2023年3月、京都⑥
ただいま〜などと気楽そうに玄関から入ってきたメイアンと忠遠を熊と菫は嬉しそうに出迎えた。ついてきた寒霏にはなんだいたのか的な扱いではあったが、多少の慰労の気持ちはあったらしく、風呂の用意と食事の支度は整っているとまた働き出そうとしたふたりをメイアンは茶の間で座らせた。
「取り敢えずお土産を受け取ってよ」
近年日本中のそこかしこで見かけるようになったシアトル発のコーヒーチェーンの紙袋をどんと座卓に置いた。
「コーヒー飲みたいとかじゃないからね。熊と菫の緑茶、滅っ茶旨いし」
そう言いながら取り出したのはチェーン店ならではのご当地マグカップだった。ふたりは箱から恐る恐る取り出しながら目をきらきらさせていると、これがシアトルで、こっちはニュージャージーで、と言いながらそれぞれの前に九つずつ箱入りマグカップを積み上げる。
「ひいふうみい…メイアン、こんなにマグカップばっかりあっても口はひとつだよう」
菫の嬉しそうな抗議に熊も紅潮した頬を縦に振る。
「九つも必要なのは九頭龍さまです」
「あ、そちらさまにも同じの、買ってきたから。カンピー、割らずにちゃんと持って行けよ」
寒霏はぶすっと紙袋を受け取った。熊と菫はそれを聞いて畏れ多いと今度は騒ぎ出した。
「え、どゆこと?」
「九頭龍さまと同じ持ち物ってどうしよう菫」
「絶対駄目くない?熊どうしよう奉納しに行く?」
「えっ、折角買ってきたのに他人にあげちゃうの、やめてよ。それも、同じもの持ってる人に」
ヒトって、と忠遠が横でくすくす笑い始めた。
「手描き風になっちゃって前のバージョンよりプリミティブな感じだけど、これはこれで可愛いんじゃないかなと思ったんだ。マグカップなんて直ぐ割れちゃうしさ、がんがん使ってよ」
すると熊がワシントンD.C.バージョンを握り締め悲痛に声を上げた。
「割らない!大事にする!」
「それは嬉しいな。でも割れたら捨てなよ」
「嫌です。金継ぎします」
「えぇー、そこまでする?」
菫はニューヨークバージョンとニューヨーク市バージョンを見比べて楽しそうだ。
「なかなか大当たりだな、メイアン?」
「I♡NYみたいなダサいマグじゃ駄目じゃん?女の子は可愛いものに目がないしな〜。しかし熊と菫は可愛いねぇ、素直でぶりぶりしてないところが天然素材」
「…我より早くこの世におるけどな」
寒霏が横合いからぼそっと言う。
「そーゆーとこ駄目なんだよカンピー」
「軽佻に我の名を伸ばすな」
「先ずは泰然自若を学べ」
侮蔑の言葉をぶつけながらふとメイアンは思った。熊と菫は仙なのだろうか、と。それにしてはふたりは完全に小間使いである。後に生まれたという寒霏が高尚そうな師匠についていながら熊と菫は忠遠の許で忙しなく働いているようにしか見えない。
…要領のいいふたりだから、寒霏のようにぐずぐずと停滞してないだけだったりして。
だが忠遠から彼女達が仙だとは紹介されていない。謎な存在だな、と再認識した。留守番させていたのは戦力外と見做しているからか。そういえばウクライナにも連れてこなかった。
そんな緩い想像をメイアンは不意に打ち切った。嫌な気配だ、と周囲を巡らすともう既に忠遠が険しい顔つきになっていた。座卓に拳を突き、膝こそ未だ立てていないもののもう臨戦態勢である。寒霏は不快さを隠そうとはしていないだけで警戒感が薄いようだが。
「熊。菫。その土産、九頭龍殿の分も持って納戸に籠っておれ。菫、あまりに騒がしくなったら門を開け、河図洛書を間違えるなよ」
ふたりは無言で頷き、土産と共にさっと居なくなった。またよくわからないワードが混ざっていたなと思いつつ、荷物に押し込んでいたCz75をホルスターに納め、厚手のジャケットで隠した。
玄関の呼び鈴が鳴った。
「正面から訪ねて来るのかよ」
「なんの前触れもなくミサイル撃ち込んでくるのは半島の付け根の国くらいだ」
寒霏の仕様も無い言葉に無駄口で応じながらメイアンを押し留め、忠遠は立ち上がった。出迎えるのか、と思っていると、忠遠は低く小声でなにかを呟いていた。
