2023年3月、京都⑦
メイアンは目を見開いて数秒止まっていたが、軈てくっと差し込むように笑い出した。
「成程ね!ディズマルの資料でもどちらかっていうと交渉役として出てくる役どころであって、自ら手を汚して歩く印象は無かったな。ふふ、交渉役というには口が軽かったけどな!」
「それはメイアンが断るとは思っていなかったからだろう」
「えぇえ?じゃあディズマルをぶっ潰してきたのは単なる私怨だと思われてたってこと?」
スマホの情報を吸い上げてノートパソコンに移しながら心外そうに眉間を寄せる。
「味方が背中を狙ったことを恨んで次のドローンを出すのを阻止したと思われた、ということになるな。良いではないか」
忠遠はにやりと笑いながら平然と言い放つ。
「なにが良いんだよう」
「メイアンの意図…どこまでが実験で実利なのかよくわからないマスタードガスの戦場撒布阻止、という決意を知られずに済んだ」
「確かに済んだ」
けどさ、とメイアンは目を伏せる。
「忠遠の家を危険に晒した。知られた以上ここはずっと危ない」
「そんなことを気に病んでおったのか?」
心外そうに言われてメイアンは口を尖らせたが、もう口を開かなかった。
「明日からまた忙しくなるのではないか?折角こんな便利な駒があるというのに?」
それともゼルダの伝説クリアに励むのか?と嫌味を挟むのも忘れない。
「…へ?」
フリッツ・ハーバーは眩暈を覚えた。
何故ここにいるのか。
ここがどこなのか。
今時刻はいつなのか。
何故剥き出しでNAA-22Mを握り、引鉄に指をかけているのか。
なによりも、この目も眩む異様な高さの階段はなんだ?ところどころに踊場こそあれど、最も底であろう場所は遠過ぎて見えない。仮に底にいて今いる場所を見上げたら霞んで見えないと宣ったことだろう。
記憶を手繰る…最後は四条の賀茂忠遠邸を訪れた筈…目的は、クレイウォーターに所属してウクライナに派兵されていた傭兵がクレイウォーターのディズマル訓練場を襲ったということ…その際ウクライナに従軍していた頃とは比べ物にならない程健康体になっていて、米国には正規の入出国の手続きを経ず、そして京都に戻ったと報告を受けた、最も近くにいたフリッツ・ハーバーがその確認を指示され向かった、あとはいつもの流れ通り…グレイシャ計画の主旨に賛同するなら手駒にし、異を唱えるなら無かったことにする…そう、いつも通り…スマートにNAA-22Mを取り出し、構え、引鉄を引くだけ。その場に話を聞いた人物が他に二人いたから、それぞれに一発ずつ撃ち込み、何食わぬ顔で帰ればよかったのだ。
だが… NAA-22Mを鷲掴みにされた。向こうから近づいてきたのだ、的が近づいてきた好機を逃すことはない。しかし引鉄がびくともしなくなっていた。そう、リボルバーの回転胴を掴まれ固定された為に火器として用を成さなくなってしまい、間を詰められ容易くリボルバーを奪われて、その後の記憶が無い。
眠った、という感覚が無い。だが時間の経過だけは強く感じる。時計は身につけているが、体感と一致しないこの感覚…まるで時差ぼけ。
でもここは、多分京都だ。周囲を歩くのは日本人ばかり。時折心配そうに声をかけようか迷って断念して去って行く。それは彼が如何にも外国人であるからかもしれないし、なんとなく厄介そうな事態でしゃがみ込んでいるからかもしれない。階段に腰を下ろして項垂れていたが、目をあげてみる。硝子の大屋根、谷底へ一直線を思わせる二百段近い階段。この奇矯な設計は京都駅。
ここにいるべきではない。
誰もが大体エスカレータを利用し、階段を使うのは体力を消耗したいから足を使うのを切望している人間だけ。その中にあってただふらふらと降りてゆくのは異質だ。そう結論づけて階段から離れようと立ち上がりかけたが、彼の周囲を三人の男が取り囲んでいた。白い袖の上に紺の耐刃防護衣、警察官だ。
彼は自嘲で口を歪めた。日本でなくともこんな風に銃器をぶら下げていたら警察官が駆けつけて当然だ。対抗も逃走も得策ではない。彼は銃把の方を向けて差し出し、両手を上げた。
道路を挟んで電信柱の陰から一部始終を見ていたメイアンは手にしていたペットボトルを一口含み、蓋を閉めた。
「素直」
