2023年5月、京都㊷
「文脈によっては危うい言い回しだな」
「いっちゃんがいなかったら、抱いてくれと解釈されても多分抵抗しなかったと思う自分が、謎だ」
メイアンは大真面目に答えてグラスにまた口をつける。あまり酔える気がしない。
「成程。そういう含みを持っているとな。心しておこう」
「どっち向きに留意する気なんだか…」
忠遠は酒の香りを嗅ぐようにグラスの上で鼻で息を吸う。
「俺は仙としては古い方の部類では、ない」
そういう話になるのか。
「待てい。百年のメイアンや二〜三百年の龗達を差し置いて、飛鳥時代すらこの前とか言う忠遠が古くないのか?」
忠遠は拍子抜けしたような顔をメイアンに向けた。
「百三十八億年前にビッグバンが起き、四十六億年前に地球が誕生した。その頃から厳然と残るものも、ある」
「それ岩とかでしょう!」
「川の御仁がおるのに、何故岩がいかんのだ?」
「いかんくないけど…御歳四十六億歳とかってそりゃないだろ」
「そう名乗られたら、誰も調べようがない」
「だってなんか、背中の真ん中の辺りが違うって言ってむず痒い!」
「はははっ、メイアンの本能が違うと言い張るか。チバニアンよりも古い時代の地層もあるが?」
「やだーっ更新世からの仙なんてぇ!」
仙が年月だけを重ねて生じるのではないものということは忠遠もなんとなくわかっている筈だ。
「C'est une mesure acceptable. Abandonnez-le maintenant.」
メイアンは片手で目を覆い、もう片方の掌を忠遠の前に広げた。
「Déjà assez.」
「なんと言っているのかわからぬ」
「もうやだ〰︎生物誕生四十億年前とか次は言い出すんだろ!勘弁してよ!」
「いや、全球凍結なども経て、完全に古いものと言えるのは岩石鉱物くらいでな。故に、九頭龍殿も完全に古いものではない」
「…河川は地表の形が変わればなくなることだって、あり得るもんな。岩自体が古くったって、仙になったのは有史以前ってことは無いと思うけどなあ」
忠遠は嬉しそうに深く頷いた。
意図が読めてきた。
「…ははん。言い張られたら、逆らえないってか。やだねーっ、そういう年功序列思考!そういう対立軸があるっていうの?」
「今は、明確な陣営形成はなされていない。大きな禍いが起きたらば、真っ向対立してくる危険性は、ある。そうなったとき、旗印になることだろう」
「寄らば大樹の蔭、ってか。そして忠遠はそっちに寄らない側、だとな?」
「俺は若手」
「よく言うよ。些とも若くない」
忠遠はゆっくりとグラスを干して、新たに注ぎ直した。メイアンのグラスにも注いでやると、壜は空になった。
「今最大の懸念にして禍いになりそうなのが、グレイシャ計画の存在だ。奴らが仙という存在に気づき、解明して利用価値を見出したとき、俺は利用されたくないと考える側にいることだろう」
「皆んな嫌だろ」
「駆け引きを始めるとな、本末転倒になっても気づけぬ」
「自分だってグレイシャ計画に利用されたくないのに、忠遠達と同調はしたくないものだから、…結果グレイシャ計画に利する立場についてしまうって?阿呆だろ」
「所詮岩。所詮石」
具体的な実像がありそうだ。
「忠遠が仙が生まれてくるプロセスや理由を知りたい…というか解明しようとしてるのって、…まさか」
「仙を殺す方法かもしれんよ、メイアンなら気づくと思っておった」
忠遠は満足そうに微笑む。
「人間や動物…植物だってそうかもしれない、もう生きていられない状態なのだと絶望したら、死に始めるのだと九頭龍さんは言ってた。岩や石の死ってなに?砂になること?物性が変わること?酸やアルカリや紫外線や熱や圧力や…そういうもので物質が変わってしまうこと?そういうことで絶望を感じるの?えっ、やだ、無敵?」
