2023年3月、ノースカロライナ②
メイアンは手に火炎放射器の残骸を握っていてよかった、と小さく息を吐いた。もし無かったらば間違いなくホルスターに手をやって、前置きなしで軍曹の眉間に9mmをぶち込んでいたことだろう。
腹が立つ相手だからと誰彼構わず殺していたらただの殺人鬼だ。況してここは戦場でも戦闘対象でもない。
…敵ではありそうだが。
メイアンは溜息を吐き捨てながら、早急になにが自分の敵なのか明確にする必要があるなと考えを新たにした。
「人間が多くなきゃ、人間が思う高度で進歩し続ける文化なんてのは完成し得ない。もし、奴隷のように扱き使えるAIだのロボットだのがあったとしても、だ。誰が主導してるのか知らんが、そういう高邁なことは自らが己だけに実践すればいい。他人を巻き込むな!」
メイアンはゲル化ガソリンを壁にも撒いて軍曹の懐を探った。
…あった。
ジッポとラッキーストライクFK。白地にブルズアイのソフトパック。
「あんたの中ではベトナム戦争で止まってるわけ?」
軍曹からは返事はない。まだ失神してはいないから、返事ができないだけか。しかしメイアンの意図するところには気づいたようだった。
「これだけゲル化ガソリンが撒いてあればねぇ」
流石にゲル化してるとはいえ、ガソリンの臭いが充満している。メイアンは一本取り出すと火を点けずに軍曹の口に押し込んだ。外が騒がしく、入口に積み上げた木箱が不穏に揺れている。潮時だろう。
「…人間の本質を見誤った自分を呪うといい。そのくらいの時間はあるだろう」
メイアンは木箱にまた攀じ登り、屋根板を何発かで撃ち抜いた。なにかで突き破らねばならないな、と思案していると、外側から何度か力が加わり、蹴破られて破片が下に落ちていった。降りかかる瓦礫の破片から身を庇う腕の間から見えたのは、そこからにゅっと突き出た腕だった。掴め、と声がかかる。
忠遠だった。
彼はメイアンを片手で引き上げた。意外と力があるよな、と思う。屋根上に立つと、体中の埃を一応払う。
「もう少し、計画的に」
「あは、心配かけた?」
「多少の怪我はお前さんには意味のないことだが」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず。収獲はあったから勘弁してよ」
下に続々と集まってきた人間がマネジャーを筆頭にメイアンに気づき始め騒ぎ出したのを片眼に、奪ってきたラッキーストライクを取り出した。一本唇にのせ、火を点ける。一服だけ煙を吐いて、吸いさしを屋根の穴から投げ込んだ。
「…悪辣な」
「そうかな?軍曹の睾丸潰しちゃったかもしんないから優しさだよ」
くるくると火勢を強めながら落ちてゆくのを見ながら言う。途中で充満していた気化ガソリンに引火したのだろう、姿が消えた。メイアンは手に残ったジッポとラッキーストライクのパックも同じところに放り込んで言った。
「直ぐ出る」
「龍鯉は待機しておる」
女マネジャーが発砲を指示したらしく、一斉に火器が火を吹いた。だがその直前、忠遠はメイアンの肩を掴むと軽く屋根から踏み出した。
ごうっ、と風が鳴る。忠遠の踏み出したそこに龍が風を切って滑り込み、宛ら元から地続きであったように受け止めたのだ。背後で凄まじい轟音がした。メイアンが撒きに撒いたゲル化ガソリン全てに火が回り、倉庫内の物も発火したのだ。火薬だの爆弾だのだらけだったもんな、と旋回しながら上昇する龍の背から見下ろす。周辺にいた人員も熱風や熱波を受けてのたうち回り、中には服や髪に火が点いた者もいるようだ。いずれガスも漏れ出てくるだろう。あの一帯は地獄の様相になるに違いない。
