第95話 〝恋と戦争は手段を選ばない〟
「――それで、一か月経っても、まだうちのお姫様は軟禁されていると?」
ソファに座りながらおもしろそうに揶揄したのは、ギヴァルシュ伯爵家にやってきたキュリアクリスだ。
彼の言葉に、同じくソファに座っていたジネットが「うっ」と言葉を詰まらせる。
――クラウスが王宮に行ってから早一か月。
三日に一回はクラウスからの手紙が届くものの、あいかわらず帰宅についてはまったく目途が立っていない。
王や王女に頼んでもなしのつぶてだと、手紙には書いてあった。
「まったく、普通は攫われたお姫様を助けるのがヒーローの役目のはずなのに、まさかクラウスの方がかどわかされるとは。とんだお姫様だよ」
言いながら、キュリアクリスが面白そうにくつくつと笑う。
「うう……」
ジネットがしょんぼんりと肩を落とす。
「誰かを無理矢理捕まえて心を得ようなんて、無茶苦茶です。そのことにメルティア王女殿下や国王陛下もいつか気づいてくれるかも、と思って待っていたのですが……」
ジネットの言葉を、キュリアクリスがフッと鼻で笑った。
「甘いな。〝恋と戦争は手段を選ばない〟という言葉を知らないのか?」
「うっ」
「荷物どころか従者まで連れて行った奴が、そんなことに気づくわけがない。それは私とてそうだ。欲しいものは力づくで奪う。王位も女もな。王族という生き物なら、なおさらその傾向が強いぞ?」
「ううっ」
キュリアクリスの指摘が、ズバズバとジネットの心に刺さる。
(た、確かに私の理解が足りていませんでした……! 彼らは王の一族……!)
「まあ最初に話を聞いた時からそんな予感はしたが、今日でかれこれもう一か月か。……そのうちこれが、一年になったりしそうだな?」
ニィ、とキュリアクリスが意地の悪い笑みを浮かべた。その言葉がジネットに直撃する。
「ううう!」
ジネットがうめいていると、キュリアクリスが立ち上がった。かと思うと、ジネットの隣に座りずいっと、顔を寄せてくる。
「それよりもジネット。攫われてしまうような情けない男などやめて、私の元へ来い。後宮が嫌だと言うのなら、お前だけは出入り自由にしてやろう」
「えっ」
突然降られた話題に、ジネットは目を丸くした。
(どうして今そんな話に!?)
「ジネット、〝はい〟と言え。私もできることなら、無理強いはしたくないのだ。だが先ほども言った通り、王族とは奪うもの。特に、パキラ皇帝の一族はな。うなずいてくれないのなら無理矢理連れて行くことになってしまう」
「えええっ!?」
(もしかして今度は私が攫われてしまうのですか!?)
あわてて後ずさりしたものの、一瞬でソファの端に追い詰められてしまう。
「あああ、あの! そのお話は後にしていただきたいのですが!」
「だめだ」
獲物を見つけた肉食獣のように、キュリアクリスの黒い瞳がきらりと光る。
そのまま彼の凛々しくも美しい顔がグッと近づいてきて、ジネットは硬直した。
(あ、これはまずい。クラウス様のことで頭がいっぱいになっていたのですが、私たち、もしや今ふたりきりなのでは!?)
たらりと、ジネットの頬を汗が伝った瞬間だった。
「おじょうさまーーーーーー!!!!!!!」
バァン!!! という扉を開ける音とともに、部屋にサラが飛び込んできたのだ。
手には箒を持ち、剣のように構えている。
「キュリアクリス様!!! お嬢様に手を出したら私が許しませんよ!」
クワッ! と目を見開くサラに、ジネットから離れたキュリアクリスが面白そうに目を細くする。
「おっと。思ったよりも早く出て来たな。従者にお前を足止めするよう命令したはずなのだが」
「えっ!?」
(先ほどからサラの姿が見えなくて不思議に思っていたのですが、まさかキュリアクリス様が!?)
予想外の事実にジネットが目を丸くしていると、勝ち誇った顔のサラが言った。
「ふっ。あんなやわな男たち、私が全員箒で叩きのめしてやりました!」
(ええ!? サラったら強いのね!?)
仰天している横で、サラがなおも続ける。
「実はクラウス様から連絡が来ていたのです! 『きっとこの機会に乗じてキュリがジネットを攫いに来るだろうから、守ってほしい』と! だから私がお嬢様をお守りします!」
サラの言葉に、キュリアクリスが「ほう?」と眉を吊り上げる。
「クラウスめ。あいかわらず用意周到だな。だが……」
言って、キュリアクリスはにやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
同時にゆったりとした動きで頬杖を突くと、この上なく高圧的に、そして威厳たっぷりに口を開く。
「忘れているようだが、私はパキラ皇国の第一皇子だ。たかが一介の侍女が、私にそんな口を利いていいとでも?」
彼から放たれるのは、圧倒的王者のオーラ。
急に冷たく厳しく変わった空気に、ジネットもサラもびくっと震えあがった。
(ひっひぇぇ……! キュリアクリス様って、こんなに怖い雰囲気も出せるのですね!?)
普段忘れがちなのだが、本気を出した彼の威圧感はすごかった。
有無を言わせぬ鋭い目線に、サラが蛇に睨まれたカエルのようにサーッと青ざめている。
だが、サラも負けていない。
「そっ、それもクラウス様が言っていました!!! 『キュリはきっと皇族のことを持ち出して君のことを脅そうとするけれど、ひるまなくて大丈夫。彼はなんだかんだいい奴だから、口ではそう言っても実際に乱暴なことはしない。そこだけは僕が保証するよ』と!」
言って、サラが箒を握りながらキッ! とキュリアクリスを睨んだ。
そんなサラをキュリアクリスが上から見下ろし――やがて、大きな声を上げて笑い始めたのだった。
「……ふ。ははは! クラウスめ、そこまでお見通しだとはな!」
額を押さえ、キュリアクリスはなおも大きな声で笑い続ける。
「しかも『彼はなんだかんだいい奴だから』だと? そんなことを言われたら、私も面子にかけてこれ以上いじめるわけにはいかないではないか。……侍女は、確かサラと言ったな? この勝負はお前とクラウスの勝ちだ。反省して、今後いじめるのは控えるようにしよう」
キュリアクリスの言葉に、ジネットがホッと安堵の息を漏らした。
(た、助かった……!)
もしサラが来てくれなかったら、あのままキュリアクリスに食べられていたかもしれない。
「サラ、ありがとう!」
ジネットの言葉に、サラがどんと胸を叩いた。
「お任せくださいお嬢様! クラウス様が不在の間、このサラがお嬢様を守ってみせます!」
「なんて頼もしいの! さすがサラね!」
ジネットはサラに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめた。
「もちろんですとも。お嬢様は私の宝でもありますから」
サラも同じく、ぎゅっとジネットを抱きしめ返してくれる。
そんなジネットたちを見ながら、キュリアクリスがふうむ、と唸る。