「あの場で暴れても仕方ないことはよく分かっておるようだの。それとも警察内部に伝手でもあるのか」
「そこら辺は知りたいところだね。連れて行かれたらもう見えないよ?」
忠遠は懐から懐紙を一枚取り出すとふっと息を吹きかけて手を離した。懐紙はふわりと浮かんでたちまちのうちに折り紙のように何回か折り畳まれ、燕の形になり、すうっと映像を被せるようにすっかり本物のように変化して目の前で一周飛ぶと、フリッツ・ハーバーと彼を連行していった警察官らを追って行った。
「わぉ、便利」
そのうち憶えるとよい、と呟いて忠遠は歩き始める。
「どこ行くの?」
「帰る。ここにいても得るものはない」
「今の燕、記憶式?」
「中継式」
「じゃ、今リアルタイムで情報が入ってくるわけ?」
「まあ、そうなる。できればあれこれ同時進行でやりながらは避けたい」
「あはははは、VR見ながら全然関係ない行動したくないよな!」
帰宅してからの忠遠は無言で紬のアンサンブルに着替えるや縁側に陣取り、ぼんやりと腰掛けたまま動かなくなってしまった。ここに煙管でもあれば様になるのにな、せめてありふれた紙巻煙草でも、と思いつつ、焙じ茶を淹れる。
「我にも」
横合いからにゅっと湯呑みが突き出され、メイアンは不快そうに眉根を寄せた。
「未だいたのかカンピー」
「一度九頭龍さまのところへ戻ったぞ?土産には大層喜んでいただいた」
「そいつぁなにより」
「それと、竜巻」
「あれ、もうやるなよ?」
「おいそれとは、やらん。しかし起こせたことは寿いでいただいた」
「寿いでって…」
「気象の因果を理解して、どういう仕組みかを知らねばなにも起こせない…龍とはそういう生き物なのだと」
「えぇー?」
「我は龍であれば指一本でなにもかもできるのだと勘違いしておった。寒気があり暖気があり、湿気があり乾気があり…ずっと教えて下さっていたのを全く理解できておらなんだ。やっと身を以て知った。礼を言う」
寒霏は膝に掌を置き、深く頭を下げた。
「うわ、千年もの間誰もちゃんと説明しなかったのかよ。阿保じゃん」
平素傲岸な態度の寒霏が素直になったことに内心慌て、且つ照れた。しかしそれをそのまま顔に出せない自分の方が余程頑なだよな、と思いつつ憎まれ口を叩く。
「でもまあ仕方ないっちゃ仕方ないっか。気象なんてここ数十年でやっとわかってきたことも多いし。カンピーも勉強あるのみだな?」
茶を淹れて渡してやる。
「勉強。書を読めばよいのか?」
寒霏は大真面目である。相当な手応えを得たらしい。
「確かに書籍には確実なことだけが記してある。読んで理解するのは重要だよ。でも聴くのは格段に入ってくるぜ」
「聴く?」
「ははっ、先ずは毎日気象予報士の話でも聞いたら?」
「どこにそんなものがおる?」
「で、龍鯉はテレビに齧りついておるのか。資格取得の勉強でもさせるのかと思うとった」
縁側に腰掛け、忠遠は盆から湯呑を取った。傾いてきた陽を受けつつメイアンは隣に胡座をかく。
「度量衡から説明するの、やだもん。朝から晩まで何時間かに一度は必ず懇切丁寧に説明してくれるんだから、そっちに任せた方がいいじゃん?」
忠遠は笑うばかりで返事をしなかった。取り調べは一旦終了したらしく、特段の動きがない為か普段通りの生活リズムに戻したようだが、それでも何割かは注意を向けているのか生返事気味だ。
「バイクはどこに仕舞おうかな」
庭の隅にちらりと顔を覗かせるように駐めてある、輻まで赤い単車を一瞥した。
「敷地の中に入れるだけでは駄目なのか?屋根のある場所もあるぞ?」
「うーん…音で位置が特定されるだろうしなぁ…」
「音?」
「NSR250R・SEは乾式多板クラッチだから止まる時に特徴的な音を立てるんだわ。分かるやつは耳聡いからな、盗みに来るだろうよ」
「盗みに?」
たかが単車の為に?と疑問符を立てるもあまり言葉が出ない。今だ意識をフリッツ・ハーバー監視に大きく振り向けているらしい。
「乾式クラッチは摩耗が早いから、交換パーツが要るだろ?けど生産は終了してるし代替パーツも碌に無いから…ははっ、ネットオークションにかければわらしべ長者になれる」
「盗品だろうに」
「一攫千金に賭ける情熱は倫理なんか一発で吹っ飛ばしちゃうんだよ」
仕方の無いな、という風に忠遠は太息を吐いた。