「…ほぅ」
寒霏の感嘆詞も状況を察して小さい。
「なんなの」
「奴め、珍しく防御陣を敷いておる」
忠遠は歩きながらあちこちを揃えた二本指で指すような仕草をしているように見受けられた。そういう先入観で見れば、それっぽい動作だ。
「小猿、仙になった癖に胡散臭いと思っている顔をするのか」
「いやいや胡散臭いもなにも、幻想が過ぎるでしょ」
そういえば眼前にいるのは幻獣の部類だ。
「あれはあれで役に立つ。効果もある。なにを仕掛けてくるのかわからんなら、備えておくに越したことはない」
「相手も魔法みたいなことを、ってこと?」
「どうだろう。抑、相手は何者なのだ?」
「知らないよ。ただ…なんか偏執的な印象は、ある」
「妙な信念でも持っているのかね」
「信念ねぇ…」
玄関から話し声がする。忠遠は客人として迎え入れたらしく、足音が近づいてくる。メイアンと寒霏は居住まいを正した。
忠遠は襖を開けて座卓へと着くよう促した客人は白っぽいグレーのスーツに身を固めていた。帽子を手にしている。
三揃いに茄子紺のネクタイってどこの二次会帰りだ、とメイアンは内心鼻白む。帽子もスーツと同じ色で、更に嫌味を増している気がした。
忠遠は素知らぬ顔で上座につく。客に宛てがわれたのは最も下座に当たる位置であるから、招かれざる客であることを示したことになる。これはどれ程通じているのだろうかと思いつつ彼が座るのを待つ。
客が腰をおろし、帽子を卓上に置いたところで忠遠はやっと口を開いた。
「…フリッツ・ハーバーさん、だそうだ」
お前さんの客だ、と忠遠は目でメイアンに伝えてきた。名前で呼びかけないのはそれだけ警戒している証左だ。下座のフリッツ・ハーバーは如何にもゲルマン系の通った鼻筋と栗色に寄った金髪の持ち主だった。そういえば本家のフリッツ・ハーバーはユダヤ人じゃなかったっけ。
先程寒霏が防御陣を云々とか言っていたが、如何なる手品なのかは知らないが発動していないところを鑑みるに、今のところ攻撃的なことはされていなされていないということだろうか。
誰も口を開かない。
口火を切る者を待っている。忠遠は相手の出方を見ているし、寒霏は状況掌握に手一杯なのだろう、表情を崩さないのを褒めてやりたいぐらいだ。
「…知り合い?」
「否、全く」
そこで打ち切らないてくれよ、と思いつつ困ったように鼻に皺を寄せると、客の方が口を開いてくれた。
「貴女にね、お話がありまして」
癖のない日本語だった。少しだけ欧米人にありがちな [ɽ]の発音ができていないのに、声が低め…つまり低周波帯で喋るということは、母語はドイツ語なのかもな、とメイアンはあたりをつける。
「なにかな」
「貴女は人間が多過ぎると思ったことはありませんか」
人口爆発が叫ばれる昨今である。インドの人口が中国を抜いたなど、記憶に新しい。
「ないよ」
即答してみる。確かに人間の数は多い。しかしそれで世界は回っている。虚を衝くをことができたかな、と思いきや想定の範囲内であったらしく残念ながら動じた様子はない。
「生態ピラミッドという言葉はご存知かな」
「エルトンのピラミッドだろ。個体数、生物体量、生産速度の三種で考えることが多い」
「その通り。それならば、人間は個体数においても生物体量においても、更に生産速度については尚更ピラミッドを構成できない状態であることはお分かりでしょう」
「この比較モデルは完全な閉鎖系で成り立つものだった筈だけど?」
物流の激しいこの昨今に人間を生態系の一部としてこのモデルに落とし込むのは難しい。抑、数の多いもの程低い位置にあるのだから、人間など相当底辺にあることになる。
「地球という閉鎖系で考えればよい」
宇宙開発だなんだと喧しい昨今にずいぶんレトロな考え方だなとメイアンは内心溜息を吐く。
「それで?」
「貴女には人間逓減のお手伝いを願いたい」
「はあー?人殺しとか誰がやるか!」
「『一人殺せば殺人者、百万人殺せば英雄』」