龍は旋回を続け、成り行きを見守りながら上昇してから帰途に就こうという趣旨らしい。以前と違い、風がもろに当たる。風を防ぐなにかを寒霏か忠遠が行っていたのだろう。実際はこれだけの風や気流を寒霏は切って突き進んでいたということか、と驚きのような当然のようなことが実感させられる。
「思うんだけどさぁ…カンピーもこれだけ運動性能あるんだからファネル・アロフトくらい起こせるんでない?」
「ファネル・アロフト?」
「あー…空中竜巻って訳すのかな?竜巻の下の部分が地表面に接しないのをいうんだ…漏斗、空中の、だな。こう…気温差のある空気がぶつかるところで風が起こると、北半球なら自転の影響を受けて左巻きに回り始めるじゃん?それをカンピーが起こすことくらい、できそうだなって思うわけよ」
忠遠は顎を擦った。
「成程?この世の不思議に見えることも、それなりに科学に基けば修行不足の龍鯉にもできることはある、とな?」
「おいおいそこまで言ってないぞ忠遠」
寒霏は忠遠の嫌味はスルーしたらしく、期待だけが前のめりに募っているのがわかった。
「今この火災で空気がかなり暖かいな?」
「おいっ、ここで試す気かっ」
「上から見て左巻き、反時計回りだな?」
「やめろカンピー!」
「メイアン、脳味噌が簡易的な龍鯉に何を言っても無駄だ。落ちないようにはできとるが、取り敢えず心理的安寧の為に掴まっておけ」
「忠遠、こういう時の制止役なんじゃないのあんた」
「いやいや止めても止まらん。やるだけ無駄」
メイアンは諦め、掴まれそうなところを掴んで身を低くした。かなりの加速度がかかり歯を食い縛る。
「忠遠の馬鹿」
「なにか言うたか?」
これは皮肉ではなく、本当に耳に届いていなかった。寒霏は最速で空を駆け抜け冷たい空気を炎上して上がってくる暖気にぶつけ、流れを作る。轟々と風が音を立てて頰を切り裂きそうだ。
ふと下を見ると、もう色々なものが宙に舞い上がり渦巻き状に動いている。大半が残骸や瓦礫らしく、渦巻の流れが濁って見える。龍鯉はもう一周ぐるりと空気を取り込むと、すいっと周回軌道から抜け出た。風の音がひゅうひゅうと高い音に変わり、悪酔いしそうな加速度がなくなっていた。
メイアンは顔を上げると溜息を吐いた。
「あーあ、ファネル・アロフトにしとけって…」
言ってないか。竜巻は地表まで到達して空を縦に貫いていた。その所為で地表にあったあらゆるものが巻き上げられて渦に取り込まれている。
「いけなかったか?」
「よくないね。やり過ぎだよ」
「どちらにせよ同じことだろう?」
「やり過ぎだって言ったろ。どうすんのさ、竜巻を消失させる方法なんて無いのに」
「そのうち消える」
「そのうちって消えるまでの間にどんだけ被害を出すと思ってんだ⁉︎」
「小猿には関係なかろう」
「関係なくてもな」
メイアンは苦い顔をした。
「そういうのは、駄目だ。関係ないからって生き死にを勝手にしていいとか、さっきの軍曹と同じじゃん」
どうせ見ていたんだろ、とメイアンはむっつりと言う。
「…東京大空襲とかで川が煮立って干上がって、河川に住んでた生き物が苦しんで死んでいったのを許せないと思ったカンピーなら解る筈だ」
寒霏は龍の姿ながらしゅんと項垂れた小犬のようになったのがわかる。
「…ふむ。」
忠遠が気の抜けた声を出した。そういえばこいつが焚きつけたのだったな、とメイアンは思い出した。火種を撒いたのは自分だが、とも。
「ならば竜巻を消すのも、修行のうち。ではないかな、龍鯉?」
にこっと然も簡単気に言う。
「あのな忠遠、竜巻なんて消す方法が無いからこういう事態なわけで」
メイアンも忠遠の気楽な解決策を窘める。
