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それからのエピソード2『バレンタインだからじゃない?』

 春と呼ぶには、まだやや寒い。しかし世の中は甘い匂いで暖かい気配がする。


 きっとそれは、今日限りの事なのだろうけれど、俺は何とも言えないまま、例の二人を眺めていた。

「こいつらには関係ねーわな……」

 バレンタインデーなんていう、縁遠いイベント。

 俺はまだ良い。貰うような立場はとうに終わった。日晴(ひなり)がまだ生きていた頃、毎年のように得意なトリュフを作ってくれていたという事だけ覚えていたら、ちゃんとバレンタインデーというイベントをクリア済みの大人として胸を張れる。

 だから、俺は今日チョコレートを貰う必要は、無い。強いていうなら来年もないし、去年もなかった。


 だけれど、あの二人は違う。ヒバの無関心を装う感じもどうかと思うが、ハヤのそわそわした感じももどかしい。

 それでも、顔には出さずに二人は絵を描く。

 

 クリスマスのあの日、二人が交換したプレゼントはそのまま、彼の左手に、そうして彼女の綺麗な髪に付けられている。しかしそれ以上の進展があるような二人ではない。

 二人の恋模様を覗く大人になったつもりは無いが、最近はもう二人は各々の世界で筆を振るい始めていて、俺が何を言う必要も無いような気がして、少しだけ寂しい。

 

 二人自身はそう思ってないと言うかもしれないが、俺の目からすれば、教える事はもう何も無いように思えた。だからこそこの、二人の高校生特有のイベントの未処理感が気になるのだ。

「授業でも教えられんからなぁ、これは」

 あえて聞こえるように言った俺の呟きに、二人はジトリとした視線を向ける。

「バレンタインデーだって事くらいは知ってますけど?」

 口を開いたのはハヤだ。そりゃ知っている事くらい知ってますけど? と返したくなるのは山々だが、彼女が描いている絵を見て、俺は黙る。


――チョコが、降っている。

 空には揺れているバスケット、そこからハラハラと落ちていく色とりどりの包み紙。

 あえて冷たく書かれた町並みに、強い絵の具のタッチで精密にチョコレート達が降り注いでいる。

 それは一見冷たく見えて、実直に見えて、とても彼女らしい、誠実さを表した。バレンタインデーの表現だった。

 その点、やはりヒバもどうにも意識だけはしているようで、クリスマスの日に見た雪を思い出しているのだろうか。スッと高級料理でも作っているかのような繊細さで、いつもの町並みにチョコレート色の線を引いている。いずれ、建物の壁の白がホワイトチョコレートに見え、ある建物の入口はビターチョコレートのようにも見える。