「チャップリンは国家と個人を同列に扱ったんじゃないぜ。国家権力に対する揶揄を込めただけ。それを都合良く利用するのは間違っている」
フリッツ・ハーバーなるは口を歪め低く笑った。
「博学ですな、ハーフジャパニーズ」
嫌な言い方をする、と思ったが、ここで押し負けてもつまらない。
「うは♡キートン太一と同じ呼び名だ。なっ、これって褒められた?でいいんだよな?な?」
忠遠は稍呆れたように目を細めた。
「…いつそんなもの読んだ?」
「発売日に新刊買って読んだよ?あ、雑誌で読むのは我慢したんだぞ?」
流石にこの辺りにはついてこれなかったらしく、客人は不快そうに額に青筋を浮かべている。意外と単純だな、と軽口を叩きながらメイアンは注意深く観察する。
「傭兵だったではありませんか」
「別に殺し合いがしたくてやってたわけじゃない。働きやすい職場だっただけだ。幸いウクライナ側についていたから、個人的な哲学的根拠にも反することがなくて寧ろ協力的な気持ちでいられた、だから戦線を離脱しなかったんだ。かといって戦場で死にたかったわけでもない。己の生への執着を知っているから、他者の命を奪いたくない。個人的に恨みがあるのでもなし、なんでそんなことしなきゃなんないのさ?」
「人類は食物連鎖の頂点に位置している。しかしその数は下位の生物の数を圧倒的に超えてしまっている。つまり賄い切れない程殖えてしまった。…ここで数を減らさずして解決法がありますか」
「ふうん、成程。でもさぁ、なんで人間が頂点だって断言できる?熊とか鯱とか虎だってのに素手で戦って勝てるの?寧ろ捕食される側じゃん。下手すりゃ犬にすら勝てないよ」
「…知恵があります」
「知恵?あー、集団で立ち向かうとか、武器を使うとか?まあね、野生生物に集団行動はあるからそっちは否定しないけど、武器は反則だと思うな。だから食物連鎖と生態ピラミッドを等号で繋いじゃ駄目なんだよ」
メイアンは忠遠の様子を窺うふりで目配せをした。忠遠は客人の死角から頷く。
「つまり貴女は私の提案を呑む気は全く無いということなのですね」
「当初からお断りだと言った」
「よく考えるべきです」
「一年考えたって同じ答えしか出ないね。あんたはどのくらい手を下してきたのか知らないけど、」
その言葉を遮るように畳みかけてきた。
「幾つかの戦争や衝突は導いてきましたよ。思うようには低減の結果が出ませんでしたが、貢献はできたと思います」
「貢献…ねぇ。つまりあんた個人の考えじゃないんだ?」
「我々はグレイシャ計画といいます。あらゆるところに潜み、如何なる方法をしてでも人類を減らしてゆく。大量に死者の出る戦争や災害は都合が良い」
「効率的な考え方だねぇ」
「やるならば徹底的にやらねば。少しばかりの減少は寧ろ更なる増加を生む」
「あんた…自身も人間だろう?」
「使命が終われば私も減少のひとつとなります。さあ、貴女も賛同いただけないのなら減少に寄与しなさい」
「え、やだよ、断る」
フリッツ・ハーバーなる男は懐からリボルバーを取り出して正面のメイアンに向け、撃鉄を起こした。
「もう一度お訊きします。ご協力くださいますよね?」
正面から見据えられた。成程成程、こういう状況下なら取り敢えず意見を取り下げ頷くのかもしれない…ここが賀茂忠遠の家でなく、リボルバーを向けられているのが罔象メイアンでなかったならば。
メイアンはリボルバーを一瞥し、溜息のように吐き捨てた。
「ふうん、NAA-22M」
メイアンは無造作に真正面から手を伸ばしリボルバーの回転胴そのものを掴んだ。
「なっ、…」
「.22ウィンチェスター・マグナム・リムファイア弾を選ぶとは、確かに効率的だ。でもミニリボルバーは扱い難い銃だって、解ってる?」
そのまま手を捻ると、相手の手首が可動域を越え面白いように簡単に外れてしまった。
「縛」
忠遠は呟く。すると周辺の空気が不意に歪んだ。見えないが屈折率の違う空気が縄のように彼の体に巻きついたように思えた。彼はその為腕を肩より広げられなくなってしまった。
「停」