「盗まれるのも嫌なんだけど、パーツ泥序でに忠遠の家を荒らされても困るだろ。だからしっかり仕舞うのが最善なんだけどさ」
「パーツの生産終了ということは本体ももう販売されていないのだろう?」
「発売が1993年だよ?でもこいつ、ちょっとした古代兵器でね」
「なんじゃ古代兵器って」
「パワーウェイトレシオが半端ないんだよ。その上物凄い加速感がある。そんでもってシートが滅っ茶低くてハンドルも低い。ステップに足乗せるともうぎゅっとマシンに身体を一体化させる。もうね、戦闘態勢」
「なにと闘うんじゃ」
「だってレーサーレプリカだよ?レースのライバルに決まってるじゃん。でもさ、レプリカである以上普通は街乗りやツーリングするんだから乗り易い形にするんだけどねぇ…馬鹿正直にレーシングマシンと同じ形で売り出しちゃいましたって感じだね。もうこういうマシンは出てこない」
古代兵器などという比喩が腑に落ちたらしく忠遠は緩く笑う。
「それでは乗って行った先で駐めておくのも心配だろう」
「それなー。そういう心配し始めたら限が無いんだけど、乗ったら基本降りない駐めない、だな」
「なんの為の単車だ?」
忠遠は控え目にはしていたが爆笑している。つられるように笑っていたメイアンだったが、不意に真顔になった。
「なんだあれ。え?ペンギン?」
塀の上に烏程の鳥がとまっていた。頭頂から背中にかけては紺色で、顔から腹側は白い羽毛。翼や尾は薄い灰色で一見紺と白のツートンカラーに見間違う。目が赤く、嘴が黄色みを帯びていて、確かにぱっと見ペンギンのようである。が、後頭部に長く伸びた白い冠羽があり、黄色い脚がすらり…ペンギンではない。
「あぁ、五位鷺じゃな」
野鳥だと思うとメイアンは声を低める。可笑しいことだ、と忠遠も思ったようだったが、ふたりとも略無意識に気配を消していた。
「えぇえ、あれで鷺なの」
「鷺だからって白いとは限らん。しかし珍しいな、こんな街中に」
「そうなの?」
「鷺は魚を喰らう。田圃や河川湖沼にいるものだ」
「なにしに来たんだ?」
鷺の位置から縁側は死角なのか、少し首を振ってなにかを物色しているように見える。なにか…NSR250R・SEを。
思わず顔を見合わせる。
固唾を飲んで見守っていると五位鷺は塀から降りてNSR250R・SEの脇に立ち、ちょこまか動きながら見分するように最早じろじろと見ている。長く伸びた影が滑稽なのに、冷や水を浴びせられたような気分になる。
「…む。五位鷺…五位鷺。五位鷺…」
忠遠は額を擦った。メイアンは膝に置いていた掌を拳に握り締める。日が沈んだのだろう、暖色に彩られてた庭がすっと薄闇を纏った。それを待っていたかのように五位鷺は少しだけ俯く。次の瞬間少年の姿になっていた。
流石に叫び出しそうだったのかメイアンは己の口に掌を当て、忠遠はその上に更に彼の掌を押しつけていた。ふたりしてそのように目を瞠る中、五位鷺だった少年は辺りをきょろきょろっと見回すとNSR250R・SEのシートの辺りを軽く撫でた。するとすうっと単車が、たちまちのうちに消えてしまったではないか!
メイアンは忠遠の手を振り払うと叫んだ。
「こんのバイク泥棒!」
少年はぎょっとしたように目を剥くや、五位鷺に変わって翼を広げ、ばさばさと音を立てて飛び立つ。捕える術も持たず、咄嗟のことに簡単に逃げられてしまい、あっという間に夕闇空に消えていってしまった。
「仕挫ったな、メイアン。叫ばなければ捕えようもあったろうに…む?」
しかしメイアンは邪悪っぽい笑みを浮かべていた。手にスマホを持っている。
「五位鷺に化けていたのか五位鷺が人間に化けたのか、どっちかい?」
拍子抜けしたようにメイアンを見ていた忠遠だったが、忌々しそうに一文字だけを強調した。
「…が、だ」
「知り合い?」
「面識は無い。が知っとる」
メイアンのにやにやが止まらない。
「好都合。ちょっくら行ってくる」
マウンテンパーカをさっと羽織ったメイアンを驚いたように見上げたが、忠遠はふっと息を吐くと菫、と一言呼んだ。
「はーい、御用?」
襖がすっと開いて菫がにこにこと現れた。
「連れてゆくといい。役に立つ」
メイアンは頷くと菫を伴って出かけて行った。




