2023年3月、ノースカロライナ③
メイアンはバックパックを覗いて目を丸くした。
「握り飯が減ってる」
「すまん、龍鯉が腹減ったと宣ってばくばく食べてしもた。多分、昆布が殆ど残っておらぬ」
「いいけど…熊には内緒にしとこ」
忠遠は薄く笑った。
「そうさな、熊は寒霏を大層嫌っておるからの」
「仲悪いの?なんで?」
「ふたり共、敬愛する人物が同じなのよ。そのお方の食を細らせる程までに寒霏が心配させたものだから」
「それ、いつの話?」
「ざっと千年…千年と百年…二百年くらい前かな?」
「うへ、根深い」
「その上あの空気を全く読めない無頓着さが嫌なのだろう」
「あはは、そりゃ嫌んなるわ」
メイアンは握り飯をひとつぱくつきながらMacBook AirにUSBメモリを繋いだ。
「軍曹は変な思想を持っててさぁ…人間が多過ぎるから減らす為に戦争を起こすんだとか言うんだよ」
「…そんな目的意識を持たなんでも、人間は殺し合うのにのう」
「それ言われちゃうと立つ瀬が無いけど、真理だな。その軍曹がマスタードドローン搬出の責任者だったってのは、意図を感じる」
「クレイウォーター全部がそういう思想ではない、と?」
「確認して回ったわけじゃないからYESではないんだけど、少なくともクレイウォーターの傭兵は米軍を始めとする正規の軍隊に居られなくてでも戦争屋スキルしか無いから、とか、トリガーハッピーなやつとか、そういう感じのが多かったよ。かと言って軍曹独りでそういう独善を謳っていたわけでもない」
「ほう?」
忠遠は腕組みをし、首を傾けて話を促した。
「二人しかいない事務員が軍曹がマスタードドローンを担っていることを知っていた。というより、あのドローンをクレイウォーターに持ち込んだやつの名前を挙げてた。フリッツ・ハーバーというんだそうだ」
「ハーバー…?ハーバー・ボッシュ法の、ハーバーか?」
「そ。窒素固定の父だが、気体という気体で資源の乏しいドイツを富ませようとした傲岸な化学者の名前」
「ははは、そういう表現か」
「矛盾があるとしたら、人口爆発を加速させたのはそのハーバーだってことだな」
「そうなのか?」
「ハーバーは無制限に入手できる空気、特に窒素からアンモニアを、そこから窒素肥料を作り出したのさ。土壌改良に何年もかけなくともすくすく育つのはその窒素肥料のお蔭だもんよ」
「誠に皮肉に満ちておる」
「間違いなく偽名だよな。んで、彼らの上司がその帳簿を抱え込んでた」
携帯の写真画像を見せる。
「む?納品元が黒く潰されとるではないか」
そうなんだよ、とメイアンは悪戯っぽく笑う。
「けどさ、これ複合機で印刷されてんの」
「…ふむ…?」
「で、この黒塗りは多分油性インク。…忠遠、ついて来れてる?」
「同じ黒でも違う種類のものだということは理解できたが?」
忠遠の難しい顔というのは初めて見たな、とメイアンはなんだか面白く思えてきてしまった。
「トナーってさ、帯電性プラスチックなのさ。で、これに油性インクをかけたところで、ちょっとした光の加減で見えるんだよ、肉眼なら」
にやり、と笑いかけると忠遠は虚を突かれたようにはっと息を呑んだ。
「…黒塗りした後それをコピーして、原本をシュレッドすべきだったな」
言いながら可笑しくなってきたらしく、忠遠は最後にはくつくつと笑い始めてしまっていた。
「で、この後どうするのかね」
「うーん、…」
回答を渋るメイアンのバックパックを忠遠は無断で開き、握り飯をひとつ取り出した。
「貰うよ。レストンには寄らなくてよいのか?」
「どうだろう。確かにディズマル湿地はめっためたになったよ。だけどそれでどうなの。クレイウォーターはドローンや軍曹を始めとする人員の損失は奇妙な挙動だった竜巻の所為にするだろう。どうせ不死身っぽい被験体もいないしガスもない。対抗し得ない自然現象に文句つけようがないでしょ。それを見越してレストンは敢えて沈静と沈黙を守ると思うんだよね」
忠遠はアルミホイルをひと捲りして齧った。おお、筋子だ、と顔を綻ばせた。
「筋子派?」
「五目の混ぜ御飯もよいね」
「そっち?」
「熊が作る菜飯は鶏がらスープを使っているそうで、旨みが強い」
「えっそうなの、食べてみよう」
今食べていた鮭を大急ぎで食べ終えると菜飯を探した。
「…そんなにヘッドクォーターに行きたくないのかね?」
あった、とホイルを開く。
「トム・クルーズじゃないもんで」
「はははっ、汗まで関知するセンサーが張り巡らしてあるのかね?」
そこまで高性能ではないけどね、と苦く笑う。
「仮に潜入に失敗して内部で捕獲されたら、帰れないかもしれない」
「ほう?そんなに素晴らしいセキュリティが施されておるのか」
「違う違う。あそこはね、いや、ディズマルだってそうなんだけど、退役軍人とかいっぱいいるのよ。そこに単身乗り込んだところで、直ぐボッコボコにされるのは火を見るより明らかでしょうが」
「そういうものかね」
「忠遠あんたさ、どこまでこの罔象メイアンを買い被ってるのか知らないけど、もっと能力の高い連中なんざわんさといる」
謙虚だな、と忠遠は笑った。
「謙虚っていうかね、これスポーツじゃないじゃん?ヤバいお薬使っているお方もいるの」
「ヤバいお薬?」
「筋肉増強剤とか、男性ホルモン注射とかね〜お蔭で頭がパーになって言うことをよく聞く便利な傭兵さんだったり」
「…太く短い人生を送りそうだ」
「あは、太いかな?エナジードリンク感覚で目の冴え渡るお薬を使ういつも感度がビンビンな傭兵さんだったり」
「圧縮された短い人生になりそうだな」
「そうだねぇ、そうやって強化された人より、なんだかんだ言っていっちゃんの強敵は地道に鍛えてきた人だな。条件反射のように行動が出る」
「成程、そういうのとは戦いたくない、否、勝ち目が無い、ということだな?」
「ま、そうなるね。どっちにしろ事務所を潰したところでなにも起こらないんじゃないかな」
「しかし、クレイウォーターにお前さんのデータが残るのはどうする」
「それねぇ」
菜飯を齧る。あ、旨い、と呟く。
「ヘッドクォーターを破壊したって、今の時代データは残るんだよ…ひとつずつ潰したところで、別のところでコピーが生成されてたら鼬ごっこだよ」
もう一口頬張って、むぐむぐと咀嚼する。そして音を立てて飲み込むとやっと口を開いた。
「あ、だからって諦めるんじゃないぜ?どうせやるなら、面白くやった方がいいし。それよかさぁ、忠遠」
メイアンはUSBに落としてきたファイルのひとつを開きながら大真面目に尋ねた。
「熊と菫にお土産、なに買っていったらいいと思う?」




