第89話 なんて貴重な機会なのでしょう!
(国王陛下から……? 一体何でしょう?)
クラウスは手紙を受け取ると、すぐさま封を開けた。そして中の手紙を読み、眉をひそめる。
気になったジネットが尋ねた。
「クラウス様、手紙にはなんと?」
「……国王陛下から、王宮で『王女の婚姻』を上演してほしいという依頼が来た」
「王宮で?」
ジネットは目をぱちくりとさせた。
――『王女の婚姻』は、クリスティーヌ夫人とパブロ公爵をモデルにした演劇の題目だ。
前回ジネットたちはこの演劇にかこつけて、ダイヤモンドの指輪を大々的に売り出すことに成功していた。
「どうやら、『王女の婚姻』の評判をどこかで聞きつけたらしい」
クラウスの言葉にジネットもうなずく。
「確かに『王女の婚姻』は宣伝のために、色んな所で無償上演していましたからね……」
王都の各所に簡易舞台を作り、何度も何度もくり返し上演していた。入場制限は一切つけていなかったため、身分にかかわらず平民でも貴族でも見れたはずだ。
「でも、すごいですね! 王宮で上演ができるなんて。国王陛下にお会いできるのなら、役者の皆様もきっと喜ぶはずです!」
「ああ……」
だというのに、クラウスの顔はどこか浮かない。
「クラウス様……?」
ジネットが不思議に思っていると、クラウスが口を開いた。
「実は、観客は国王陛下ではないんだ」
「そうなのですか?」
(王宮なのに、観客は陛下ではないというのはどういうことかしら?)
その疑問に答えるようにクラウスが言う。
「ああ。今回の演劇を観るのは……マリーツィア 王女だ」
「マリーツィア王女?」
クラウスの口から出て来た名前に、ジネットがぱちくりとまばたきをした。
――この国の第一王女、マリーツィア。
今年十六歳になる彼女は、現国王と王妃の間に生まれたひとり娘だ。上にはふたりの兄がおり、末っ子の姫君でもある。
彼女はとにかく容姿が美しいということで有名で、その姿はおとぎ話に出てくる妖精のように可愛らしく、人々から〝妖精姫〟と呼ばれていた。
「今回の招待は国王陛下の名で来ているけれど、僕たちが実際に対面するのはマリーツィア王女だということになる」
「マリーツィア王女様が登場するなんてとても珍しいですね……!? 私、その名をとても久しぶりに聞いた気がします!」
ジネットと同じく、クラウスも戸惑いを隠せないようだった。
「僕もだ。王女は体が弱く、人前に姿を見せないことで有名だからね」
ふたりが驚くのも無理はない。
というのも、マリーツィア王女は非常に美しいことで有名な反面、体が弱いことでも有名だったのだ。
そのためお茶会や舞踏会は当然のこと、式典も欠席することがほとんど。ほんの少しでもその姿を拝見できた人は幸運に見舞われる、なんて噂されるくらいだ。
「なんて貴重な機会なのでしょう! マリーツィア王女様に演劇を観ていただけるなんて!」
「上演は本人の希望で、マリーツィア王女だけが観劇するらしい。その後主催の僕と、王女が少し交流する場も設けられるそうだ」
「交流の場……! お姿が拝見できるだけではなく、お話まで!? 一体どんなことをお話 されるのでしょう……! クラウス様、ぜひ後で教えてください!」
ジネットがウキウキしながら言うと、クラウスは少し考え込んだ。
「……それならジネット、君も一緒に来るかい?」
「えっ」
思わぬ提案に、ジネットの目が丸くなる。
「でも、いいのですか? 今回役呼ばれているのはあくまで劇団の方々と主催であるクラウス様のみでは?」
「今回の演劇は〝マセウス商会主催〟のこと。ならば君もその一員だ。それに、婚約者を連れてきてはいけないなんてどこにも書いてない」
にっこりと、クラウスが有無を言わさない笑みを浮かべる。
(そ、それは屁理屈では……!)
そうは思いつつも、ジネットは既に参加したくてうずうずとしていた。
社交界に籍を置くジネットすら、マリーツィア王女の顔は数えるぐらいしか見たことがないのだ。それも、遠く離れたところからちらりと見た程度。
そんなジネットの気持ちを見透かしたクラウスがにっこりと微笑む。
「君も噂の〝妖精姫〟を近くで見てみたいだろう?」
「それはそのっ…………はい、お会い、してみたいです!」
葛藤したのち、ジネットは素直に白状した。
手紙を持ったクラウスがニッと笑う。
「それじゃあ決まりだ」
◆
「王宮に来るの、ものすごく久しぶりです! なんて広いホールなのでしょう!」
広々としたダンスホールの中、簡易舞台がどんどん設置されていくのを見ながらジネットは感動したように言った。
今日はマリーツィア王女のために、『王女の婚姻』を上演する日。
朝から舞台装置係に照明係、衣装係に主演の俳優たちなど、さまざまな人物が王宮のダンスホールに集って準備を始めている。
その様子を、ジネットはクラウスとともに見守っていたのだ。
「ジネットはもしかして、王宮はデビュタントの時以来かい?」
「はいっ!」
ジネットは元気よくうなずいた。
この国では、十四歳になると社交界への参加が許される。そのため貴族の子女は十四歳になると必ず王宮に来て、王妃に挨拶する決まりがあるのだ。
ジネットも、ものすごく嫌そうな顔をした元義母のレイラに連れられて王妃様に挨拶した記憶がある。
「あの日の王妃様、とてもびっくりした顔で私のことを見ていた気がします!」
「そういえば、当時はまだ義母流の化粧をしていたね……」
何かに思い至ったらしいクラウスが苦笑いをしている。
その言葉を聞いて、ジネットははっとした。
「あっ……! そういえば今日、マリーツィア王女殿下にお会いするのでしたら、お化粧はお義母様流メイクの方がよかったですか!? 地味な出で立ちだと失礼にあた――」
「いや、今のままでいい」
ジネットが最後まで言う前に、クラウスがきっぱりと言う。
「何度でも言うけれど、ジネット、僕は今の控えめなお化粧の方が好きだよ。澄んだ瞳が朝露の雫 ごとく光り輝いているし、さくらんぼ色の唇も実にみずみずしくおいしそうだ。頬もまるでおとぎ話に出てくる姫君みたいにふっくらとして愛らしいしね」
真顔で早口のクラウスに褒められて、ジネットは頬を染めた。
「あ、ありがとうございます……!」
(気のせいかしら。クラウス様、以前より詩人度が増していらっしゃるような……?)
ジネットが照れているうちに、いつのまにか上演の時間になったらしい。
待機していた従僕が、朗々とした声を張り上げた。
「マリーツィア王女殿下であらせられる!」
それからゆっくりと、ダンスホールの扉が開かれる。
ジネットもクラウスも、その場にいる誰もが扉の先を見つめた。
やがて開かれた扉の先から、ひとりの少女がしずしずと歩み出て来た。
「わぁ……!」
登場した少女の姿を見て、ジネットが感嘆の声を漏らした。