2023年5月、京都⑩
メイアンが昼飯として三人分作ったのは粗挽き胡椒の散ったチーズハニートーストだった。六枚切りの厚めの食パンに角を余さず確りチーズが敷き詰められてとろけている。サラダは無く代わりにチコリのブレゼ。ミディトマトを割って添えてある。輝媛の希望に添って濃い目の焙じ茶。
「輝さん、蜂蜜が垂れるからかぶりついちゃ駄目だよ」
輝媛は残念そうにナイフとフォークを受け取って不承不承切り始める。
「チーズは何種類か混ぜたな?」
「元々チェダーとゴーダ、モッツァレラがミックスされたシュレッドチーズにブルーチーズを加えただけ〜」
「トースト版クアトロフォルマッジね♡」
「チコリは火を通すとこうなるのか」
「あは、舟形のお皿みたいな印象強いよね〜。チーズが油っぽいから蒸し煮にしてみた。グリルと迷ったけど、ブレゼも旨い」
「まあ、少しとろりとして美味しいわ。軽く苦味が残って、他のお野菜には無いお味ね。美味し♡」
昼食を作る間中ずっとメイアンは輝媛に言われたように何度も流れを分けては渦巻かせ、解いてを繰り返していた。また薔薇だと感極まりそうで、簡易的にチューリップを折り、そちらも忠遠に貰った八卦図を通してみる。八卦図を記憶から物体へ通すのは慣れたようだなと忠遠は何本も活けられたチューリップを見て笑った。
チューリップだって本当は泣きそうなんだよ、とメイアンは溜息を吐きそうになる。何度やってもガブリエラ。可愛らしいピンクのチューリップになってしまう。黄色いウェストポイントを何度も想像してみたのだが、できるのはどれもガブリエラ。それはそれで悔しいポイントでもある。
今薔薇に同じ作業をしたら何輪もピースができてしまって虚しくなるだろうなとうんざりした。ピースの花束なら一初が満面の笑みで抱えていなくては。たっぷりと飾ったピンクのサテンリボンをつけて、薄いベビーピンクの不織布をOPPフィルムの内側に重ねて包んでくるんだよ、きっと。
…夢想が過ぎるぜ、とやっと座卓へ運んで素知らぬ顔で食べ終えた。忠遠は片づけはやるよと全ての食器を運んでいった。食洗機の回る音がするから、そこまでやっておいてくれたのだろう。
焙じ茶を飲みながら輝媛は言った。
「さっきの、慣れたみたいね?なら、もうできるかしら…なりたい姿を想像して?できれば、細部まで。背丈、肉づき、顔貌、服装もよ…」
「あはっ、いっちゃんが最初に人型になったときは素っ裸で、慌ててやり直したら服は着ててもパンツ穿いてなかったってさ」
「そうなのよ、人には極々当たり前のことを知らなかったり思い至らなかったりするの。でもメイアンなら大丈夫ね?」
「いや今どっちにしようか迷ってる」
「どっち、って?」
「ふふふ。男装の麗人の場合ランジェリーはユニセックスか背徳的にレースいっぱいかなって」
「あらそんな人になる気なの?」
輝媛は湯呑を置いて膝の上に自然に手を重ねる。改まったような、しかし自然な姿勢。
「もう充分な渦はできているわね?そこになりたい像を被せるような感じよ…そう。そうしたらそれを内側から膨らませていって。いっぱいまで…弾けさせては駄目よ、そう、そこで止める…止まる?」
輝媛はメイアンに声をかけてナビゲートするだけだったが、その声に導かれるようにメイアンは手順を踏む。一瞬己の輪郭がぶれたかと思ったその一秒後、メイアンの膝はジーンズから黒いスーツのスラックスに変わっていた。胸元は白いシャツに模様の入ったシルバーグレーのタイ、おそらく髪はオレンジ色、唇は貼りつけたようにのっぺりとだがシャープに描き込まれている筈。
「あら、どなた?」
見たことがあるような、と輝媛は首を捻る。
「アニー・レノックス」
「クールビューティーね。あの頃はなかなか模索していて素敵だったわ。私、Here Comes The Rain Againが好きでよく聴いたものよ…」
輝媛は少しだけ目の奥を揺らした。今のメイアンにはストレート過ぎると気づいてしまったようだ。
一初が迷いを1993年ミュージシャンに解かれてしまっていたと唸っていたが、いま将にそんな気持ちだなとメイアンも思う。
「輝さんもユーリズミックス聴いてたんだ♪あの太い声がいいんだよね。結構高音もいけてるのに、凄いんだよ〜」
立ち上がってみると目線が高い。戻ってきた忠遠がどんな反応をするのかと不思議な期待を抱いていると、襖が開いた。部屋に不釣り合いな作り込んだメイクの女性がいること、仁王立ちであることにたじろいだのは一瞬で、ひとつ問題が解消されたなという風に小さく頷いた。
「メイアン?その姿は逆に目立つぞ」
「そりゃそうでしょう、三十年前のアニーが京都に現れたら大騒ぎになるわ」
「わかっておるならよい」
忠遠はにやにやするばかりであまり驚かなかったなと少しだけがっかりした。もしかしたら忠遠の目には違う次元が見えていて、メイアン本来の姿が透過して見えているのかもしれない。
「ね、ね、他の姿にもなれるかしらっ」
輝媛は面白そうに言う。
「そうだねぇ…こんな感じ?」
そう言って別の姿を想像してみる。この人だったら結局ババブラとか使うのかなとかくだらない想像を走らせながら。
「…土井たか子!」
「わかるんだ」
「京都女子専門学校の同期として机を並べていたの」
今の京都女子大学のことよ、と輝媛は懐かしげに目を細める。
「あれよあれよと議員になって、変革をずっと求めていたけれど…在籍していた党の性格上身動き取れないことも多かったみたい。女性であることも含めて、誰の目から見てもおかしいことをおかしいと言えたのは凄いことだったと思うの。ふふ、言わなくてもよかったんじゃない?みたいなことも結構言っていたけど」