メイアンは息を呑んで忠遠を見詰めた。
「…忠遠」
「ん?なんだね、メイアン?」
「独りでは、ないよな?」
「そこか?ずっと馴れ合わないできたメイアンが、俺の孤独を危惧する?」
「同族がいないと思ってきたから、徒党を組まなかっただけだ。忠遠は…」
「そうさな。確かに類縁に害為そうとしている、裏切者」
「入道さんとか輝さんとか、暖海法師とか、懇意にしてるよねっ、忠遠が、仙全てを敵に回そうとしてるんじゃないって、わかってくれてるんだよなっ⁈」
忠遠はまた爪楊枝に白いものを刺して口に運ぶ。ブロッコリーの茎だろうか。
「彼らには、彼ら…個々に思うところが、ある。無論、同じ、或いは非常に近いものを持っている場合も、ある。敵の敵は味方という考えも、なくもない。全てを統一することができぬのはメイアン、お前さんの方が実際に目にしてきた筈」
だから世界中で黒い煙が上がる。最早争いではなく、ただ殺して違う考えを消してゆく。
「仕方のないこと」
急に高い声が上から響いた。はっと見上げると、揚羽蝶が一頭舞い降りてきた。
「卵、全部綺麗に取ってしまって、もう」
メイアンにわっと罪悪感が一気に押し寄せる。
「あ、揚羽…あぁ、ああ、ごめんなさい。全部、貴女の?」
だがその声は明るかった。
「ううん。私だけではなくてよ。でも、ここは四条さまのお庭。紛れ込んだ私達もいけないの。貴女、取った卵をそっと埋めてくれたわ。丁寧に葬ってくれて」
「ごめんなさい、蝶々にだって…」
「そうね。でも薬で殺したりしないでくれて。産みつけに来た蝶にここの柑橘類にはやめてほしいって、ちゃんと言ってくれた。四条さま、今年もお邪魔してしまってごめんなさい。どうしても、柑橘のあの柔らかい葉の香りに抗えなくて。毎年四条さまもお悩みでいらしたの」
「でも、摂理だよ。揚羽なんだもの」
ふわふわと揚羽蝶はメイアンの前を舞いながら笑ったように思えた。
「貴女を悩ませたことを、謝りに来たの、私。今年は縞橙や山椒の木に健やかに伸びてねってお伝えして。来年もまた悩ませてしまうかも、そのときはごめんなさい」
言いたいだけ言って揚羽蝶はふわっといなくなった。
「…勝手気儘なものだ」
忠遠は何故か楽しげだ。
「勝手なのはこっちじゃん…」
すると今度は下の方から忠遠とは違う声がした。
「我々ではあの数の揚羽は養いきれん」
「揚羽は若芽から食ってゆくからなあ。四条さま、そろそろ次は褄黒豹紋の番ですね、菫共が戦々兢々としておりますよ」
「なんとかせねばな」
今度はなんだと声の方を見ると、肘から先程度の、つまり一尺程の人の形をしたものが二体にこにこと笑いかけていた。ひとりは丸顔の青年で、若苗色の紬の着物。もうひとりは細面で小鴨色の絣の裁っ着け袴だった。
「紹介しよう、メイアン。これは縞橙の精と、山椒の精」
小さな人は代わる代わる頭を下げる。
「葉を潰さぬよう丁寧な仕事だった。棘の怪我はもう痛まないかな」
縞橙の作業をした際引っかけてしまったことを誰にも言っていない。知っているのは植物達だけだ。
「大した傷じゃなかったから…」
縞橙の精はほっとしたように破顔した。相当気にかけていたらしい。
「や、それ言うなら!山椒の葉、鮴に!」
「美味しく上がられたかな?」
山椒の精はにっこりと微笑む。
「そりゃ勿論!じゃなくて、その」
「いちいち感謝など不要だが、よい態度。四条さま?ちゃんとお教えせねばなりませんぞ?」




