第94話 傲慢な考え方だな(クラウス視点)
「君がギヴァルシュ伯爵か。噂は聞いているよ。その若さでずいぶん有能な人物だと」
クラウスを見ながら、この国の王であるエリク二世が言った。
――経済学の家庭教師として呼ばれたクラウスを待っていたのは、意外にもメルティア王女ではなく国王自身だったのだ。
今までは全部メルティア王女が待ち受けていたため、予想外の人物にクラウスは表情を硬くする。
「何度も呼びたててすまないね。君も気付いているとは思うが……娘のメルティアは、どうやら君のことをいたく気に入ってしまったようなのだ」
「光栄です」
まずは素直に受け取り、それから国王が何を言うか慎重に様子をうかがう。
「君にもう婚約者がいることは知っている。だがあの子が誰かを、それも男性をあんな風に好きになるのは初めてでね。親としては、できるだけ望みを叶えてやりたいんだ」
クラウスは黙ってそれを聞いていた。
あれから王女のことを少し調べたが、メルティア王女は国王夫妻にとって遅くにできた待望の娘なのだという。
その上体も弱く、幼い頃はそれこそ毎日のように寝込んでいたのだとか。
それもあって、国王夫妻は文字通り猫かわいがりしているらしい。十六歳になった今でも、その状況は変わらなさそうに見えた。
「私も君たちを無理矢理引き裂いて、生木を裂くようなことは極力したくないと思っている。……思っているが、あの子が恋破れて泣くのを見るのも忍びなくてね……。だから君には家庭教師として王宮に滞在してもらって、もう少しあの子のことを知ってほしいんだ。見ての通り美しい良い子だから、もしかしたら君もあの子の良さに気づくかもしれないだろう?」
国王は最後の強行手段こそとってきていないものの、それでもやはりクラウスとメルティアを番わせたいらしい。
(傲慢な考え方だな。まるで誰かさんを見ているようだ。王族とは全員こうなのか?)
浅黒い肌をした友のことを思い出して、クラウスはきゅっと唇を結んだ。
(第一、たとえ王女の良さに気づいたところで、ジネットとの婚約を解消するなどありえない)
そう思ったものの、当然口には出さない。
(現時点で王命を拒否してもいいことはない。ここは妥協点を探った方がいいな)
王命を拒否し、メルティア王女を拒否すれば、最悪爵位だけではなくマセウス商会やルセル商会まで没収される恐れがある。
いざとなれば、クラウスもジネットもどこでも生きて行けるだけの知識とたくましさはあるが……だからといって、自分のせいでジネットの祖国を奪いたくはなかった。
考えて、クラウスは探るように聞いた。
「……わかりました。家庭教師の件はお引き受けいたします」
「おお! 引き受けてくれるかね!」
「ですが、僕も領主として働いている身です。あまり頻繁では、仕事に差し支えが出てしまいます」
「ああ、そのことなら大丈夫だ!」
あっけらかんとエリク二世は言った。
「家庭教師は週に二日でいい!」
(二日か……。なら、まだなんとか対応できるな)
だが、クラウスが安心した次の瞬間だった。
「代わりに、君にはしばらくこの王宮で寝泊まりしてもらうよ!」
「………………はい?」
(寝泊まり? この王宮で?)
聞き間違えかと思ったクラウスが尋ねる前に、再度国王は明るく言った。
「仕事のことなら心配しなくていい! 仕事道具も人材も、すべてギヴァルシュ伯爵家から王宮に移動するよう、もう手配しておいたから!」
「………………はい!?」
さすがのクラウスも、平静ではいられなかった。
「国王陛下、さすがにそれは――!」
だがそこで、クラウスが言い終わる前に邪魔が入る。
「クラウス様! 引き受けてくれて嬉しいわ!」
鈴の鳴るような高い声で、メルティア王女が部屋に飛び込んできたのだ。
「同じ王宮に住めるなんて夢のよう。どうぞこれからよろしくお願いね!」
言いながら、クラウスの腕にその華奢で白い腕を絡ませる。
頬を薔薇色に染めたその姿は、クラウス以外の者が見れば思わずため息をついてしまうほどで美しい姿だっただろう。
だが当のクラウスだけは、苦虫を嚙みつぶしたような顔をしていた。
◆
「――えっ!? クラウス様が、お屋敷に帰れなくなった!?」
数日後の朝、ギヴァルシュ伯爵家でクラウスからの手紙を受け取ったジネットは思わず叫んでいた。
「どうされました? お嬢様」
すかさず、来客対応をしていた侍女のサラがひょいっと顔を覗かせる。ジネットは困惑した顔で言った。
「それが……どうやらクラウス様は、お城に閉じ込められてしまったようなの……」
「閉じ込められた⁉ どういうことですか!?」
ジネットの言葉にサラもぎょっとする。
ジネットは手紙を握ると、気持ちを落ち着かせようと居間のソファに腰かけた。
「なかなか王宮から帰ってこないのを心配していたけれど、まさかこんなことになっていたなんて……」
クラウスが城に向かうと行ってから、既にはや三日。
一日目は、ジネットもまだ落ち着いていられた。
けれど二日経ち――三日経っても、クラウスは戻ってこなかった。
いぶかしんだジネットが王宮に向かおうと準備を始めたまさにその矢先に、クラウスからの手紙が届いたのだ。
「お嬢様、どうか私にも説明してください!」
せまられて、ジネットは戸惑いながらも手紙の内容を話す。
「どうやらクラウス様は、しばらく王宮に住むことを命じられたようなの。家庭教師としてはもちろん、領主としての仕事も、すべて王宮で行えと言われたと」
「じゃあ、今来ているこの使者たちが運んでいるクラウス様のものって、そういう!?」
言いながら、サラがギヴァルシュ伯爵家にやってきた使者たちを見る。
王の紋章を掲げた彼らは、朝早くにぞろぞろやってきたかと思うと、伯爵家に入るなり次々とクラウスのものを運び出していたのだ。
「そうみたい……」
荷物が運び出されるのを横目に見ながら、ジネットは困ったようにつぶやいた。
使者は荷物だけではなく、クラウスの従僕たちも連れて行っている。
それはまるで、ギヴァルシュ伯爵家そのものが王の手に落ちたような錯覚すら抱かせた。
あぜんとした様子のサラが、おそるおそる尋ねる。
「住むって……あの、お嬢様? クラウス様はいつまでお城に滞在されるのですか?」
「それが……わからないの」
ジネットは白状した。
クラウスからもらった手紙にも、いつ帰れるかまったくわからないと書いてあったのだ。
「そ、そんなことがあるのですか……!?」
サラの戸惑いも無理はない。ジネットだってサラと同じくらい、いやそれ以上に困惑していた。
「では、これからどうされるのですかお嬢様?」
「まずはもう少しだけ待ってみようと思うの。まだ三日だもの。家庭教師だって始まったばかりだから、もしかしたらそれが落ち着いたら帰してくれるかもしれないわ」
言って、ジネットがぎゅっと手を握る。
その隣ではサラが何かを言いかけ、ぐっと言葉を飲み込んでいた。