 結局こいつらは絵の中で語り合っているのだろうと思った。

「んなに気にしてるなら渡せよ、そんで貰えよ」

 俺の言葉に二人がビクッと身体を強張らせる。

「クリスマスの時は渡してただろうが、今更何を恥ずかしがってんだよ若者共」

「せんせは、なんか駄目だな。貰えないぞ、そんなんじゃ」

 ヒバが俺をジトーっとした目で見る。やはり敏感な年頃にはデリカシーが無かったか。あまり見ない表情に少し怖気づいたのは内緒だ。


「確かに駄目駄目ですね。あげませんよ? そんなんじゃ」

 ハヤはさりげに俺にも用意しているという事を教えてくれていたけれど、やはり俺はデリカシーがないという認定で間違いないらしい。


――しかし、そうであっても二人のモジモジとしたのを見ているこっちの気持ちにもなって欲しい。


 そもそも、俺自身は貰えなくてもいい。

「流石にチョコで絵を描くって言わないだけマシだけどよ、それでもむず痒いもんだぞ?」

「あー。その手もあったか。気付かなかったなぁ……流石センセ、発想力は勝てないな」

 ヒバに褒められてしまったが、素直に喜べない。

 彼の絵は実に、世界をチョコレートで再構成している。その絵の中で吹く風にすら、味があるように思えた。

「でも、私たちの手には余るでしょうね。そこまで行くと……なんていうか、アート?」

「まぁ、前衛芸術か何かに近いものになるのかね。この寒い中でそんな事されちゃ、たまったもんじゃないから、二人ともそのままでいてくれて助かるよ」

 ハヤは「言い出したのは誰ですか……」と溜め息をつきながら、マフラーを少し口元に寄せる。


「というか、センセは? 貰ってねーの?」

「貰わねえよ。まさか実家まで帰ってチョコをねだれってか?」

 俺とヒバのやり取りを聞いていたハヤが、マフラー越しでも聞こえるくらいの大きな溜め息をついて、頭に少し手を当てる。

「わざとならまぁ、分かりますよ? そりゃまぁ先生の事情なら全員知ってますし。でもとぼけようとするのはなんていうか、ズルくないです?」

「あー……まぁ、貰えるアテはあるんだろうけどな。俺自身、どうにも扱いに困るんだよ」

「それは分かりますけど、先生は一応独り身ですし、ココさんの好意が普通のそれと違う事くらいは気付いてるでしょ?」


 女子高校生相手に、軽い恋愛の説教を受ける教師の構図は、絵にするなら滑稽すぎて、どこぞで飾られたとして失笑を買うだろうと思いながら、ココの事を考える。


 俺は、あくまでココの師匠であり、戦友のようなものだ。

 確かに、必要以上にココは俺に構ってくるし、そこに好意が一切無いと思う程鈍感ではない。


 ただ、ヒナリが俺の心の中にいる限り、その好意を受け止める事は許されないような気もしていた。

 それを知っているからこそ、俺とココの関係もまた停滞というべきか、保留というべきか、少なくとも一線を越えない関係になっていた。

「若者は良いな。積み重ねちまった事が少なくて」

「ヒナリさんがいたら、なんて言っただろうって考えた事ってあります?」

 今日のハヤは、随分と踏み込んでくる。

 ただ、最初に二人を焚き付けたのは俺だ。それに答えるというのも筋というものだろう。

「どうだろうな、あいつには生きている頃にも苦労をかけたし――その後もずっと、支え続けてくれたからな」

「支える相手がいなくなった時に、ヒナリさんはセンセが独りでいて欲しいって思ったんかなぁ。俺はなんか、そんな事もないような気がするんだけどな」

 流石に、高校生だけあって、ズバズバと、俺とヒナリの関係を知らずとも言いたい事を言ってくる。

 ただその言葉はありきたりだけれど純粋だった。


「逆に、ヒナリさんが先生を失くした後、先生はヒナリさんに新しい恋人が出来たら嫌ですか?」

「あー……嫌っていうのは、傲慢だろ。だけれどせめて、俺を思い出すことくらいはしてほしいかな」

 その言葉が、結局二人が言いたい答えのようだったと、俺は二人の表情を見て気付く。


「センセの中でヒナリさんは消えてないんだろ? だったら、センセがココねーさんをどう思ってるかは知らんけどさ。もう少しマジで見てもいいんじゃないのって俺は思うよ。ココねーさん、時々すごい寂しそうだぞ?」

