「鯵を五尾買うと申しましたら、一尾おまけされてしまいました」
菫が目を爛々と輝かせている。菫は魚が大好物なのだ。
「菫、どうする?この五位鷺も欲しそうだよ」
メイアンは行儀悪く箸の先でぐるぐる巻きの五位鷺を指した。
「こんな美味しい鯵フライを泥棒五位鷺に恵んでやらなきゃならない道理は無いんじゃん?」
「激しく同意。じゃあ菫にあげようかなー…」
涙目に見える五位鷺に、寒霏は呆れ気味に言った。
「そんなに貧しいのか?」
菫と熊からの凍えるような目線に寒霏は思わず怯み、押し黙った。メイアンは肩を小さく竦めて手付かずの鯵フライを箸でつまむと、五位鷺に見えるように翳した。
「…やろうか?」
プライドか自尊心か、五位鷺は恨みがましい目でメイアンを睨みつける。メイアンは愉悦を滲ませ続けた。
「旨そうでしょ〜」
こんがりと均一な狐色に銀色に輝く尾が突き出ているふっくらとした姿に異論は無いらしく、五位鷺は激しく縦に首を振る。
「食べたいねぇ〜?」
ぐぬぬぬぬ、という呻きが聞こえてきそうだった。
「メイアン?この五位鷺は単車を返すことを拒んでおるのかね?」
「いいや?返さないってなら首を捻り潰すだけさぁ、返すことには異論はないようだよ?」
「その単車は一体今どこに?」
「うん、どうもねぇ、ここにあるらしい」
メイアンはスマホの画面を忠遠に示した。地図が表示されており、この屋敷の、丁度この位置であることを表示している。
「エアタグをつけといたからね。ところが姿が見えないじゃん?この手品の種明かしをしろってお願いしてるんだけど、いい返事してくんないんだよ〜。あーあ、この鯵は菫にあげちゃおうっかな〜?」
どうやらメイアンは五位鷺の使った単車を見えなくして容易く運搬した方法に目をつけたらしい。しかし五位鷺は披露することすら渋っている。メイアンが穏健に鯵フライで釣っている裡に応じておけば良いものを、と思う。
「おい五位鷺。名は」
五位鷺はぷいと横を向く。嘴に長さがあるからか、首を回したことが殊更に顕著に見えた。
「答えぬのなら羽根を毟って唐揚げにでもするが」
「えっ、いいの?」
五位鷺がぎょっと目を見開くより先にメイアンが身を乗り出した。
「狩猟鳥だからな、鳥獣法で狩猟が許可されておるよ。しかしなあ、泥におる蝲蛄だの小魚貝類を食べるからか肉は臭い上に、胸肉程度しか取れず、あとは砂肝だのレバーだの…まあ珍味な焼き鳥にするのが精々かの」
「だってさ、菫。食べてもちょっとつまらないんじゃん?」
「とのさ…たださんは珍味って言ったよ?」
「珍味って得てしてなんじゃこりゃってのと紙一重だと思うけど?ねぇ?」
メイアンは態と五位鷺に向かって同意を求めた。人間なら血の気が引いて青褪めているといった表情をしていそうな様子だ。
「油で揚げると油に臭いが移ってしまうだろうか…」
「そうだねぇ、ロシアの起こしたウクライナの戦争の影響で油も高騰してるから、無駄には使いたくないな」
「じゃあ、焼き鳥決定だね!」
嬉々とする菫の傍で、どこからともなく熊が出刃包丁を取り出す。
「羽を毟る方が先だよ」
ぶるぶると首振りまくる五位鷺にメイアンは憐れみを込めた目を向ける。
「人型にならないと話ができないんじゃないの?」
五位鷺は観念したように目を瞑る。すると途端に後ろ手に縛り上げられ転がされた少年になっていた。数時間前夕日の中NSR250R・SEの前に佇んでいたあの姿だ。ぐしゃぐしゃな顔をしていることを除けば。
「どうする?このままだと人体解剖に発展しちゃうね。…ん?化けてる時の姿に傷をつけられても?ん?ん?ん?どうなっちゃうのか見ものだな?」
五位鷺の少年はムンクの叫びのような表情になってびょん、と縦になった。
「立つな」
ぴしゃりと言われ脱力するようにぺたんと座り込んだ。必然的に胡座になったのは目を瞑ることにした。
「先ずは名を訊こうか。それとも」
ちら、と忠遠の方を見る。包丁を今にも構えそうな熊と菫を抑えつつ五位鷺の少年の懐柔に腐心しているメイアンを皮肉げに笑うようなそうでもないような顔で忠遠は食事を続けている。
「…ここ、ヤバいとは分かってたんだ」