再度呟く。すると抗おうとしていた拙い動きも止まる。目の動きまで止まっている。メイアンは彼の傍に回り込み、行儀悪く踵で肩の辺りを押してみると、凍りついたかのように全く身動ぎ無しでぐらりと傾いてそのまま横倒しになった。それを冷たい目で見下ろして忠遠に問う。
「殺したの?」
「否。この男だけ、時間が停まっている」
「そうなの。便利なことだ」
寒霏は面倒臭そうに耳を掻いた。
「なんだこの正義中毒みたいなのは?」
「あはは、正義中毒。メタ認知力不足なんじゃん?」
メイアンはNAA-22Mの撃鉄を戻し、座卓の上に放り出した。
「どちらかっつーと救世主願望じゃね?人助けする自分に酔いしれてる」
「人殺し推奨だった」
「全人類を皆殺しにしようってんじゃなかったから、選民思想なんかもあるんじゃないの?なんにせよ複雑怪奇な思考の持ち主だ。グレイシャ計画ってなんなん」
「我々は、と宣っていたから、計画名ではなく、そういう名前の組織なのだろうな」
「グレイシャ…氷河、か。動いていないように見えてじりじり谷底を削ってゆく、ってか?」
完全に停止している男の懐をメイアンは勝手に探る。ご丁寧にダンヒルのハンカチが出てきて、その後にスマートフォンが出てきた。
「スマホなんてさ、人間がわんさかいなきゃ出てこない技術だよなぁ。こういう矛盾に気づかないのかね」
「ブランドのハンカチとて同じだろう?消費者の裾野が広くなければこういうものは成り立たない」
まだ探り続けてメイアンは不満そうに口を尖らせた。
「面妖いな。財布がない」
寒霏はつまらなそうに言う。
「今流行りのキャッシュレスなのでは?」
「韓国じゃあるまいし、日本じゃある程度の現金を持ってなきゃ身動き取れないよ。うーん、金が無くても自由に行動ができて、身分証を持ち歩く必要も無い、ってことかな?」
「でも銃を持ち歩いていて身分証も無くいられるのか?」
寒霏が至極真っ当なことを問う。しかしやっぱり寒霏だった。
「NAA-22Mってなんだ?」
あーあ、とメイアンは今度こそ本当に溜息を吐く。
「NAA社の極限まで小型化されたボディが特徴 のリボルバーで、.22ウィンチェスター・マグナム・リムファイア弾モデルだ。.22WMR弾は小口径高速弾と呼ばれるタイプでね、ベースになった.22WRF弾や.22LR弾より格段に初速や威力があって、その上低反動で弾道もフラットで精度が高いんだよな。こいつみたいな使い方をする為にあるんじゃない代物さ。まあ、.22LR弾モデルや. 22S弾モデルだとそれなりの威力しか出ないからな。その上で言わせてもらうと、銃把が小さ過ぎるから、反動を抑える為に指を伸ばすとシリンダーギャップから噴き出す高圧ガスでその指の皮膚が裂ける。できれば使いたくない銃だなあ」
すると忠遠が顎を指先で擦りながら言った。
「…その話は有名なのかね?」
「どの部分?」
「指が危険に晒されるというくだり」
「シリンダーギャップからのガスをシールされてない銃は幾らでもある。22口径でもマグナム弾だし、」
「抑マグナムとは?」
「えー…そこ?酒の瓶でマグナムボトルって増量ボトルが由来だって言われてる。つまり火薬を増やしたって意味なんだが、単純に増やしただけのホットロードと違って既存の弾丸に拡大型の薬莢を使って兎に角目標量の火薬を入れ込むことに終始した弾だな。当然ながら同口径なら威力も初速も上がる」
「この銃で握り方を誤ると?」
「最悪指が吹っ飛ぶ」
「承知していただろうか、この男は?」
「さぁてねぇ。口径が小さいから、的を撃ち潰すようなことはできない…しない。多分、隠密裡に持ち歩きたいからミニリボルバー。威力を上げたいから、.22WMR。この二律背反に折り合いをつけてこのモデルってとこじゃん?ミニリボルバーのガス噴射については知ってる人は知ってるし、回転式を使う以上この危険性について知ってなくちゃならない事項ではある。…それが?」
「銃器がそこまで不完全な物だとは知らなんだ。この認識と同程度だとしたら、この男は普段は銃など持ち歩いていないのではないかと思った」