「先生は気付いてないかもしれないですけどね!」

 いつの間にか、二人は絵を描き終わって、お互いにチョコレートを食べながら俺に説教をしている。

 ハヤの手には赤を基調にした白いリボンの包み、ヒバの手には白いトリュフチョコレートが入っているビニールの包み。


「あー……つまり言うまでもなく、俺は……」

「俺達以下、だよなぁ?」

 ヒバがトリュフを口に運ぶ。

「でも、美味しいか美味しくないかくらい、最初に言えないあたり、ヒバもちょっとなって私は思う……」

 この場の支配権は、完全にハヤに奪われている。

 彼女は、白いリボンを解いて、中身にあるチョコレートを一つだけ摘んで、苦笑する。

「オレンジピール入りなんて選んだのは、正解かな」

 思えば、彼女と言えばオレンジジュース。暖かいオレンジジュースを夏ですら飲んでいた彼女は、今も寒い屋上でそれを飲んで、一息ついていることが多い。


「サラリと交換するなら、なんでお前らはあんなにモジモジしてたんだよ」

「タイミングって、大事だろ?」

「そういう所ですよ、先生?」


 結局は、現代を綺麗な瞳で走っている二人に、こういうことではどうにも敵わないみたいだ。

 クリスマスのような、奇跡みたいなことも二人にとっては些細のようで、特別で。

 今日みたいな特別だなんて呼ばれる日も、二人にとっては特別のようで、些細で。


――描くだけじゃないんだよな、こいつらは。

 ただ、絵を描いているだけじゃない。


 こいつらは、いつも『二人で絵を描いている』のだ。


 その関係がどういう風に変わっていくのは、分からない。だけれど、変わっていくことは、決まっているように思えた。


「じゃ、次はセンセの番だな」

「でも、ココさんも変なのを選んじゃう所あるからなぁ……」

 二人の声をかき消すように、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。


「ハッピーバレンタイーン!」

 その掛け声と共に、バァンと開かれた屋上の扉

 そこには、何故かサンタカラーのキャップをかぶったココが、小さくて白い袋を持って、仁王立ちしていた。


「使いまわしじゃねえか」

「チョコ食べる日に服買ってる場合じゃあないっスよ!」

 だったら、クリスマスに何故それを買ったのかとは言うまい。


「ということで! ハヤちゃんにはこれね!」

「英語……? えっと?」

 パッケージを見て、ハヤも薄々気付いているだろうが、冬には似つかわしくない黄色い花びらのパッケージが目を引いた。

「ヒマワリの種チョコ! なんかハヤちゃんに似合いそうじゃないッスか?!」

「いや、ココ姐さん。俺に入れてもですよ……」

 困っているヒバに構うことなく、ココはヒバの手に黒いパッケージを置く。それは見た目には何のチョコレートかはわからなかったが、ココで選んだあたり、普通のものではないのだろう。

「えっと、これ。リコリスか……ココ姐さん。せめて好みくらいは調べた方が良いですよ……いや、俺は食べられますけど」


 世界で一番不味いと噂されるサルミアッキにも使われるリコリス。どうやらヒバが貰ったのはそれをチョコでコーティングしたもののようだ。

 どちらも輸入品だったのだろう。であれば多少値が張って衣装がどうこう言うのも納得出来る。


 しかし、ココはこういう行事ごとを妙に大事にする。彼女なりの気遣いなのか、それとも単なる行事好きかは分からないにしても。俺も彼女のそういう所は好ましいと思っていた。


 そうして、最後に彼女は俺の方を向いて、ポンっと箱を投げてくる。

「ししょーには、これッスね」

 持ち慣れた重み、明らかにそれが入っているであろう長方形の箱。

「チョコ、じゃねえな」

「ししょーは、これが一番でしょ?」

 その言葉に苦笑しながら頷いて、俺は渡された煙草の封を開ける。

 途端に、香り立つチョコレートの匂いは、火をつけずとも、それが彼女なりのバレンタインプレゼントなのだとしっかりと分かった。


 吸ってみてと言わんばかりの視線に、ココから貰ったチョコレートに苦戦しているハヤとヒバを尻目に、冷たい屋上の壁に座って、貰った煙草に火を付けた。


――吸い込むと、冷たい空気と混じって、香りが混ざる。

 味自体は勿論、煙草だ。だけれど今俺が吐き出した紫煙には、チョコレートの匂いが混ざっているのだろう。

「あぁ、こういうのも悪くないよ。お前も吸うか?」

 近づいてきたココに、貰った煙草を一本引き出すと、彼女は嬉しそうにしたあと、ハッとしたようにポケットをまさぐる。

「ライター、忘れたッス……」

「相変わらず、自分のことは後回しか。ほれ」

 俺はこちらに少しかがんだ彼女に煙草を咥えさせる。

 そうして、軽く自分の煙草を吸った後に、少しだけ顔を前に出して、彼女の煙草の先端に自分の煙草の先端をつけて、強く息を吸った。

「んんむ?!」

 驚きながらも、俺のしたこと自体は分かったようで、ココの煙草にも火がつく。

 その煙草の煙を思い切り吸い込んで、彼女は少しむせた後に、抗議の目をこちらに向ける。

 

 ちなみに、ハヤとヒバからは好奇の目が向けられていた。

「何似合わないことしてんスか?! びっくりしたったら!」

「あぁ……まぁ、バレンタインだからじゃない?」


 そう言って、俺は深くチョコレートの香りを空へ投げた。

 ココが隣に座って、少しだけ嬉しそうにしているのが見える。


 俺がこれから、どうなるかは分からない。

 だけれど、一つずつ決めていくことくらいは出来る。

 

 俺のシガーキスで、俺とココの関係がどう変わるかは分からない。

 だけれど、俺がヒナリを忘れないでいられるのならば、俺はきっと俺を許そうと出来るかもしれない。

 俺の為だけではなく、一時の感情に揺れている彼女の為にだけでも、少しくらいは、思い出と絵のこと以外も、好きになってもいいのかもな、なんてことを考えていた。

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