「ヤバい?」
「けど、あんないい音立てられたらもう堪んないじゃんか!なんなんだよもう!」
「や、なんなんだじゃなくて、お前誰だ名前だ名前!」
すると箸を置いて忠遠がくつくつと笑い始めた。
「やめぬか、メイアン。なかなか古い考え方で良いではないか」
「古い考え?」
「古式床しいではないか。真名と仮名という考え方を知らぬか?」
「えぇ〜?それなんのファンタジー?」
「ははは!そう片づけてしまうか。名が本性を縛るのは事実だがな」
「縛る?」
「例えば、『お前さんは人間だ』、これで自分は猿ではない、猫でもない、犬でもない、と自覚が芽生える。服を着て、箸を使って物を食べる。どうだね?」
「ああー。そういう…えっでも猿や犬や猫、は」
「これは言葉による縛りだ。所謂言霊と呼ばれる、あれだな。言葉を解しない者には通用しない」
「それ、裏を返せば言葉が通じる相手には…なるへそ。で、この五位鷺はそういうのを警戒してるんだ?」
「そのようだな。呼び名が真名とは限らないのだが。まあ、相手に与える駒は少ない方が良いのは確かだな」
メイアンはにやにやと笑いながら五位鷺を見た。
「…だとよ。忠遠に任せておくとあんたが警戒してる真名の方を探り当てられてしまうかもよ?」
すると絞り出すような声がした。
「久我」
「ん?」
「久我、と呼ばれてる」
「くが。ほうほう。なんで単車盗んだの?」
「…ふ、普段はパーツ捌いて転売するんだけど…こんないい状態のは…その…」
「売りたくなくなっちゃったってか!ここが忠遠の家だって分かってても尚欲しくなっちゃうような単車だもんな?」
ぷいと横を向いた少年の頭をメイアンは天辺からがし、と掴み、無理矢理こちらに向かせた。
「まだ立場が理解できてないのかな?あんまり頭悪いと焼き鳥にもならないぞ?」
笑みを崩さずに言うから質が悪い。
「ううう…返す…返すよう!」
「返すのは当然だっつーの。だから早くその手品を披露しな」
「手品じゃない!」
「なら尚更」
メイアンは縄ごと掴むと縁側から庭先の空いた場所に少年を吊るした。
「手が動かないから出せないとかそういう言い訳は聞かない。まあ、縄を解いたところで逃げ出せやしないけどな」
縄は見た目だけの供覧に過ぎず、見えないなにかが彼を捕縛していることは凡そ理解しているに違いない。
「出しますー!出しますってばーっ!」
一頻り喚いてから少年は渋い顔ではい、と言った。目の前にNSR250R・SEが出現していた。メイアンは少年を片手で吊し上げたままシートに触れてみる。手触りは、ある。試しに跨り、キックしてみる。NSR250R・SEは素直にエンジンを回し始める。
「うん、実物。いいだろう」
エンジンを切り、再び座敷に戻る。
「さて、手品の種明かしをしてもらおうかな?」
まだ言い渋る久我の横合いから光速で菫が飛んできた。
「はいはいはいはい!菫解っちゃったよ!」
目をきらきらさせながら手を挙げている。
「へえ、教えてよ」
メイアンは先程久我を転がしていた場所に放り戻した。
「くっそ、怪力…」
「壺抜きして焼くか。熊、なに詰めよう?」
「…ピラフはどうでしょう。それともラタトゥイユがいいですか」
「どっちも捨て難い」
久我はぶるぶると首を振りまくる。しかし熊は非情だった。
「しかし手をかける程の良い素材だとは思えません。駄龍の餌にした方が宜しいかと」
座卓の端で気配を消して食べ続けていた寒霏がぴくりと片眉を上げる。そんな不味そうな、と小声で呟く。
「だってさ。菫に種明かしをさせたら悪い五位鷺は用無しだかんな」
「言う言う言いますうぅぅぅ」
菫の目が爛々と光っている。ちょろちょろ動く獲物を見つけた猫のようだ。久我は慌てて言葉を奔らせた。
「すっ、数字っ!魔方陣作るのっ!」
「魔法陣?」
くす、と忠遠は笑みを溢した。
「ヘブライ語だとかルーン文字だとかと、円と弦を組み合わせて光るアニメチックなものじゃないぞ、メイアン?」
「もろそれ想像したよ」
鼻白むと、菫が横合いから口を挟む。
「魔法円っていうんだよそういうの。水木しげるの悪魔くんじゃん」