「メイアン?それは気象に対して無力で矮小な人間の答えで、龍鯉の大きさならできることもあるのだよ?」
「なんだよ、忠遠は一瞬で竜巻を消せるとでも?」
「いやいや、一瞬は無理じゃな。だが理屈を押さえよう。竜巻だの台風だのというのは、空気が熱エネルギーと自転の影響で渦巻いているものだな?」
「まあ、物凄く単純化してしまえば、そうなる」
「熱エネルギーを運動エネルギーに変換しているのならば、熱を断つことで運動が止まる」
「止まらないんじゃん?」
「物理の初歩だけの考え方でいけば止まらざるを得ない。うむ、あそこまでな、色々な要因を取り込んでしまっているものにそれが通用しないというのも、また真だな」
「どっちなん」
「メイアンも水に渦を作り出したことがあるじゃろ」
「渦?」
「風呂に掌を垂直に沈めるだけで渦なぞ簡単にできる筈だが」
「ああ、まあ、そのくらいなら」
「渦というのは、中心の『なにもない空間』に向かって流れ込む現象じゃな」
「…流体力学と大気の動きは一緒くたにはできないと思うぞ?」
「まあ、原理だということでな?冷たい空気を上から供給することである程度勢力を弱められるのでは?地表から離れさえすればそこから先は自然消滅を待つ、でも誰も責めまい」
やってみる、と寒霏は竜巻の上部へ近寄ってゆく。急激に肌寒さを通り越して冷え込む。
「あーあ、また異常気象…」
メイアンは額を抱えた。
「小さいことを気に病むな」
「バタフライ・エフェクトって言葉を知らないのか?」
「初期値鋭敏性じゃな?ふふ、それが積み上がって『見えない明日』なるを作るのではないのかな」
「繰り返す単調性に安寧があるんだよ」
「ぬるま湯にどっぷり浸かっていられないのが生物だと思うがな」
「うへ、忠遠は生物の仙じゃないの?」
「付喪神だったらばこんなに生に関心を持たぬよ」
寒霏は竜巻の上部から周辺の冷たい空気を集めて流し込んでいた。空気が満たされるにつれ、竜巻が徐々に解けてゆくのが見てとれる。功を奏したのに手応えを感じたのか、寒霏は中心に向かって垂直に冷えた空気を一気に送り込んだ。
「あ、馬鹿」
冷たい空気は確かに熱量の多い空気からエネルギーを奪い取ったが、急激過ぎたのだろう、上部の漏斗部分の勢力だけを削いだ形になってしまった。不意に竜巻の上半分だけが消失し、下半分の苛烈な部分だけが残る。
「ほう、そうなるか」
「楽観してんじゃないよ忠遠っ」
「面白い現象になったと思っただけよ。見てみい、渦の上部がまた開く。龍鯉、あと一息じゃな」
竜巻は勢いを半分失って地表から浮き上がるように離れつつあった。同時に中程であった部分が解けるように回転を縦に横に伸ばし、漏斗状に広がり始める。寒霏は再び寒気を送り込んだ。すると到頭渦は勢いを失い、巻き込んでいたものを落としながら上へ上へと短くなりながら消失を始める。下部が減ってゆくさまは、氷柱が融けるのにも似ていた。
「滅茶苦茶だ…」
「今回は上手くいった、としようではないか。龍鯉も無闇と竜巻を起こしたりはできぬし」
「可能性の問題じゃないよ…」
クレイウォーターの施設は管理棟の屋根が吹き飛び、火災のあった倉庫棟は黒い跡を残して跡形もなくなっていた。周辺の訓練用の資材なども吹き飛んでしまったことだろう。
「この訓練場は暫く使い物にならぬかな?」
「時間稼ぎ程度、だよ。まあ、軍曹は死んだかその同程度だろうから、ウクライナにマスタードのドローンがここから運び込まれることは無くなった」
流石に上空は寒い。ニットとコートを着込み、メイアンはバックパックを漁った。
「軍曹とやらが死ぬと、阻止になるのか」
「どうだろう。少なくともドローンは全部燃やしてきた」