「レトロなの引き合いに出してきたなぁ。ん?魔法陣、じゃなくて、魔方陣?字、違う?」
「なんなんだよもう!」
久我がぶるぶると震えながら叫ぶ。メイアンは冷たい目で血抜きしないでコンフィにしよう、Eloim, Essaim, frugativi et appelavi.と呟くと凍りついて押し黙った。
「方陣というのは四角く整列させることをいうのです」
熊が冷静に解説した。
「n×n個の正方形の方陣に数字を配置して、縦・横・対角線のどの列についてもその列の数字の合計が同じになるもの、これを魔方陣というのです」
「全部違う数字を使うの。縦横3×3なら1から9全部使うんだよ」
「詳しいね菫も」
「菫は特にこれについて勉強する時間もらったからね!熊の方が凄いよ、自分で勉強したんだもん」
すると熊は真っ赤になってぽかぽかと菫を殴りながら弁明した。
「す、菫が!ちゃんと身につけてきたことを教えてくれたから!ご本も沢山あったし!」
脱線してきたな、と思いきや、熊が顔色を戻そうと躍起になりながら言った。
「数学なんです」
「え?だって五位鷺、手品みたいに魔法したじゃん」
「そこに洛書を混ぜ込むとメイアンが吃驚するような現象を起こせるのです。魔方陣そのものは紀元前190年より前に中国で存在してましたし、一列の和を出す計算式もあります」
「そうなんだよ!方陣が1×1なら当然1、2×2のときは全部同じ数字じゃないと成立しない、つまり魔方陣にならないのね!3×3になってやっと魔方陣が成立するんだけど、この場合は対象形を除けば各列の合計が15になるひとつの形しか無いの。左肩に6を置くのは西洋数秘術の土星魔方陣で、左肩に4を置くのは洛書を使った九数図。一通りしかないっていうのが魔法的でしょ」
「確かに」
「4×4になると880通り、5×5は2億7530万5224通り、それ以上のは未だ数え切れてないんだって。でも9×9の作り方は九九図って16世紀の中国の書物に記されてる」
「1593年、算法統宗第12巻」
「うわうわうわ、段々天文学的数字になってきたし、物凄い歴史が積み上がってるんだな。で、五位鷺はなにをどうしたの?」
口を開こうとした菫だったが熊の顔を見て互いに頷き合うと、ふたりしてぐるんと久我に顔を向けた。
…今自身で釈明しないと、もう次の機会は無いぞ。
今まで散々ぱらに羽根を毟る丸焼き焼き鳥と包丁まで持ち出して脅していた癖に大変な温情である。冷静な熊はともかく、特に菫は欲望と直情で喋っているようでいて意外に状況を読んでいるようだ。
「五方陣を洛書で作るんだ。そうすると斜めの世界が開いて、そこに入れて…閉める。取り出すときは別の魔方陣を作って開いて、出す。そうすればおいらが幾ら移動したってどこでも取り出せるんだよう」
斜めの世界?と首を傾げつつふむ、と鼻で息を吐き出した。
「四次元ポケットじゃん♡」
食べ終えたらしい忠遠は箸を置いて、夏目漱石の肖像画のようなポーズで笑った。
「盗難されやすい単車の収納方法が決まったな」
「忠遠はこいつの言ったことを実践できるの?」
「まあ、多分…魔方陣の配置は書き出した方が早いだろうけれども。…ん?どうした?」
久我は縮こまって青い顔で震えていた。顔の血の気が引き、全身ぶるぶると、歯の根が合わぬのかがちがちと音までする。
「酷い怯えようだな」
「大方秘伝かなんかで、ばらしたら滅っ茶懲らしめられるんだろ。半殺しかな?」
「生き残れないかもしれない…」
目が虚ろで息が浅い。
「盗みなんか働いているから報いを受けたんだぜ。とはいえちょっと脅かし過ぎた。ほらほら、こっち来い。熊、悪いけど飯と味噌汁お願いできるかな?」
「畏まりました」
ぱたぱたと軽い音を立てて菫を伴い支度にかかる。震えの止まらない久我を気遣いながら食卓に就かせ、目の前に鯵フライを置いてやる。左右からすっと湯気の立つ飯椀と汁椀が供される。
「食べな。魚、好きなんだろ?」
久我は箸をのろのろと取ると、半泣きで食べ始めた。
「旨い…」
「辛気臭いなぁ。明るく食べようぜ?」
ばし、と背中を叩いたそのとき、玄関の呼び鈴が甲高く鳴り響いた。




